その11
容赦なく口の中にねじ込まれる彼女の薬指に、僕はそっと歯を立てた。
「もっと強く」
力いっぱい噛んだらちぎれそうなほど細い指。どうして彼女はこんなことを求めるのだろう。僕は迷いながら、さっきよりもう少し力を入れて歯を立てた。
「次に逢えるときまで、あなたの痕を残しておきたいの」
多分それくらいの歯型じゃ今日帰る頃までには消えているだろう。それでも彼女は何か大切なものを扱うかのように、薬指にくちづけてはちっぽけな歯型を愛おしそうに眺めた。愛してるって、しあわせなことだけど、残酷だ。
その12
生きて行くためには仕事をしてお金を稼がないといけないし、社会の中で何のしがらみも持たずにいるのはほぼ不可能だ。家族のこと、友達のこと、仕事での付き合い、体調管理。
面倒でも受け入れなければいけないことなんて、息をしているだけで降り掛かって来る。
煩わしいことを考えずに自分のことだけで言えば、世界中から隔離されて彼女とふたりきりで抱き合っていたい。彼女がいないなら僕が世の中に存在する理由もないし、そんな悲しい世界は想像すらしたくない。
それでも数時間後には、別々のベッドで眠っているだろう。
その13
僕は上半身を起こし、つながった部分が外れないよう慎重に彼女の腰を抱えて横たわらせた。
「いきそう?」
息があがって声にならない声で「うん」と答えると、彼女は僕の背中にその両腕を這わせ、まるで合図か何かのように爪を立てた。
彼女は自分の下腹の辺りを指で確かめ、その指先に絡み付く粘度の高い体液を口に運ぶ。
「あ……」
毎回のことだけど、毎回僕はその光景になんだか恥ずかしいような、いたたまれない気持ちを感じて彼女の腕を止めようと手を伸ばす。
「みっちゃんの味、確かめたいの」
彼女が微笑む。
その14
彼女を背中側から抱き締める。顔は見えないけど、このほうが密着できるから安心する。首筋に鼻先をくっつけて、思う存分腕の中の彼女を堪能する。
「ねえ」「うん」「愛してる?」「うん」愛してる。
どうしてこんなに愛しいのか、すべてが欲しくてすべてを知りたいのか、自分でもわからないくらい、どうしようもないくらい愛してる。
「わたしはみっちゃんを、手に入れてるのかな」
彼女がか細い声でつぶやいた。そうだね、と答えると彼女は動きづらそうに僕の手を解きながら僕に向き合って、僕の頬を両手で包んだ。
その15
僕の頬を両手で覆ったまま、しばらくじっと動かずに彼女は僕の目を見続けて、そして泣いた。
「え……どうしたの」
驚いて訊ねると彼女は首を横に振りながら「なんでもない」と言う。なんでもないのに泣くひとなんかいないでしょ。おおよそ、ひとが泣くのは嬉しいか悲しいか、どちらにせよ感情が揺さぶられたときと相場が決まっているのだから。
「不安なの?」
僕のこの気持ちが流れ込んで行けばわかるのにと、彼女をぎゅうっと抱き締めた。
「わたし、愛してもらえるような価値なんてない気がするの」
抱き締めた腕に力が入る。