Alichino 7.

Alichino
物 語

code.07 囚われし者

 

「うん、何を教えなくちゃいけないのか、大体わかったよ」

ル・ルシュはそう言うと、右手を開き刀を返した。最初はひとりずつ三十名ほどの相手をし、その次にふたりずつ掛かって来いと五十名ほどを相手にし、最後は全員で掛かって来いと五十名ほどを相手にして「なるほどねえ」と訓練を終えた。

「ルシ、お昼ごはん食べに行こう」

屋外訓練所に備え付けられた、休憩用とは名ばかりの治療用であるベンチで訓練の様子を見ていたルシの頭をなで、「お利口さんだ」とル・ルシュはルシを褒めた。それから、照れくさそうにするルシを抱き上げ、「今日のお昼はなんだろうね」とその小さなくちびるを指先でつつき、アヴリルと三名で新生児室へ向かう。

 

「教えなくてはいけないこと、とはなんでしょうか」

歩きながらアヴリルはル・ルシュに訊ねた。

「……彼らは確かに、訓練された戦闘員ではあるけど」
「わたしの教え方に問題が?」
「教え方に問題はないよ、ただ有能な上長に頼り切ってるなあと感じただけで」
「頼り切っている、とはどういうことでしょう」
「言葉の通りだよ、戦場でもきみが守ってくれると思ってる」
「まさか、彼らは戦場に出たことがないわけではありません」
「きみが一切関わってない場所での戦闘経験は?」
「それは」
「きみを責めてるわけじゃない」

声を掛け、新生児室の扉を開けるとクロトが「早かったのね」と言い、ルシと手をつないで部屋の奥へと移動する。「ルシ、ゆっくり食べるんだよ」とル・ルシュが言うと、ルシは振り返って頬を膨らませた。

ル・ルシュは笑いながら小さな背中を見送り、ルシを見つめるル・ルシュの優し気な瞳を見て、アヴリルは言葉にならない物悲しさを覚えた。大天使長と一緒に暮らしたかったのだろうな、と目を伏せると、それに気付いたル・ルシュがアヴリルの肩をポンと叩く。

「きみは随分と素直で正直で繊細なんだな」
「自分自身を繊細だと思ったことはありませんが」
「……ステファノにそっくりだ」

ル・ルシュは窓を開け、空を見上げながら「思い出になんてなるなよ」と、ひとり言のようにつぶやいた。アヴリルはそれを、ルチアのことかステファノのことか、それともル・ルシュ自身のことかを考えた。思い出になりたい者は……いないだろう。思い出すほうもきっと苦しいのだから。

「なぜあなたは、大天使長を連れて行かなかったのですか」

おもむろに訊ねるアヴリルに、ル・ルシュは空を見上げたまま訊き返す。

「どこまで知ってるんだい?」
「大天使長の出生について、のみですが」
「ああ、それなら……僕が単なる身代わりだったことは知ってるんだろ?」
「身代わり、という言い方が適切かどうかはわかりませんが」
「それが適切じゃないなら、提供者でも協力者でも……種馬でもいいんだけど」
「複雑な事情はおありでしょうが、なぜわざわざここに残して行ったのですか」
「……僕が咎人とがびとだからさ」
「咎人?」
「罪を償うために生きる僕の、そばにいてはいけないと思ったんだよ」
「部下を死なせたことは、そこまでの罰を受けなくてはいけないことですか」
「そうだな……僕がいれば、ふたりは死なずに済んだ」
「しかし、任務での事故は」

……もしかして、 “戦場でもきみが守ってくれると思ってる” は、彼らではなくわたしに言っているのか。

「わかっただろ? 任務での事故はきみの責任ではないんだ。でもきみは被害を出さないよう、彼らを守り続けてる。そのせいで彼らからは、まったく危機感が感じられない」
「戦闘員と諜報部員は……違います」
「諜報部員が死ねば単なる事故で、戦闘部員が死ねば上長の責任なのかい?」
「わたしには彼らの命を守る義務があります」
「そうか、僕には部下の命を守る義務がなかったとでも?」
「……失礼しました、そういうわけでは」
「このままだと、きみは戦場で命を落とす」
「防衛総局とはそういう部署だと理解していますが」
「思い出すほうも、苦しいもんだよ」

