第十三話 あの声で蜥蜴を食らう不如帰
休み時間になると、教室の外は女子校かと見紛うばかりの賑やかさで盛り上がる。毎日毎日飽きもせずよく続くもんだな、といまでは感心さえしてしまうほどだ。
「…久御山、行かないの?」
「どこに?」
「廊下……待ってるじゃん、みんな」
「湊が行けって言うなら行く」
「行くか行かないかは、久御山が決めることじゃない?」
「だから、行けって言うなら行くよ」
「イくとかイかないとか、まだお天道さんが高いうちから…」
横を見ると、沓川と一ノ瀬が笑っていた。
「毎日すげえな……入れ食い状態じゃん、久御山」
「いや食ってねえし」
「え、マジで? なんで?」
「ハジメテは好きなひととって決めてるから…」
「おまえ、ハジメテが何回あるんだよ」
「24時間でリセットされるから」
「控えめに言って最低だな」
「そんな褒めんなよ…照れるだろ」
「でも久御山ってモテんのに、いっつも藤城と一緒にいるよね」
「おう、狙ってんだよいま……邪魔すんなよ?」
沓川と一ノ瀬は、「本人目の前にいるじゃねえか」「なんだよ久御山ホモだったのかよ」と大笑いした。こういうとき、久御山って本当に上手に空気読むなあ、と尊敬する。僕なら間違いなく、大慌てで否定して場を凍らせる自信がある。
「というわけで久御山、金曜日空いてる?」
「本命とイチャ付きたいから忙しい」
「協力して」
「いやひとの話聞けや」
「とりあえず写真撮らせて?」
「一枚500円な」
「何、その割と現実的な価格設定」
沓川は久御山の写真を撮ると、何やらスマホを触りながら「さっすが、即レスっすわ」と声を弾ませた。
「じゃあ、金曜日よろしく」
「おう、待てやあんちゃん、まったく話見えねんだが」
「K女のみなさんと合コン」
「へえ、あんなお嬢さまガッコの子でも合コン来るんだ」
「一か月待ちだぞ……長かった…」
「そっか大変だったな、だが断る」
「無理、だって久御山の写真送っちゃったもん参加者だっつって」
「じーさんの遺言で、合コンにだけは手を染めるな、と」
「ホモだってバラされたくなかったら来い」
「あー金曜日用事あったの思い出した」
「藤城がどうなってもいいのか?」
「え、どうしちゃうわけ……? なんならオレも参加させて」
「久御山とデキてるって吹聴すんぞ? あ?」
「いやん、それは落としてからにして」
沓川と一ノ瀬は笑いながら「じゃあ金曜日よろしくー」と席に戻って行った。っていうか無謀なヤツらだな……沓川も一ノ瀬もイケメン枠に入るだろうけど、久御山なんか同席させたら女の子全部かっさらわれるだろ……なんでわざわざ自分たちが不利になるようなことするかな。
──
「……さすがにご機嫌ナナメだね」
自宅のソファに寝転がる久御山に声を掛けると、苦々しいというか、忌々しいというか、とにかく不満気な低い声で呪詛を唱えた。
「あ? ナナメどころか真横んなってるわ」
「雰囲気とかそういうの、嫌いじゃないなら楽しんでくればいいじゃん」
「嫌いではないよ」
「じゃあいいんじゃない?」
「せっかくの金曜の夜に? 嫌いじゃない程度のことに時間割けって?」
「交友関係が広がるのは悪いことではないだろ」
「…カラオケで愛想笑いしてるより」
「してるより?」
「欲望の赴くまま肉欲の奴隷と化した湊を思う存分嬲るほうがいい」
「おとなしく合コン行けよ鬼畜か」
「……じゃあここで待っててくれる?」
「なんで!?」
「帰ってから肉欲の奴隷と化した湊を」
「化さない化さない」
「…あ、いいこと思い付いた」
「おまえのいいことが、いいことであった試しがないんだけど」
──
「……で?」
「二十分待ってね」
「あのね、久御山……この状況を説明してくれる?」
「一剤に含まれるアルカリ剤がキューティクルを開き、酸化染料が髪の内部に浸透し」
「うん、それから?」
「染料の分子は結合すると元の大きさより大きくなるので、髪の内部に浸透したあと閉じ込められます」
