第二十話 生簀の鯉、俎板の鯉
「本当にいいんですか?」
久御山の申し訳なさそうな声に、宗さんは笑いながら言った。
「トランクルームに突っ込んであるだけってのも、なんだか可哀相でさ」
ソファとテーブルしかなかったリビングに、50インチのテレビが設置され久御山は恐縮した。身軽に引っ越したいから、と荷物の整理をしていた宗さんが、型落ちのテレビをどうしようかと考えていたとき、行き先が決まってないなら欲しいと手を挙げたのは僕だった。
久御山はひとに甘えることも、ひとを甘やかすことも上手だ。他人からの施しは気持ち良く受け入れて相手を委縮させることがない。でも、生活に関わることに対してはなぜか、必要以上に恐縮する傾向にあった。例えばごはんを奢ってもらったり、家まで送ってもらったり、基本的にそういうことはまず断った。
テレビもDVDプレーヤーもPCもゲームも、「なくても生きていけるから」と久御山は手を出さなかった。生活費を自分で稼いでる久御山がそう思うのは当然だけど、久御山の何もない部屋が僕は寂しかった。少しだけでいい、生活感が欲しかった。そうすれば、少しは不安が払拭されるんじゃないか、と思っていた。
「よし、これで久御山に勝てる」
「何の勝負だよ」
「スマブラ」
「…ゲーム触ったこともないヤツ相手に大人気ねえな」
「ゲーム以外に勝てることないんだもん」
「……そうでもないよ」
そう言うと久御山は僕を背後から抱き締め、首筋を舌でなぞった。
「…っ……なにするんだよ突然!」
「こっちは湊のほうが勝ってるじゃん」
「こっちってどっちだよ!」
シャツの裾から両手を滑り込ませ、久御山が僕の身体を探る。身体がピクッと反応すると、久御山は僕を抱えていそいそとソファに移動した。
「ご主人さま、セックスしたい」
「誰がご主人さまだ、誰が」
「湊、してるときは可愛いのに普段なんでそんなにつれないのよ」
「ひとを好きものみたいに言うのやめろ」
「ホントのことだもーん……”久御山、挿れてぇ” って涙目で言ってるってのに」
「やめろ!!!!!」
「照れちゃって、可愛いったらないな」
「うるさいな! ほら、電話鳴ってる!」
久御山はスマホを手に取ると、しばらくその通知画面を見つめたまま動きを止め、それからやんわり立ち上がって隣の部屋へ消えて行った。
いつもなら画面を下にスマホを伏せて「いまはいいや」と笑って電話に出ない久御山が、素直に通話に応じる相手なのかな。多分、地元の友達か家族なんだろうけど……久御山は自分のことを全然話さない。
隣の部屋に消えてから三分も経たないうちに、久御山はリビングに戻って来た。ソファに腰をおろし、天井を仰いだかと思うとまた服の中に手を入れて来る。
「こら……電話、大丈夫だった?」
「うん」
「ん……どうした…あ…何かあった? ……あ…」
「ないよ……可愛いご主人さまに興奮してるだけ」
「誰が……ん…っ…ご主人さまだ……あっ…」
「湊……挿れたい」
「…えっ……」
いくら周りの空気が読めない鈍い僕でも……気付かないわけがない。服の中で動く手を押さえて久御山の顔を覗き込む。
「久御山……言ってくれないとわかんないよ」
「んー? なんもないよ、湊と気持ちイイことしたいだけ」
「……じゃあ、イイことしてあげるから教えて?」
「えっ……」
シャツのボタンをすべて外し、それから下半身を露出した僕は、ソファに浅く腰掛け背もたれに背中を預けた。