ル・ルシュは窓を閉め、奥の部屋から出て来たルシを抱き上げると、「お昼ごはん、何だった?」と笑いながら訊ね、「古巣の様子を見て来るよ」と、ルシと一緒に新生児室をあとにした。クロトとカシスとアトスは、「泣きたいときは我慢するものじゃないわよ」とアヴリルの背をさすり、「クリームシチュー、食べる?」と訊いた。

 

諜報部の事務所を訪れたル・ルシュは、変わらないなあと適当な椅子に腰をおろし、ルシを膝の上に乗せた。一体何が起こっているのか、と背筋を凍らせている諜報部員たちは、冷や汗を流しながら目を泳がせている。いや、大天使長に隠し子のひとりやふたりいても不思議ではない。かといっていきなり連れて来られても……

サリエルが事務所に戻ると、諜報部員たちは一斉にサリエルに駆け寄った。

「どうしたんだ……」
「わたしたちの手には負えん」
「何の話だ」
「見ればわかるだろ……」

サリエルは意味がわからず、諜報部員たちの背中越しに事務所の中を確かめた。

「……大天使長?」
「大天使長はいいんだが……その……」
「……! 待て、さすがにわたしでも隠し子は手に負えん」
「サリエルも知らないのか……」
「初耳……というか初見だ、さすがに隠し子の存在までは知らん」
「ほう……誰の隠し子の話か、詳しく聞かせてくれないか」

サリエルと諜報部員が驚いて振り返ると、ルフェルが十二枚の翼を力一杯広げ、腕を組んで立っていた。サリエルをはじめ部員たちは全員、まだ遺書の用意をしていなかった、と後悔した。

「ちょうどいい、おまえら全員その性根を叩き直して来い」

そう言うとルフェルはル・ルシュのそばに行き、何やら耳打ちをしたあとルシを抱き上げ再び事務所から出て行った。同じ顔が並んでると迫力あるなあ……いや、この翼のない大天使長は、誰なんだ?

「はじめまして、僕はル・ルシュ=フェール・フラン。昔ここに勤めていたんだけど……」
「あの……大天使長とは、どういう……」
「ああ、僕は彼の父親だ」

本来であればルフェルの出生に関して疑問を抱くところだが、常に血も涙もないルフェルの所業に怯え職務に当たっているサリエルと諜報部員たちは、諸悪の根源がここに……と、まず恨みがましい視線を向けた。

「きみたちの教育を任されたんだけど」
「教育、というのは座学ですか? それとも訓練ですか?」
「…… “死んでも構わん、足腰立ないようにしてくれ” って話だけど、いいのかい?」
「いいわけないじゃないですか」
「あ、やっぱり駄目なんだね、それじゃあ普通に勉強しようか」

なぜ大天使長の言う「死んでも構わん」を、爽やかに「いいのかい?」と訊ねられるのか……大天使長より穏やかに見えるものの、やはり大天使長の親だ、血も涙もないところはそっくりじゃないか、と諜報部員たちは肩を落とし溜息を吐いた。

 

「普段どういう訓練をしてるのか知らないけど」

総合情報局の中にある大講義室では、勤務中の諜報部員約百名が、教壇に立つル・ルシュを怪訝そうに眺めていた。こんなところに集めて一体何をさせるつもりなんだ……殺し合いか? なんちゃって……大天使長なら言い出しかねないけど、この方は……いや、言い出しかねないな、と部員たちは背筋を凍らせた。

ル・ルシュは、ふたり一組になって片方はこれを取りに来てくれ、と言いそれぞれにあるもの・・・・を手渡した。渡されたものを見ながら、頭を捻る部員たちにル・ルシュは笑顔で告げる。

