初戀 第七十四話

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第七十四話 狐の婿入り

 

客間に残された僕とお父さんと華さんの間では、当たり前のように微妙な空気が流れていた。そりゃそうだ、息子が初めて連れて来た東京の友人が何者なのかもわからないというのに、息子がそのUMAと添い遂げたい、などと口走った日にゃどんなご両親でも笑顔になんてなれまい。

「…華、ちょっと」
「あ、うん」

お父さんに促され、華さんは客間から立ち去った ──

 

いきなりお父さんとふたりきりって、いま僕は死刑宣告をされたに等しいんじゃないのか!? いやいやいやいや、心の準備が……って、心の準備ができてなかったのはお父さんのほうだな、きっと……っていうか久御山くみやまも何を思って突然あんなこと言い出したんだよ!!

「藤城さん……あ、湊くん、のほうが相応しいのかな」
「いえっ、あのっ、お父さんの呼びやすいほうで全然大丈夫です!」
「そない緊張せんとってください、いきなりしばいたりしやしません」
「は、はい……」

いや、しばかれるのが怖いわけでは……しばかれても仕方ないのかな、と薄っすら思ったりもするし……

「湊くんは、黒檀こくたんくんと白檀びゃくだんくんとも仲がいいそうで」
「ふたりには……窮地を救ってもらったこともありましたから」
「妻は……賢颯けんそうの母親は、いわゆる箱入り娘ゆうやつでしてね、なんというか……その手の話に慣れてないというか…」
「その手の話、とは…」
「その……ボーイズラブ的な…」

この圧倒的イケメンである落ち着いた感じの、しかも同級生のお父さんからよもやそんな単語を聞く日が来ようとは……もしかして明日あたり地球って爆発でもするのか……僕はどんな顔でこの話を続ければいいんだ…

「黒檀くんと白檀くんの話を聞いて、正直僕も最初は戸惑いました」

待ってくれ、クロくんとシロくんの話ってどれのことだ!? スコポフィリアだって話か!? それとも兄弟でまぐわってることか!? もっと別の話で、クロくんが久御山を道連れにしようと思ってたって話とか……この流れだとこの線はないか…

「それで……目的はなんです? 湊くん」
「……目的? 目的というのは」
「法的な婚姻はまだできひんよって、遺産目当てゆうことはないですやろけど」
「ちょ…ちょっと待ってください…」

お父さんの表情から、さっきまでの穏やかさが消えた。まるで商談でもしているかのような、相手の心理を巧みに探りながら有利に事を運ぼうとするその狡猾な口元。

「賢颯には相続放棄させてるゆうても、法定相続分は残す心積もりやさかい……抱き込んどいたらお得ですやろ?」
「抱き込む、って……あの、どういう意味ですか?」
「それとも単に…禍々しいほどの絶対的な美しい見た目にあてられたんです?」
「仰られることの意味を量りかねているのですが…」
「あれも相当に知恵の働く賢い子やけど……世間知らずやさかい、手懐けるんは簡単やったんちゃいます?」
「……手懐け……って……」
「乳児期の基礎教育に失敗してる子やさかい」

……頭に血がのぼる? はらわたが煮えくり返る? 血液が逆流する? 怒り心頭に発する? 怒髪天を衝く? 腹に据えかねる? 堪忍袋の緒が切れる? 切歯扼腕せっしやくわん悲憤慷慨ひふんこうがい

既存の慣用句や故事なんかでは到底言い表すことのできない怒りの感情に、僕は逆らうことなく身を任せた。沸騰する臓物や血液の不快感は、ことごとく僕をどす黒い渦の中に引き込み容赦なく僕を残酷にした。しかし、心が燃え尽きて炭化するほどの激しい憤りを覚える反面、頭の芯は信じ難いほどに冷え凍り付いて行くようだった。

空のグラスを握り締めた僕と、数秒前までそのグラスに残っていた三分の二ほどの緑茶を顔から滴らせる久御山の父親。座卓に転がる溶け掛けた氷が、この光景の異常さを物語った。

 