……思った以上に恥ずかしいな、これ……そう思いながら、中途半端に勃ったモノを両手で握る。「興奮してるだけ」とか「挿れたい」とか口ばっかり……気を紛らわせたいのか、もしくは何も考えたくないのか…どっちにしろ、いまの久御山に僕が映ってないことだけはわかる。
右手でそっと扱きながら左手で敏感な先端を刺激すると、あっという間に硬くなる。扱く手を左に変えて右手で乳首をつまむと、思わず声が漏れて余計に恥ずかしくなった。
「…触っていい…?」
「…ん……あ…っ…ダメ……」
左脚をソファの上に持ち上げ、やっぱり恥ずかしいな、と目を閉じる。そう思いながら左手をぬるぬる動かし、昂ぶって行く身体に神経を集中させる。羞恥心に邪魔されながら右手の中指に舌を巻き付け、クチュ……っと水音を鳴らすと、久御山がじれったい声で急かす。
「…湊……ねえ…」
足元でひざまずく久御山の肩に左脚を乗せ、唾液で濡らした中指を自分の内側に挿し込むと、焦れてる久御山の声がはっきりと興奮したそれに変わる。
「いつまで我慢させんの…」
「……限界まで」
久御山のきれいな顔が苦悶に歪む。それを見て僕は堪らなくいやらしい気持ちになる。不可能さえ可能にしそうな、できないことなど何ひとつなさそうな久御山が、こんなことで感情を露わにする。触れてはいけない部分に触れたような後ろめたさが、まるでご褒美のように僕を沸騰させる。
挿し込んだ中指で自分の一番弱い場所を焦らしながら、久御山の硬さを思い出し身体が震えた。
「もう無理限界」
肩に乗せた僕の脚に口唇を押し付けながら、久御山が僕の右手を押さえ動きを止めた。
「……ん…その秘密主義……直す?」
「直す、直すから……湊…」
ジーンズの中できつそうに圧迫されている硬いモノを咥えると、久御山が身構えた。
「湊……秒でイくからそれは……」
「大丈夫、イイところで止めてあげる」
「まだお仕置き続いてんの……?」
口の中で脈打つ硬いモノをのどの奥まで咥え込んで、口唇で根元を強めに扱くと久御山が慌てて僕の頭を抱える。
「…っ、湊! 待っ…ちょっ…無理無理無理!」
「まだダメだよ」
「いやだってそんな」
「僕を久御山のでイかせてくれるまでダメ…」
「……追い討ちかけてんじゃねえよ…」
──
「お祖母ちゃんの祥月命日?」
「うん……なんか、それだけは出なくちゃいけないって約束してて」
「へえ…なんか、ちゃんとしてるんだね」
「違うよ……こっちの学校に進む条件として出されただけ」
「……行きたくないの?」
「えー…だって湊に逢えないじゃんその間」
「一日や二日くらいどうだっていうんだよ……」
「終わった途端につれないな、おまえ……」
じゃあちょっと行って来る、と言って久御山はいつものように笑った。
そして月曜になっても火曜になっても、久御山は帰って来なかった。
***
「賢颯、伽耶叔母さんが着付けするから離れに来いって」
「ああ、うん」
「着付けなら自分でできるのに、なんでわざわざ」
「……手伝ってもらったほうがきれいに着られるから」
「…なんで髪の毛、真っ直ぐブローしてあるん」
「着物のときフワフワさせてんの、似合わへんから」
「ふうん……」
訝し気に見上げる華に気付かない振りをして、離れに向かう。
毎年祖母の祥月命日は法要が済んだあと食事会が催された。叔父や叔母、いとこだけじゃなく祖母の兄弟姉妹までもが顔を並べる食事会は、魑魅魍魎が跋扈しているようにしか見えずいつだって不快感が付きまとった。そしていつからか、その食事会には着物の着用が、オレにだけ義務付けられた。
江戸時代から続く商人の、由緒正しい家柄の見栄なのか、久御山の家に生まれた者はこどもの頃から書道や茶道などを身に付けることが当然とされ、それに伴い着付けは自分ですることが当たり前だった。