「いま渡したものはパズルだけど、ふたつに分離するためにはふたりの力が必要なんだ。解き方をふたりで考えて、上手く分離してくれ。制限時間以内に分離できなかったとき、そのパズルは爆発するから気を付けて」
「ちょ、ちょっと待ってください! ここは室内で、さらに部屋の中には百名という部員がいますが!」
「そのパズルは指向特性として真上に向かって爆発する。天井も高いし、隣のチームの迷惑にもならないよ」
「……威力はどれくらいなんでしょうか」
「ハンドグレネードと変わらないくらいだね」
「それは、爆発すれば死ぬということでは」
「そうだね、爆発させないように頑張ってくれたまえ」
「あの、せめてヒントとか何かないのでしょうか」
「……きみたちは潜伏先でも、そうやって敵にヒントを貰ってるのかい?」

ではどうぞ、とル・ルシュは教壇の椅子に腰掛け、チラリと時計に目をやった。

 

サリエルはラグエルの隣で小さなパズルをクルクルと回しながら、ふたりの力が必要とはどういう意味だろう、と考えていた。片方が何かを押さえて片方が何かを引き抜く? それだとひとりでもできそうだが……しかし制限時間が何分なのかわからないうえに詳しい殺傷能力もわからない。心理戦も含まれているのか……

「これ、何かに似てませんか?」
「何かって?」

ラグエルの問いに、何に似てるんだろうとサリエルは再びパズルをクルクルと回した。

「塔の……神々の塔の見取り図です」
「見取り図? ああ、言われてみれば確かに」

クルクル回していたパズルを手のひらに乗せ、サリエルとラグエルはふたりで真上からそれを確かめた。この角度から見るとそう見えるけど、別の角度から見るとまったくそうは見えないんだけどな……とサリエルはパズルを別の方向に向け手のひらに乗せる。

「塔の南北には非常口があり、塔の中心には全能神の部屋があります」
「南北を押さえて中心を抜き取る?」
「非常事態なら真っ先にそうするべきかと」
「非常事態……まあ、塔の中で爆発物が見付かれば確かに全能神の安全が最優先だけど」
「決め打ちで手掛かりを探さないと……そんなに時間もないでしょうし」
「でも、それならひとりで取れないか?」
「物理的には取れます。パズルを置き、端を押さえて取ればいいかと」
「だとしたら “ふたりの力が必要” という条件が合致しなくなる」
「底面が何かに触れているとまずいとか」
「持ち上げて、両手で端を押さえてから真ん中を口で引き抜けばいい」
「……爆発するかもしれないのに?」

そうか……爆発することが確定で、しかも真上に破裂するものに顔を近付けようとは普通思わないな……サリエルはパズルを塔の見取り図通りに持つと、そのパズルの南北を探した。

「若干感触が違う部分がある」
「ではわたしが押さえますから真ん中を動かしてみてください」
「……いや、僕が押さえるよ」

サリエルがパズルの端を二箇所押さえると、カチっと小さな音が聞こえた。ラグエルに両腕を伸ばしたサリエルはパズルを真っ直ぐ上に向くよう細心の注意を払う。

「外れたんじゃないかな……ギリギリまで離れて、動くところを引き抜いてみてくれ」
「真上に爆発するなら離れる必要はないと思いますが」
「間違っていたときの保険だよ……ふたり死ぬ必要ないだろ」

だとしたら部長が持つべきではないのでは、と少しためらいながらラグエルが中心を摘まむと、驚くほどあっさりとパズルは分離した。

「……まさか、終了?」
「爆発しなくてよかったです」

サリエルとラグエルは教壇で座っているル・ルシュのそばに行くと、分離したパズルを手渡した。

「優秀だね、ちなみにどっちが気付いたんだい?」
「手掛かりに気付いたのはラグエルです」
「じゃあ、どっちが土台を押さえたのかな」
「それは、わたしが」
「そうか……きみ、秘密情報部は長いのかい?」
「そうですね、いまいる部員の中で一番長いかもしれません」
「役職は?」
「部長ですが」
「長く勤めてて、部長?」
「わたしはオフィサーですが、エージェントでもありますから権限を持ち過ぎるのは……」
「僕はプロフェッサーだけど、エージェントでもあったよ」
「……プロフェッサー?」
「うん、プロフェッサーだけど、そんなに驚くことかい?」