「なるほど、それで髪が染まるんだね、っておい」
「あ、髪が脱色されるのは二剤に含まれる酸化剤が」
「どうして僕の髪をいじってるのか訊きたいんだけど?」
「オレの代わりに刺客として合コンに送り込むため」
「なんで!?」
「目にもの見せてくれるわ……」
金曜日、久御山に「服とコンタクトを持って来い」と言われおとなしく持って来た僕は、なぜかいま久御山の家でヘアカラーというものを施されていた。僕の髪をいじって真横になってるご機嫌が少しでも戻るなら、とされるがまま混合液を塗りたくられたけれど、代わりに合コンに行くとかって話は意味がわからない。
大体僕なんかが合コンに行ってどうするんだ……壁の花になれるなら御の字で、いいとこ天井のシミくらいの存在感しか醸せないってのに……空気凍らせに行けっていうのなら、きっと精鋭化されてるとは思うけど。
久御山にシャンプーされたあと丁寧にドライヤーで乾かされ、ああ、トリミングされてる犬ってきっとこんな気持ちなんだろうな、と思った。ワックスで形を整え、久御山は満足そうに僕を眺めた。そして次の瞬間、真顔になった。
「……ダメだ」
「何が……?」
「セックスしたい…」
「うん、ダメだな」
「王子さま系美少年を狙ったんだけど……」
「そんな大層なもの狙うなよ……」
「超絶可愛い系美少年になった気がする…」
「間違えるにもほどがあるだろ…」
「んー…ピンクベージュは攻め過ぎたか…」
「何の呪文なんだよそれ」
ひとりで何か壮大な敵と戦いながら、でも時間もないから……と久御山はうなだれた。とりあえず着替えればいいのかな……言われた通り、あんまりラフじゃないけど堅くもない服、持って来たけど……
「ねえ久御山、余ってるハンガーとか、ある?」
シャツを脱いで、ソファに寝転がる久御山に声を掛けると、「ある」と言いながら立ち上がった久御山は僕を見て駆け寄った。そこまで慌てなくてもいいよ、とシャツを渡すと、それをハンガーに掛けたあと僕を抱き上げてソファに座らせた。
「……なに?」
「なあ、なんでおまえはそんなに無防備なの?」
「え、いま何に備える必要があったんだ?」
「なんで裸体なの!?」
「脱がなきゃ着れないからだろ…」
「ちょっとくらい身の危険感じひんの!?」
「それは犯罪予告か何かなのか? そして標準語忘れるくらいの事件なのか?」
「大事件やろ! あかん、もうあかん」
そう言いながら久御山は僕をソファに横たわらせ、首筋に舌を這わせた。
「ん…っ…久御山…?」
「なんや…もう止められへん」
「いいけど……時間、大丈夫?」
「……そんなん、もうどうでもええわ」
「久御山がそう言うなら」
上にまたがる久御山のジーンズをおろし、なるほど、確かに大きくなってるモノを握りながら身体を起こす。先端を舌でなでて口唇で覆ったあと、一気にのどの奥まで咥え込んで吸い上げた。
「…っ…湊、ちょっと、待っ…湊!」
「約束…反故にして、あとで後悔するのに?」
「みな…あ…っ…待って…」
「義理堅い久御山くん……いいの?」
「ん…あ…っ…」
「……はい、用意しようか。続きは帰ってからね」
「…っ地獄の鬼でもドン引く所業だろ!!!!!」
…寸止めされたらまあこういう反応になるよね。
どうでもいい、って言いながら絶対気になってるに違いない久御山を、強制的に再起動して服を着替えた。チャラそうに見える外見からは想像も付かないほど、久御山は誠実で真面目だ。そもそも、守るつもりがない約束なんてしないし、押し切られた形ではあるにせよ約束は約束だ。
もちろん、僕は合コンに行きたいわけじゃないけど、それが回り回って久御山のためになるのであれば、努力だけはしたい。
そして、叫びながら久御山にコンタクトを入れてもらい、僕は「刺客」として生まれ変わった。
……なんだそれ。
──
「あ、久御山もう来てたんだ」
待ち合わせ場所に現れた一ノ瀬は笑顔でそう言ったあと、僕に視線を動かしてわかりやすく動揺した。
