初戀 第八十五話

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物 語
第八十五話 怨み骨髄から入る

 

「……Where can I buy a ticket?チケットどこで買うの?
「要らねえわ……」

 

無駄にデカい門をくぐり抜け、玄関にたどり着くまでの間、洸征こうせいは何度も「That’s amazing……」「Awesome!」「Incredible!」「Oh my god!」と繰り返した。要するに「マジやばい」以外の言葉を発することがなかった。

正面玄関の扉を開くと、目の前にはうやうやしく六曲一隻ろっきょくいっせきの屏風が飾られ、明らかに平時ではない、といった様子を醸していた。正面玄関はもっぱら来客専用だし、普段オレたちは少し奥まった場所にある「家族友人御用聞き専用玄関」を使うので、この佇まいには違和感しかない。

さらに、家には常勤の使用人やお手伝いさんはいないが、来客のあるときは手伝いに来てもらっている。庭の手入れを専属の庭師と植木屋に頼むようなもんで、お掃除サービスとかに近いかもしれない。

「おかえりなさいませ」
「ぅお…椎名しいなさん久しぶり…なんか、ごめんね…」
「とんでもないことでございます。コートはこちらでお預かりいたします」
「うん……ねえ、なんでこんなことになってんの…?」
「わたくしどもは御用命を承っただけでございますので…」

椎名さんはオレがこどもの頃から、来客や一族の百鬼夜行を取り仕切ってくれてるプロの執事さんで、見た目はおおらかだがオレが庭の池で釣りをした時も、茶室のふすまに落書きした時も、松の木の上に隠れ家を作った時も、鬼のような形相で追い掛けて来たおっかないじいさんだ。

 

───

 

久御山 冬慈くみやま とうじ(父)、みつ(母)、はな(妹)は、まあわかる。狐森 黒檀きつねもり こくたん(兄)、白檀びゃくだん(兄)の双子がいるのもわかる。そこに久御山 燠嗣おきつぐ(従兄)がいることも、まあわからんでもない。しかし、なぜに都築 薫子つづき かおるこ(幼馴染)がいるのか、はサッパリわからん。

「……華、燠嗣、薫、学校は?」
「それをケンソーが言うの!?」
「いや、だって今日平日だし薫は受験生なのでは」
「薫、もう自由登校だから」
「ぼくは空きコマやったんで……」
「わたしテスト前期間やから」
「なるほど……? つーか、いまから何が始まるの?」

確かに連絡はしたよ? クロに電話で伝えたよ? だからって、こんな仰々ぎょうぎょうしいことになってるとは思ってもみねえだろ、常識的に考えて。まあ、非常識な家だからこうなってる、とも言えるんだが。

「とにかく座りなさい」

冬慈さんの落ち着いた声が、逆に怖い。いままで感情をあらわに、声を荒げたところなんて一度も見たことはないけど、オレがここに連れて来たのは友人でも知人でもない、冬慈さんの知らないところで創られ隠されて来た “胚細胞クローン” という非人道的で倫理観の欠如した研究の成果であり……冬慈さんの実子だ。

 

───

 

「Give it back to me! Right NOW!!」
「なんの話だよ」
「It’s all your fault!」
「……感情がたかぶると英語になんのはわかるけど、話がサッパリ見えん」
「You did this!」
「だーかーらー……何がオレのせいだって? 心当たりあり過ぎてどれのことだか」
「……クロとシロ、どこにいるの?」
「は? え? 返せって、シロクロのこと!?」
「アンタが余計なこと言うから……」
「ちょっと待て、おまえなんも聴いてないの!?」
「聴いてるよ! クロとシロが父親のところにいることは!」
「……じゃあ自分で連絡して行きゃいいじゃねえか」
「行けないよ……コウが心配するし、クロもシロもきっとそんなこと望んでない…」

洸征はオレの腕から手を放し、力なく床に座り込んだ。なんだなんだ、さっきまでの勢いはどこに行ったんだ。

「産まれ方も、病気も、そんなことはどうだってよかった」

白い肌も、髪も、まつげも、赤い目も、不思議がられることはあっても、それで虐められたりはしなかったし、たまにからかわれることがあっても、そういうの全部シロがかばってくれたし、クロがシメてくれたし。肌を保護するクリームのおかげで、普通に外で遊ぶこともできたしね。

ケヤキがいなくなって寂しかったりもしたけど、ぼくたちはずっと一緒だったから不安なことはなかった。クロとシロが日本に行くって言い出した時も、ぼくの病気を治すためだってわかってたから……治ったらいままでと同じようにいられると思ってた。それなのに……