「……久御山は……賢颯は僕が何がなんでもしあわせにします」
「それほどの価値が……あれにある思たはるんです?」
「あなたにはまだ他に愛すべきふたりの息子がいる」
「まあ、それはそれ、これはこれですわ」
「賢颯は僕がもらいます……この家やあなた方との関係をすべて絶ち切ったとしても」
「……絶ち切ったとしても?」
「彼がなんの利用価値もないただの野良犬だったとしても! 僕は世界中でただひとり、賢颯を選びます」
「湊くん、それ、本気でゆうたはるんです?」
「ええ、僕にとっては彼がこの世のすべてで……僕の命そのものです」

震える拳を太腿に押し付けながら肩で息をするのがやっとだった。抱き込むとか、手懐けるとか、一体賢颯をなんだと思ってるんだ。ふすまが開き賢颯が顔を覗かせながら訝し気な声をあげたことさえ、その時の僕には気付く余裕もなかった。

「……どないしたん、大きい声張り上げて……て、なんでお茶ぶちまけてんの…」

ちょっと手元が狂うたんや、と穏やかな声で答えたお父さんは、戻って来た賢颯とお母さんにテキパキと指示を出した。

「賢颯、正式にご挨拶に伺うさかい段取りしといてくれるか」
「段取りゆうても……都合訊いといたらええの?」
「蜜、春香堂さんに連絡して打ち合わせの日決めといて」
「春香堂て……は? ちょ、お父さん待って、なんでそない話に」
「善は急げゆうやつや……ぼんやりしとって他のもんにさらわれでもしたらかなん」
「そやけど冬慈とうじさん、うちで結納品用意するゆうことは……賢颯が婿ゆうことですの?」
「……そうか、嫁入りする場合もあるか……ほな、藤城さんと先話さんとあかんな」

どどどどどういうことだってばよ!? 正式にご挨拶!? 結納品!?

賢颯のお父さんは僕の戸惑う視線に気付き、いままでで一番優しい顔をした。

 

***

 

蜜さんに呼ばれるまま着いて行くとなぜか仏間に通され、蜜さんは仏壇の前で座り姿勢を正した。これはオレにもそうしろ、と言ってるんだろうな……ご先祖さまに報告することなんて、何ひとつないけど。

「賢颯、説明してちょうだい」

柔らかな声を少し引きつらせながら、蜜さんは何かを探るような目でオレを見上げた。まあ、そりゃ心配して当たり前だ。中学の頃、散々遊び倒していた息子が高校進学と同時に東京へ行ったっきりで、久々に帰って来たと思ったら堂々とホモ宣言、て。オレが親でも多少は驚く。

「説明、ゆわれても……何を?」
「男の子同士で結婚、できひんやろ?」
「まあ、いまはまだできひんね」
「どないして責任取るつもりなん?」
「……責任? え、責任てなんの?」
「その…傷ものにした責任、とゆうか…」
「き…傷ものて……」
「若い子に…婚前交渉についてとやかくゆうつもりはないけど…」
「こ、婚前……うん…」
「あんたのことやから……いろいろしてんねやろ?」
「いろいろって何!?」
「……お母さん、なんも知らんわけやないのよ?」
「むしろ何を知ってんの……」
「薫ちゃんが……おせてくれて…」
「待ってお母さん」

その情報は趣味や性癖で偏りまくってる可能性しか感じられない。っていうか、よりによってなんで薫なんかに訊くんだよ。あの変態が、こんな完全無欠に純粋培養されたようなひとに何を吹き込んだのか、考えただけで頭が痛い。

「なんてゆうか……あの、そないただれた関係やなくて」
「爛れたて……どうゆう」
「あー、えーっと……遊びやないというか…」
「そやから結婚するゆう話なってるんやろ?」
「なってるゆうか……ぼくがそう思てるだけゆうか…」
「えっ……ほな、藤城さんどない思てはんの!?」
おんなし気持ちや思うけど、湊は考え過ぎで遠慮しいやから……多少無理矢理でも答えを用意したほうが」
「そやゆうても…」
「ええねん、ぼくのしたいことが湊のしたいことやから」

ふうっと小さな溜息を吐いて、それから蜜さんは笑顔で仏壇に目を向けた。

「お義母かあさん、えらい悔しいんと違いますか?」

── 冬慈さんとわたしの子はこんなに真っ直ぐ、心から愛せるひとを見つけましたんえ…

 