「…おい、久御山」
「あ?」
「ちょっと来い」
***
一ノ瀬に腕を掴まれ、待ち合わせ場所から少し離れたところへ連行された。
「誰!? あの子なに!?」
「いや、だから、本命とイチャ付きたいから無理だっつったじゃん」
「だからって連れて来なくても!」
「合コンの間はどっかで時間潰しててもらうから」
「……は?」
「え、マズかった?」
「おい、あのレベルの子をこんな場所で放流するつもりなのか!?」
「や、だって……」
食い付け食い付け……あのレベルの子を週末の渋谷でひとり歩きさせたらどうなるか、くらい簡単にわかるだろ。そうなれば当然オレが黙ってないってこともわかるだろ。
「ねえ、待ち合わせ場所にいる子、知り合い?」
「おー…沓川……」
「めっちゃ可愛い子、いるんだけど」
「久御山の彼女だって」
「は!? なんで連れて来てんだよ!」
「だからー…合コンの間はどっかで時間潰しててもらうって」
「はあ!? おまえ、さらわれたらどうすんだよ!」
「でも同席させるわけにはいかないし…」
慌てろ慌てろ……そのめっちゃ可愛い子がさらわれでもすれば、おまえらは捜索に駆り出された挙句、不機嫌なオレをなだめなくちゃいけなくなるんだぞ……
***
久御山と一ノ瀬と沓川が戻って来ると、一ノ瀬と沓川が僕に「こんばんは」と挨拶をした。何を言ってるんだろう……さっきまで教室で一緒だったじゃないか……
すると、久御山がコソッと「喋らずに笑って」と僕に耳打ちをする。なんだなんだ…いまどういう計画が進行中なんだ……
言われたとおり精一杯の笑顔を作ると、一ノ瀬と沓川が釣られて笑う。
「ごめんね、帰国子女だから日本語わかんないんだ」
久御山に言われて、一ノ瀬と沓川が「なるほどねえ」と納得する。そして「だったら尚更危ねえだろ」と溜息を吐きながら久御山を小突いた。帰国子女だと危ないって、どういう意味だよ……
時間になると、他校の沓川の友達とK女のみなさんが集まり、久御山を交えて何か話をしてるみたいだった。しばらくするとK女の四人が僕のそばまで来て、キャアキャア騒いだ。
「こんばんは! ほんと可愛い!」
「お人形みたい!」
「こんな可愛い彼女放置して合コンだなんてとんでもない」
「だよねえ、わたしたちはいいからデートの続き、楽しんで」
……可愛い……彼女…?
一ノ瀬たちに盛大に見送られ、僕は笑顔で手を振って久御山と歩き出した。
「久御山……いま、何が起こってた?」
「んー? 一ノ瀬たちが湊を彼女だと勘違いしたんじゃない?」
「は? なんで?」
「や、わかんないけど……オレ彼女だなんてひと言も言ってないし…」
「…合コンは?」
「なんか免除されたみたい」
「は? なんで?」
「わかんないけど、湊と一緒に帰ってもいいよ、って」
「何がどうなってそうなった?」
「さあ……」
僕は何のために髪を染められたんだ……?
***
「…脱げよ」
家に戻り開口一番そう言うと、湊は一瞬で耳まで赤くして俯いた。
「いや、おまえさっきあんな堂々と脱いでたじゃん」
「さっきのは単なる着替えだろ…」
「裸になる、という結果には1ミリの違いもないんだが」
「前提条件が違うから、結果だって違う」
「同じだろ! さあ脱げ」
「…やだ」
どこかにスイッチでもあるのか、湊はさっきまでの態度を一変させ恥ずかしそうにするばかりだった。しょうがねえな、と上着のボタンに指を掛けると、慌ててオレを見上げその大きな目を潤ませた。
「そんな顔してもダメ」
「…だって……」
「続きは帰ってからね、って言ったじゃん」
「言った…けど…」
「したくない? イヤ?」
「ちが…そうじゃ…なくて…」
「じゃあ、どうしたの?」
「……いつもは…眼鏡外してて」
「うん、それで?」
「でも、あの…顔、とか…はっきり見えて…恥ずかしいん…だけど…」
「……は?」
まさか、いつもはぼんやり見えてるものが、コンタクトのせいではっきり見えるから……恥ずかしいってことか?