「日本に来て驚いたんだ。クロとシロが、あまりにも自然にこの土地に馴染んでて」
「まあ……シロクロは双子だったってだけで、失敗作じゃないからなあ……親はふたりとも日本人だし」
「ぼくもアンタも、親はふたりとも日本人だけど」
「おまえは眼皮膚白皮症がんひふはくひしょうっていう先天性の病気、オレは突然変異の完全なる失敗作……全然ちげえよ」

ずっと一緒にいたから、割と早い段階で知ってはいたんだ。ぼくがアンタのために人工的に創られた胚細胞クローンだってことはね。そんなものを用意しなくちゃいけないくらい大変なんだろうなあ、程度の感情しかなかったんだけどさ。

「でもアンタ、全っ然元気そうだし」
「それ以外の取り柄がねえからな……」
「大変な人生背負ってるのかって思ってたのに、元気で友達も多くて楽しそうに暮らしてるし」
「お、おう……なんか…申し訳ない…」
「ミナトも、クロも、シロも、アンタのこと大好きだし」
「いや、シロクロは微妙だろ……」
「そんなアンタに……命を救われたぼくの気持ちがわかる?」
「……わからん」
「財閥の本家の嫡男ちゃくなんとして将来の約束もされてて、健康な身体からだと優しい友達と、何もかも全部持ってるアンタが……ぼくと同じ失敗作のくせに何不自由なく暮らしてて、そのうえぼくの命と引き換えにクロとシロを取り上げたんだ!」
「なんかいろいろ誤解もあるみたいだけど、おまえから見りゃおおむねそんなところかもな」
「……クロとシロはぼくより父親を選んだ。それをけしかけたのはアンタだ」
「まあ、結果としてそうなったのは事実だな」
「コウにはキリシマが、クロとシロには父親が、アンタにはミナトがいるのに……ぼくだけひとりになった」
「生活基盤がアメリカにあるから帰る、ってのはおまえの意思じゃねえの?」
「日本に……ここに居場所なんてないんだよ! 帰るしかないだろ!?」

赤い虹彩の周りの結膜まで赤くしながら、洸征は大きな声でオレをとがめた。本来必要のなかった日本での居場所を、自分以外の全員が持っているという現実を受け入れるなんて、簡単にできるわけがないこともわかる。

 

「……おまえ、いま遠出ってできんの? 新幹線で二時間くらい」
「普通にできるけど、アンタと観光とかしたくない」
「オレだってそこまで物好きでも暇でもねえわ」

 

───

 

退院したとはいえクロはまだリハビリ中で、外で逢うために動いてもらうことにはさすがにためらいがあった。じゃあシロクロの暮らす離れに行けばいい、って話になるが離れとはいえその建物があるのは本家の敷地の中だ。当然そこに行くためには外側の正門を開けてもらう必要が出て来る。

となると、オレが実家に戻ることは最低限蜜さんに伝わることになり、そこで洸征と鉢合わせ、なんてことになろうもんなら大騒ぎ、とまではならないものの、ちょっとした騒ぎにはなる。いや、下手すると御家おいえの一大事として扱われる可能性すらある。至るところに防犯カメラのある敷地の中で、隠密行動を取るのは難しい。

だったら先にクロにでも話をしておけば、なんとかしてくれるんじゃねえかな、と考えたんだが、オレの思う「なんとか」と、クロの考える「なんとか」は、どうやら相当乖離かいりしてたみたいだ。

冬慈さんに座りなさい、と促されたオレと洸征はおとなしく応接間の椅子に座った。和室じゃないのは、クロにはまだ背もたれが必要だったことと、洸征がアメリカ育ちだということを考慮したからだと思う。

 

「ほな、ぼくから話さしてもらうけど」

iPadの画面を指で操作しながら、クロが口を開いた。

「久御山家の歴史については、みなさんようご存知や思いますので割愛します」

── 基本情報として、久御山本家の当主は代々長男が受け継いで来ました。男子不在の場合においてはこの限りではなく、長女が婿養子を迎えた例もあり、先代当主であった久御山 佐和さわもその例にならい婿養子を取る形で家督を継いで来ました。

時代の転換や科学、医療、技術の発達により、正当な子孫を残す手段は増え、昭和に入ると成人を迎えた直系男子はテストステロンの減少前に精子を冷凍保存するという方法を用いています。それを担っているのが、科学技術大学院大学の付属機関であるメディカルゲノムセンター、通称MGCです。

当代当主である久御山 冬慈にも当然のことながら、跡継ぎを残すという呪い…失礼、重要な勤めを課されていました。自然妊娠を見込める状態であっても時期的な操作は難しく、より確実な妊娠のため人工授精という手法が用いられています。これ自体は特別目新しい技術ではなく、主に不妊治療などでは以前から用いられています。

