第三十九話 幽霊の正体見たり枯れ尾花
「……なんで宗さんがここにいるの?」
「えー…仕事の都合でちょっと…」
「なんで部屋着でゴロゴロしてるの?」
「今日はほら…休みっていうか…」
「休みの日にひとりぼっちでこんなところに? なんで?」
「いろいろ都合とか事情とか予定とかさ…」
「……お母さーん、宗さんがいま付き合ってるひとって僕の」
「わあああああ!! 湊、部屋に行こ、部屋に」
金曜日、学校から帰って来ると家に宗さんがいた。有給休暇の消化が義務付けられているらしく、今日は何がなんでも出社して来るな、と上司に言われたらしい。それはホワイト企業でよかったですね、って話だけど、なんでマンションじゃなくてこっちにいるんだろう。嫌な予感しかしない。
「桜庭さんと何かあったの?」
僕の部屋でベッドに腰をおろし、宗さんはうなだれた。
「まあ、あったっちゃーあったし、なかったっちゃーなかったかな…」
「桜庭さんが失踪したのと関係ある?」
「まあ、あるっちゃーあるし、ないっちゃーない…」
「宗さん、何しでかしたの」
「なんで俺が犯人だって前提なの」
「桜庭さんが揉め事の種を植えるわけないもん」
「……そうでもないけど」
「事の発端はなんだったの?」
「……女とホテルから出て来たところでハルに遭遇した」
「有罪」
「待て、話を聞け」
── この前、会社の周年記念パーティーがあったのよ。そういうのって、大口の取引先とか懇意にしてるひとなんかも招待するんだけどさ、遠方から来るゲストには部屋を用意するんだよ。酒も入ってるし、夜遅くに帰れなんて言えないから。
で、パーティーがお開きになったあと、部屋で飲み直すから付き合えって言うゲストがいてさ。新人ならともかく管理職になると無下に断ったりもできないわけ。こっちは四人いたんだけど、なぜか俺がえらく気に入られてさ、何でもかんでも俺にさせたがるんだよ。水買って来いとか、酒頼んで来いとか。
平日だったし次の日も仕事あるから、俺以外の三人は帰したの。俺は使い走りにされてたから、先方の機嫌を損ねないようにホテルで待機することになって、その日はホテルに泊まったんだよ。あ、もちろん別の部屋だからな?
次の日、朝の6時に起こされて何事かと思ったら「帰る時間を巻きたい」って言い出して、新幹線のチケット予約して身支度してタクシー呼んでチェックアウトしてホテルから出たらハルとバッタリ。
「……無罪だろ?」
「なんでこの話を桜庭さんにしないの?」
「先方を駅に送ってすぐ電話したけどつながらないし、LINEの返事もないし、失踪したし」
「でも夜中に迎えに行ったんだよね? 久御山のところに」
「……迎えに行って家に帰ったあと、俺が家出しちゃったから」
「何やってんの、宗さん…」
「だって……」
宗さんは深い溜息を吐いて、そのまま背中からベッドに倒れ込んだ。天井を見つめながら、「俺のほうが大人だけどさあ」と小さくつぶやいたあと、もう一度溜息を吐いてベッドに潜り込んでしまった。
「どうして家出したの」
「……ハル、俺のことどう思ってるんだろう」
「は?」
「飼い主? それとも大家さん? まさかのパトロン?」
「自慢の恋人だと思ってるんじゃない?」
「……おっさんでもバツイチでも、拒絶されれば傷付くんだよ」
「拒絶、って……桜庭さんが?」
ああ、うん、思い当たる節がないわけじゃない……「目の前でガッカリされたくないんだよ」と言った桜庭さんの不安そうな顔を思い出して胸が痛む。
「宗さん、桜庭さんに余計なものを背負わせてると思ってるの?」
「いまはもう思ってないよ」
「ノンケなのに?」
「……ハル以外の男に興味ないって意味ではノンケだろうけど、他の女にも興味はないよ」
「宗さん、桜庭さんのどこが好きなの?」
「んー…俺のことが好きなところ?」
「桜庭さんが宗さんを好きにならなかったら、桜庭さんを好きになってないの?」
「まあ、そうだろうな」
「…なんか……腑に落ちない…」
「え、なんでよ」