微笑みながら涙ぐむ蜜さんの気持ちはわからなかったが、少なくとも落ち込んだり呆れたりはしてないようで少しだけ安心した。これからはなるべく迷惑掛けないようにするから……蜜さんにもしあわせでいて欲しいと心から思った。

 

***

 

“休憩” という名の初公判で “友達の父親” という名の裁判長に思いきり噛み付いた僕の頭は混乱したままだった。お父さんの挑発するような態度は一体なんだったんだ? 僕はまんまとその挑発に乗って本性をさらけ出したってことなのか? でも、そのあとの和やかな雰囲気はなんなんだ?

頭の中はハテナマークがひしめいていたけれど、僕たちはあと一息で終わりそうな離れの片付けに戻った。っていうかこの辺にあった賢颯の私物って、ほぼ売却用の段ボールに入ってないか? ラブレターと制服以外。ラブレター、燃やしていいのかな。

「…湊、怒ってる? 機嫌悪い?」
「いや、なんていうか……落ち着かないというか、事態が把握できてないというか」
「湊だって遥さんに言ったんだろ?」
「つ、付き合ってるとは言ったけど、結婚の話までは」
「似たようなもんだよ、うちの両親はちょっと鈍いからわかりやすく言っただけで」
「だからってせめて……僕には事前に教えて欲しかったな…」
「うん、次から気を付ける」
「次があるのか!?」

そんな何度も、心臓に悪いサプライズは必要ない。

「あ、じゃあ結婚の話は単に方便?」
「いや? 本気」
「ドレスと白無垢、どっちがいいの?」
「どっちが似合うと思う?」
「んー、おまえに似合わない服なんてないよ」
「って、オレが嫁入りするの!?」
「僕にドレスが似合うと思うか?」
「思う」
「思うなよ」
「むしろどっちもフロックコートでいいじゃん」
「あ、じゃあ賢颯がフロックコートで、僕が紋付袴でどうだろう」
「……いいね」
「入籍できなくても式は挙げられるからな……写真くらい撮っておこうか」

あとは段ボール箱を運び出せば終わりだな、と思っているとなぜか賢颯に押し倒された。

「……何?」
「湊、結婚式とか嫌がるかと思ってた」
「なんで!?」
「んー…普段から控えめなヤツだし、いろいろこねくり回して遠慮するっていうか、委縮するっていうか」
「そういう気持ちがないわけじゃないけど」
「けど?」
「賢颯がどういうつもりで言ってるか、より……僕がどう受け取るか、を考えようと思って」
「……いますぐ抱き潰していい?」
「東京に戻ってからな」
「我慢できる?」
「あっ…バカ、触るな……手を入れるな!」

 

***

 

湊と話し合った結果、結納品を献上してスルメや昆布や鰹節の処遇に頭を抱えるよりは、みんなで旅行でも行って海の幸を楽しめばいんじゃね? ということで、結納を執り行うのは見送ることになった。何より、男同士というだけでも充分ネタになりそうなのに、そのうえ結納なんて話になると親戚一同、卒倒しかねない。

冬慈さんが湊を煽りまくったという話は冬慈さんから直接聴いたが、湊が少しでも冬慈さんに媚びるような態度を見せたら、その場で叩き出そうと思っていたそうだ。普通は心にもないことを言って媚びたり委縮したりするんじゃないか? だって相手は将来のお義父とうさんなわけだし。

媚びるどころか全身の毛を逆立てて威嚇する猫のような湊を見て、冬慈さんは顔がにやけそうになるのを必死で堪えたらしい。これだけしっかりした相手なら、少々扱いの難しい息子を任せても大丈夫だ、と肩の荷がおりたという。失敬な。

自分の両親がちょっとズレてるような気はしてたが、正直ここまでとは思ってなかった。男同士の結婚をなんだと思ってるんだ。って、オレが言えた義理じゃないけど、この先叔父とか叔母とどうやって折り合いを付けるつもりなんだろう。

華は「イケメンの兄が三人も増える」と心底喜んでるみたいだ。単純な妹でよかった、と安心したのも束の間、コイツはこのあと割と大きな騒動を起こし、オレの手を煩わせるという暴挙に出るがそれはまた別の話。