本家の正当な跡取りとして産まれ家督を無事に継いだ場合であっても、思わぬ事故や病気などを百パーセント避けることは不可能です。そのため、冬慈にはいくつもの保険が掛けられ、正妻である久御山 蜜以外の女性に本家正嫡子せいちゃくしのスペアである子を産ませる算段を、先代当主である久御山 佐和は画策します。

この場合のスペアとは、本家正嫡子が不慮の事態に陥った場合、正嫡子の代わりに当主となる身代わりのような立ち位置です。

その母体であった狐森 けやきは一度目の人工授精により無事着床を果たしますが、細胞分裂の結果、欅は双子を宿す結果となり、 “双子は縁起が悪く家を取り潰す” と考えられ堕胎を迫られました。その後、欅は失踪し、内々に双子を出産します。

「その双子がぼくら、狐森 黒檀と、白檀です」

しかしながら久御山 佐和はその双子の存在を知ってか知らずか、もうひとつ冬慈に保険を掛けます。そのプロジェクトは極秘裏に進められ、MGCの中でも最高機密として扱われました。これは単なる人工授精ではなく、分裂した細胞を核移植ののち培養後に体内に戻す、いわゆる「胚細胞クローン技術」が用いられています。

日本では、人の尊厳の保持、人の生命及び身体の安全の確保、社会秩序の維持などの観点から、ヒトクローン胚を胎内へ移植することは “ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律” 第三条において厳しく禁止しています。

前述のスペアは正嫡子の代理、という扱いですが、胚細胞クローンは正嫡子とまったく同じ遺伝子を持っており、正嫡子にもしものことがあった場合、完全に適合する遺伝子を利用し正嫡子を生かすためだけに創られた、いわば正嫡子専用の部品です。

「それが、今回久御山 賢颯けんそうの連れて来た、樒廼しきみの 洸征です」

洸征は眼皮膚白皮症という、先天的にメラニン色素の合成が欠損している常染色体潜性せんせい遺伝性疾患を持って産まれたため、正嫡子の部品として利用できないと判断した久御山 佐和に、母体ともども国外へ追却ついきゃくされ米国で育ちました。今回の来日目的は、ある移植手術のためです。

正嫡子のクローンということは、その正嫡子もまた洸征と同じ遺伝子を持っていることにほかなりません。そこで今回、正嫡子である賢颯からの造血幹細胞移植が行われ、洸征は無事に正常な血液を作れるようになり退院に至りました。

補足ですが、今回一緒に来日した洸征の母親には久御山 佐和に追却される以前より交際していた男性がおり、今後は日本での生活を望んでいます。

 

「さて……」

ひととおりの説明を終えたクロは、冬慈さんと蜜さんの表情をうかがうようにiPadから顔をあげた。そこにいた全員の視線は洸征に注がれており、洸征は居心地が悪そうにうつむき加減でおとなしく座っていた。

「いまの話の中で、一番悪いの、誰や思います?」

クロの質問内容に、全員が椅子から落ちそうになった。いや、この異常な事実を羅列したあとに確認することがそれなのか!?

そこで、誰よりも先に口を開いたのは華だった。

「一番悪いもなんも、いまの話に出て来た悪人ひとりしかいてへんやん」

それから華は溜息を吐き、「ほんま胸クソ」とつぶやいたあと、テーブルの上のティーカップに手を伸ばして続けた。

「アメリカ育ちってことはクロちゃんとシロちゃんとおんなしで、もう大学卒業したりしたはるん?」
「そやね、コーセイは経済学でPh.Dも取得しとるし、企業との共同研究成果が採択されたりもしとるしな」
「ほな何が問題なん?」

華は冬慈さんの顔を見ながら、なんかひと言くらい言わんかい、という念を送った。それに気付いたからか、神妙な面持ちだった冬慈さんは洸征に視線を移し、静かに話し掛けた。

「洸征くん」
「……はい」
「いままでの暮らしはしあわせでしたか?」
「はい」
「いま、一番懸念してることはなんでしょうか」
「ケネン…Concern? Anxious? You mean in general? Or about me?」
「What are you worried about?」

さすがに冬慈さんの硬い日本語は難しかったのか、洸征はフツーに “懸念” の意味を訊き返し、冬慈さんは少し申し訳なさそうに「きみは何が気掛かりなのか」と英語で問い直した。

「……Everything, or everyone and everything…anything and everything.」

洸征の答えに、その場にいる全員が肩を落とした。

 

── すべてのこと…いや、ものだけじゃなくてすべてのひとっていうか…何から何まで全部。