「じゃあ、いま他の男子学生に好かれたらそっちも好きになるの?」
「は? なるわけないだろ…」
「だって、桜庭さんが宗さんを好きだから、宗さんは桜庭さんが好きなんだよね?」
「うん、ハルが好きだから他のひとを好きにはならんでしょ」
「うーん……?」
「ああ、えっと、俺のことが好きなハルの全部が好き……で、わかるか?」
「全部って?」
「顔も身体も声も匂いも仕草も性格も、まあハルを構成してるすべて? 細胞?」
「嫌なとことか、気になるとこってないの?」
「ないよ? 俺はね」
「俺はね、って……」
「俺なんかを好きになってさ」
── 俺を喜ばせよう、楽しませよう、しあわせにしようって一所懸命なの。学校行きながら掃除、洗濯、アイロン掛けに靴磨き、買い物して慣れない飯作って、マンションのゴミ当番までしてくれてさ、俺なんて仕事しかしてないってのに。休みの日も俺の都合とか体調考慮して計画立ててくれたり。
俺のために生きてるハルが可愛くて仕方ないわけ。だから俺にできることはなんだってしたいし、絶対悲しませたりしたくないんだよ。でもさ……
「嫌がるんだよね、俺が触れるの」
「嫌がるっていうか……それは…」
「それは? なんか知ってんの?」
「……嫌なんじゃなくて、怖いんだよ」
「怖い? 俺が?」
「自分の身体を差し出して、ガッカリされるのは……つらいから」
「…は? なんでガッカリ?」
「身体の造りが女のひととは根本的に違うじゃん……」
「そんなことはわかってるけど、だからってなんでガッカリするんだ?」
「…挿入感とか全然違うらしいから、やっぱり女のひとのほうがいいって思われたくないっていうか」
「思うわけないだろ、そんなこと…」
「なんで? 思わないってどうして言い切れるの?」
「俺は身体だけを抱きたいわけじゃないよ…」
地獄のように女癖が悪くて、何度バレても浮気癖が治らなくて、それでも言い寄って来る女のひとは途切れることがないから、いつだって女のひとに囲まれて好き放題やってた宗さんの口から、そんな言葉が出るなんて思いもしなかった。
***
桜庭さんの学校の近くにあるファミレスで、僕はぼんやり窓の外を眺めた。みんな大学生なのかな……あ、土曜日だから大学も休みか…行き交うひとたちの中に、どれくらい同性愛者っているんだろう。そのひとたちは、そのことを隠してるのかな。それとも堂々としてるのかな。
同性を好きになるって、そんなにおかしなことで、そんなにいけないことなのかな……馬鹿にされたり、気持ち悪がられたり、差別されたり……恋愛対象が同性だってだけで、それ以外の部分はまったく変わらないのに。
「悪い、遅れた」
「あ、いえ…お休みの日にすみません」
桜庭さんは注文を取りに来た店員にドリンクバーを頼み、僕の目の前にある空いたグラスを気にしてくれた。ついでだから、と自分のコーヒーと、僕にウーロン茶を持って来てくれた。
「話って?」
「……宗さんから、言伝が」
「…あ、そう…か…」
少しがっかりしたように目を伏せた桜庭さんに、宗さんのホテルでの顛末を伝えた。聴いているうちに桜庭さんがどんどんうなだれて行く。
「……最低だ」
「誤解してしまうのも仕方ないので」
「誤解して逃げて久御山に多大なる迷惑掛けて…挙句、宗さんを呆れさせた…」
「事前に伝えなかった宗さんにも非はあります」
「…そのことを責めるつもりはないから」
「どうしてですか? 腹立たしいとか、悲しいとか、思わないんですか?」
「思わないわけじゃないけど……宗さんを困らせたくない」
「一緒にいられなくなっても?」
「……うん…宗さんには自由でいて欲しいから」
「 “好きなひとのために離れたい” ですか? 僕を咎めたのに?」
「そうだったな…うん…」
「好きになることそのものが、何より大事なんですよね?」
── 好きだって気持ちは意思で動かせないんじゃないか? ゲイだから、ノンケだから、なんて些末なことだと思うよ。好きだから一緒にいたい、そのために何ができるか、って話じゃないのか?