「へえ…なるほど…そうか」
「…なんだよ」
「さっきの鬼もドン引く所業……憶えてる?」
「ご、ごめんって…」
湊の目の前でシャツのボタンを全開にして、ベルトを外しファスナーを下ろす。わかりやすく赤くなり目を逸らす湊の頬に手を添えて「脱がせて」と囁くと、さらに赤くなり目を泳がせる……はい、可愛い。
「あのさあ、湊」
「…うん」
「オレはいつだってはっきり見えてたけど?」
「…っ」
「我慢しながら下唇噛むとこも、鳴くとき少しだけ見える舌も、ヨくなると赤くなる目の周りも、ヒク付いてるピンク色のアソコも、イきそうになると力入って震える爪先も、イくときのエロいかお」
「やめろよ!!! どんだけ出て来るんだよ!!!!!」
「その湊を見てるオレの顔、ちゃんと見たことないんだ?」
「…ない……けど…」
「脱がせて……もっと惚れさせてあげるから」
湊を抱き上げ寝室まで運びベッドの上に横たわらせると、枕を抱え込んで顔を隠してしまった。そういう仕草もオレを興奮させるだけなのになあ、と思わず顔がにやける。ギシッ、とスプリングを軋ませながらベッドに腰をおろし、そっと靴下を脱がせると湊が飛び起きた。
***
「ななな、藤城おまえ知ってた?」
月曜日の朝、教室に入って来た一ノ瀬からいきなり声を掛けられた。
「おはよ、知ってたって何を?」
「久御山の彼女!」
「…あー…うーん、えっと」
「あ、見たことないんだ? 超絶可愛いの、ビックリするくらい」
うん…その子はいま、おまえの目の前にいるよ一ノ瀬……ちょっと髪の色とか違うけど……そして登校して来た沓川も同じように走り寄り、久御山の彼女の話を僕に訊いた。
「あんな可愛い彼女、どこで見つけんだろな…」
高校の入学式かな……
「あー…それはそうと、合コンどうだったの?」
「ああ、おかげさまで連絡先交換した」
「そうなんだ…すごいな」
「いや、それがさあ」
女連れで来た久御山を、「やっぱり彼女に悪いから不参加ってことで」とK女のみなさんに告げたところ、友達思いの優しいひと、という印象を与えたらしく、それがいい方向に働いたらしい。
「お、久御山おはよ、金曜日ありがとな」
「おはよ…どうだった?」
「LINE交換した」
「やるじゃん」
「おまえは? あのあと彼女、怒ったりしてなかった?」
「うん、全然」
「つーか、あんな可愛い彼女いんなら、つまみ食いなんかしねえよな…」
「まあね」
「…で? 彼女はどうなの? イイの?」
久御山はチラっと僕の顔を見てニヤっと笑った。
「控えめに言って最高にイイ」
「マジか……具体的には?」
「よがり鳴く顔も、鳴き声も、指使いも舌使いも味もにおいも締まり具合も全部イイ」
「…もうちょっと高校生らしいエッチしろよ、おまえは…」
「でもスイッチ入るまで、めちゃくちゃ恥ずかしがるんだよね」
「あー、まあ、そういうもんじゃね?」
「それ見ると、ますますいじめたくなるんだけど」
「おまえはほんと、控えめに言って最低だな」
「湊、熱でもあんの? 顔真っ赤だけど」
何食わぬ顔でそう言った久御山は、僕の耳元で「裸体、思い出しちゃった?」と囁き、ニヤリと口角を上げた。