……充分驚くことだろう。プロフェッサーといえば教育機関の最高峰であり、内務省の頂点……エデンの最高権力者だ。それが諜報部でエージェントとして任務に就いていたとは……あの大天使長でさえ、現場での諜報活動は立場を考え控えているというのに……

「……そろそろ、耳を塞いだほうがいいよ」

ル・ルシュはそう言うと、自分の耳を押さえ時計に目をやった。

 

 

── ごめんなさい……でも、わたし

 

 

「……これが本物の爆弾なら、きみたちは死んでるわけだけど」

手のひらで顔のまわりを仰ぎながら、ル・ルシュは呆れたように言うと同時に溜息を漏らした。サリエルとラグエル以外のパズルはすべて制限時間内に分離されることはなく、激しい爆音とともに煙をあげ講義室はしばらく視界が利かなくなるほど真っ白に煙った。

「記憶力と判断力と責任感を確かめるためのテストで、これだけの落第者を出すとはね」
「記憶力、ですか?」サリエルが訊ねると、ル・ルシュは力なく頷いた。
「そう、記憶力。着任した直後の座学で絶対塔の見取り図は見てるはずなんだけど」

サリエルがラグエルを見ると、ラグエルは困ったように笑いながら、「わたしは中途採用ですので記憶に新しいのです」と遠慮がちに言った。組んだのがラグエルじゃなかったら自分も答えにたどり着かなったな、とサリエルもまた苦笑した。

「しばらくの間、大天使長が不在のときは僕が指揮を執る。次は本物の爆弾を使うから、そのつもりで」

穏やかな顔をしているのに、やることは大天使長より酷いんじゃないのか……と、諜報部員たちは大天使長のありもしない優しさを感じていた。

 

 

「……これは?」

ル・ルシュにルシを預け事務所に戻ったルフェルは、「ル・ルシュ教授プロフェッサーからです」とサリエルにパズルを渡された。諜報部員たちは大天使長のお手並み拝見、と興味深くその様子を眺めている。

「先ほど教授の授業で使用したパズルです」
「ほう……これを、どうしろと?」
「ふたつに分離してください。制限時間内に分離できなかった場合、そのパズルは爆発します」
「制限時間内に……要件はそれだけか?」
「ええ、爆弾は指向特性により真上に破裂します」
「なるほど」

ルフェルはしばらくパズルをクルクル回していたが、両手でパズルの両端を押さえ、口で中央部分を引き抜いた。

「……もし解読が間違っていて爆発したらどうするんですか」
「これが爆発するのなら、その辺にある花瓶でも額縁でも、なんでも爆発するだろうな」
「どういうことですか?」
「パズルの数とコストを考えれば、無能な部員のために開発費も材料費も掛けられんだろう」
「と、仰いますと……」
「この大きさに納まる時限信管がどれだけあるんだ」
「……機械式だとコストが掛かりますし、電気式だと静電気による誤爆がありますね」
「そこに点火薬、遅延火薬、起爆剤、安全装置、諸々入れて指向性まで?」
「この大きさでは無理がありますね……」
「そういうことだ」

ルフェルはポイっとサリエルにパズルを投げ、座学からやり直す必要があるんじゃないか? と職員名簿を取り出し目を通し始めた。お待ちください大天使長、なぜ査定表を片手に名簿をご覧になっているのでしょうか。諜報部員たちは自分の机に戻ると、引き出しの中を探し出し参考書や教科書を広げ始めた。

 

 

「要はイメージなんだけど……」

診療所の待合室で、ル・ルシュの前に座ったルフェルとルシ、それからユリエルは息を止めながら話に耳を傾ける。当然ミシャとフィール、エアリエルも一緒に試しているが、サッパリわからない、という顔でル・ルシュを見ていた。

「力み過ぎるとかえってよくないから、まず力を抜いて」
「力は入っていないはずなんだが……」
「そないゆわれても、息止まりますわ……」
「うーん、そうだなあ……プリースト、一番簡単な魔法ってなんだい?」
「一番簡単? そやな……属性魔法の火系あたりちゃいますやろか」
「それ、教えるときってどうやって教えてる?」
「神経集中させて水晶の中にある魂呼ぶんやけど」
「感覚としてはそんなもんだよ。実際に魂を呼ぶわけじゃないだろ?」