「ひとり暮らし、どう?」
「慣れて来たところです」
「こっちにも同しくらいの学校あるのに……手、どけて」
「すみません、わがまま言って」
「お兄さんも、あんたのすることにはなんもゆわへんし」
「……すみません」
「あんたに謝ってもうても……こっち向いて」
手の甲で頬をなで下ろし、きれいに伸ばした髪を指で梳かす。サラリと額に流れる髪を確かめると、もう用はないと言わんばかりに視線を動かす。
「また……色、白なったんちゃう?」
「そうですか?」
「身体だけはすっかり男んなって」
叔母は顔をしかめながら、着せるつもりのない肌襦袢をいかにもわざとらしく広げる。頭の天辺から爪先まで舐めるように視線を絡め、オレは品定めが済むまでの間、裸体で立ち尽くした。
「ほんま、なんで男なんかに産まれたんやろなあ」
「……さあ、ぼくには…」
「肌はきれいなまんまやな」
「…………」
「なんか、鍛えてんの?」
「いえ、特には」
「せっかくきれいな身体やのに、それ以上筋肉なんか付けんといてよ」
指先で腹をなでながら、叔母は吐き捨てるように言った。
「ほんま……なんでこんなもん付いてんねやろ」
脚の間で力なくぶらさがってるモノを握り、まるでゴミでも見るような目付きでその硬さを確かめ、しかし細めた目に好奇の色を覗かせながら叔母は握る手に力を込めた。
「……伽耶さん」
叔母はこんなもんを口に含むと、舌を突き立てるように絡ませ頬を紅潮させる。前回着付けに呼ばれたのはいつだったっけ……中学の卒業式以来ならもう半年以上ご無沙汰なわけか。そりゃ吮める舌使いも情熱的になるってもんだ。
──
八つになった頃突然叔母に呼び付けられ、祖母譲りだといわれる激情的な叔母を怖れた母は「絶対に逆らっては駄目よ」とオレに言い含め、まるで生贄を捧げるかのようにオレは叔母に差し出された。
玄関で立ち尽くすオレを眺めながら、顔をしかめ、眉をひそめ、口を歪め、大きな溜息を吐いて叔母は言った。
「脱いでみ」
絶対に逆らっては駄目よ。母の声が頭を駆け巡った。上着とシャツとズボンを脱ぎ叔母を仰ぐと、眉間のしわを更に深くした叔母が吐き捨てた。
「全部や」
全裸で玄関に立たされたまま、何をされるのかわからない恐怖に心臓が破裂しそうになった。
「……手、どけて」
それから叔母は、後ろを向け、右を向け、左を向け、しゃがめ、右手を上げろ、左手を上げろと言ってはオレを動かした。その様子をただ見ているだけの叔母の意図は掴めなかった。
「ほんま、きれいな身体してるんやねえ」
叔母の声は優しかったがオレを見る目はどこまでも冷たかった。家にあがることを許され、通されたリビングで叔母からケーキを受け取った。「そのまんまでおあがり」と言った叔母は、裸体でケーキを突つくオレをただじっと見ていた。
──
「伽耶さん…そんな風にされたら我慢できない…」
精一杯もの欲しそうな声で囁き、きれいに結い上げられた髪を乱さないよう、壁に手を付かせ前裾を左右に分けて腰まで一気にめくり上げる。別に盛っているわけではなく、遠慮してたくし上げるとシワになるからだ。
「賢颯……着物、汚さんといてよ……」
「気を付けます」
いまどき、長襦袢の下が裾よけのみ……由緒正しき家柄のなんたるかを物語っているようで寒気がする。脚の付け根を指で探りながらひと差し指と薬指で柔らかい膨らみを左右に広げると、あふれる愛液で中指がなめらかに滑る。濡らす手間が省けて助かるけどね……小さな突起を中指でそっと擦ると、叔母が小さく震えた。