なるほど、とユリエルは目をつむり静かに息を吸いながら右の手のひらの上に小さな火の玉を作った。それと同時に背にある六枚の翼が消え、「Don’t Think. Feel(考えるな、感じろ)ゆうやつやな」と頷いた。

「司法長官、有能ねえ……大天使長さまはまだ消せないのかしら」
「ミシャ、多分聞こえてると思うんだけど」
「聞こえるように言ってるのよ? もしかしたら無能かもしれない大天使長さまに」
「……外野がやかましくて敵わんな」

自分の背を思い浮かべて、その背に翼がない状態を想像する。その翼は必要のないものだ。その翼さえなければ……自由になれる。神々に縛られることも、掟に縛られることもなく、宿命に抗うことだってできる。

「しゅくめい って なあに?」
「産まれる前から決まってる、約束みたいなものかな」
「ルシの しゅくめい って なあに?」
「ごはん食べるとき、口の中を火傷することかな」
「そんな やくそく いらない……」

自力で翼を消すことから早々に脱落したミシャは、本能の趣くままル・ルシュに質問を投げ掛けた。

「パパはどれくらいで翼を消せるようになったの?」
「年齢? それとも期間?」
「んー、両方」
「歳は憶えてないけど、もう情報部に着任してたかな。期間は半日くらい」
「みんな神々の力を借りて変幻自在になるものじゃないの?」
「そうなんだけど、なんだか借りを作りたくなくて」
「あら、神々との関係は良好ではないのかしら」
「もちろん、表向きは良好だったさ」
「裏側では?」
「僕は問題児だったからねえ」
「例えば、どういう問題を?」
「そうだなあ……地上で私娼の部屋を渡り歩いて暮らしてた時期もあるし」

全員の目付きが冷ややかになり、その視線はそっくりそのままルフェルへと注がれた。

「……わたしは無関係だと思うんだが」
「ししょう って なあに?」
「公娼と違って公に営業許可を与えられてない娼」 「パパ?」
「……もう少し大人になってからのほうがいいかな」
「恐ろしい親子だわね……」
「……わたしは無関係だと思うんだが」

すると、ルシの背にある左側の翼がすっと消え、驚きの声があがった。ルシは少々照れながら、ユリエルの膝の上に座り「あとは ルゥ だけ」と笑った。ユリエルはルシの頭をなでながら、「ほんまようできたお子やなあ、大天使長の子ぉやとは思えへん」と褒めた。

「わたしの子ではないんだが」
「変わらへん変わらへん、似たようなもんやないか」
「ルシ、どうやったら翼が消えたんだい?」
「あのね すきなもの かんがえたの」
「なるほど、心に迷いがなくなったってことだね」
「無能かもしれない大天使長さまも好きなもの、想像してみれば?」
「……好きなもの、と言われても」
「ないの? 好きなもの」
「いきなり言われてもさっぱり思い付かん」
「ふうん……じゃあフローディアさまとのことでも思い出すとか」
「何なに、フローディアと何かあったの?」
「それより先に、パパはフローディアさまとは何もないの?」
「何もないと思うかい?」
「……ほんま血族て感じやなあ」

次の瞬間、ルフェルの背から十二枚の翼が消え、フローディアさまとのことで心に迷いがなくなったのか、と全員から落胆の溜息が漏れた。

ルフェルは、庭園の復旧作業が滞りなく進んでいることを思い出し、安堵したところで翼が消えたため「安心すると消えるのか」と、心に迷いのない状態を確かめていた。

 

「……感触、忘れないようにしないとな」

そう言い残し診療所から出て行ったルフェルは、残された者たちが「何の感触だよ」と盛大に突っ込みを入れたことに気付くこともなく、しばらく仲間内で「感触」という単語が禁句になったことも知らないまま、すれ違った分だけ浮名を流して行くこととなった。