「あ……賢颯、いきなり…やめて……」
「指ではお気に召しませんか」
壁に手を付いて腰を突き出す叔母の後ろでしゃがみ、尻の割れ目に沿って舌を這わせるとビクッと身体が大きく跳ねた。
「賢颯…! なにするん…あ……っ…賢颯…!」
「お説教なら、あとでまとめて聞きます」
「賢颯、いや……そんないやらしいこと、せんといて……」
甥を全裸にして視姦するのはいやらしくないのかよ。嫌がる叔母のもうひとつの穴を吮めながら、太腿を伝う愛液に笑いさえ込み上げて来る……
父の妹である伽耶さんは、三十九のいまでも独身を貫いている。幾度となく舞い込む見合いの話もすべて断り、言い寄る男の甘い言葉にも首を縦に振らなかったそうだ。それは何か崇高な信念があったわけではなく、ただ男が嫌いだというわかりやすく単純な理由からだった。
男は不作法で無遠慮で生活音と声が大きく細やかな気配りができない。横柄で仕草に繊細さがなく、肌のキメが粗く、汗と油のにおいをさせ、美しいところがない。そう言いながらオレを呼び付け、服を脱がせては「ほんまきれいやなあ」と目を細めた。
「あ……ああ…っ……賢颯…」
成長とともに変わって行くオレの身体に眉をひそめながら、それでも支配欲をあらわに叔母はオレを裸体にした。それまで見ているだけで触れることのなかった叔母が、下の毛を指でつまんで「こっちも色が薄くて柔らかいんやね」と言った時の恍惚とした顔を、いまでもはっきりと憶えている。
「賢颯……あ…っ…もう…ああ…」
愛液滴らせながら一族の汚点であるオレにおねだりか。奥床しい鳴き声を漏らす叔母の、まったく慎みのない柔らかい膣になんとか勃たせたモノを挿し込んで、やっぱり全然感触が違うな、と思った。
十三になってセックスを覚えたオレを、叔母は目敏く見抜きそして咎めた。まだ早いだの、世間体が悪いだのと言いながら、その実独占欲で縛り上げたいだけだということはすぐにわかった。「品良くしといてよ」と言った叔母は、品のない音を立てオレを咥えた。
「ああ……あ…こんなことばっかり……上手んなって……あ…ん…」
「伽耶さんがぼくを……こういう風にしたんです」
「いやらしい子……あ…っ……あんた…東京でなに覚えてんの…」
相変わらず目敏いんだな。
「伽耶さん以外の女性には……手も触れてませんよ」
「あ…っ…んん…あんたも…所詮男やもんな…」
「お嫌いですか?」
「はぁ…っ…華に手出したり…してへんやろな…」
……血液が逆流して視界が暗くなる。叔母の腰をしっかり抱え思いきり突き上げると、さっきまで奥床しかった鳴き声が離れ一帯に響き渡るほどの激しさに変わった。
「あんん…っ…あっ、あっ、あああ、賢颯…! いやっ…」
いや、じゃねえよ。いつもは澄ましてる身持ちの固いあんたの乱れに乱れ切ったその痴態を誰かに見てもらえよ。自分が甥の裸体に興奮する変態だから他人までそんな風に見えるんだよ。オレのことはともかく、華をどんな目で見てるんだよ。
「んん…はぁっ……あ、ああ、あ…賢颯やめて、賢颯…あ…っ…」
化け物はどっちだよ。血筋だの家柄だの世間体ばっか気にして、財産をどうこうすることしか考えない浅ましい俗物のくせしやがって。
「あっ…賢颯、あかん、いや…っ……あああ賢颯、ああ…っ…!」
「賢颯……」
「すみません伽耶さん……あまりにも良かったので抑え切れませんでした」
ぐったりと動かない叔母を横目にさっさと着付けを済ませ和室を出ると、廊下の端がギシっと軋む音が聞こえた。
「興奮してんじゃねえよ」
慌てて走り去る従兄の後姿を見ながら、早く帰りたいな、と思った。