他人のことになら一所懸命になれる。でも、自分のことになると途端に思考が停止する。何度も立ち止まって、悩んで迷って間違えて、そうやって覚えて行くしかないんだけど、僕らにはそれが他のひとより少しだけ難しい。
***
マンションに戻ると、玄関に宗さんの靴があった。帰って来たのか、それとも荷物を取りに来たのか。どっちにしろいま部屋に宗さんがいることは間違いない。
そっとリビングの扉を開けて中を覗いてみても宗さんの姿はなかった。書斎か寝室か……寝室の扉の前で少し躊躇っていると、目の前の扉がパッと開いて宗さんが驚いた顔で動きを止めた。
「…着替え、取りに来ただけだから」
「宗さん」
「うん?」
「おれ、実家に戻りますから宗さんは帰って来てください」
「……なんで?」
「ここ、宗さんの部屋ですし、おれが出て行くのが筋だと思うので」
「ハルはそうしたいの?」
「……はい」
宗さんは俯いて何かを考えているようだったけど、そうか、とつぶやいて笑って顔をあげた。ああ、やっぱりカッコイイな、宗さん。この整った顔と穏やかな笑顔、大好きだったな。
「じゃあ最後にひとつお願い聞いてくれる?」
「はい」
「俺の可愛いおちんちん、咥えて」
服を脱いだ宗さんがベッドの上でおれの服を優しく脱がす。こんな風に服を脱がされることが初めてで、やけに恥ずかしくなった。あの時と同じように、宗さんの舌先がおれの口唇をこじ開け上顎をくすぐると、その舌の動きにすべての感覚を奪われ息をすることさえ忘れてしまう。
首筋に歯を立て強く吸われると、それだけで頭の天辺が痺れた。慣れてるよな、宗さん……すべての所作が流れるように淀みなく、的確に身体のイイところを支配して行く。そして宗さんに乳首を吮められ、信じられない声が漏れた。
「ココ、そんなにイイの? ハル…」
「はぅ…っ…あっ…やめ…宗さ…っ…」
「やめるわけねえだろ」
「あ…っ…やっ…ダメ、う…あ…あ」
「そんなエロい声、初めて聴くんだけど」
自分の口から漏れる声が羞恥心に拍車をかける。こんな声、どこから出てるんだよ……手で口を覆っても隠せない乱れた息衝きに、宗さんは容赦なく舌と指先を動かした。
駄目だ、意識が飛ぶ……快感にさらわれそうになる意識を既の所で保っていると、別の場所に蕩けそうな刺激が加わり思わず身体を跳ねさせた。
「もうこんなにトロトロになってるけど」
「…あ…宗さん…放して」
「イ ヤ だ ね」
「お願いします…」
「こーんなにいやらしく先走り溢れさせながら何言ってんだよ」
「…っ」
宗さんの手で握られ扱かれてるという事実だけで、もうヤバい。語彙が溶け出すのと同時にイきそうになる。いつもなら割とすぐ手を放してくれる宗さんも、最後だと思っているからなのか放してくれない。
「宗さん…出そう…なんで」
「どれだけ溜めてんの? ここに来てからずっと?」
「…はい…あの、だから」
「じゃあ……はい」
手を放した宗さんは、仰向けのおれにまたがったまま、おれの口元に反り返った “可愛いおちんちん” を押し付けた。いや、全然可愛いなんてサイズじゃない。少し身体を起こしてそれを咥えると、宗さんがおれの髪を掴む。
「ん…っ…ハルの口の中、熱い…」
やっぱり、おれの舌の動きに宗さんが反応すると胸の奥がギュッと熱くなる。宗さんを感じさせたい。おれを手放す気なんて起こらないくらい、宗さんをヨくしたい。息遣いが荒くなり宗さんの腰が動くと、そのエロさに堪らなくなる。
「ハル…挿れてもいい?」
「えっ…」
「俺のすることに口出さないんだっけ?」
宗さんがしたいと思うことを咎めたくない。自由でいて欲しいし、我慢して欲しくない。いつだって自信に満ちたカッコイイ宗さんを、おれのせいで困らせたくない。それ以外に……おれが宗さんにあげられるものがないから。そばにいられるなら、おれの我慢なんて些細なものだったから。
愚息を吮められたおれの腰が思いっきり跳ねる。いきなり挿れられるのって相当痛いんだろうな……いや、痛いのは多分耐えられると思うけど…最後だとしても、宗さんにガッカリされたくない。ただそれだけが気掛かりで、消極的なまま取り繕えないところまで来てしまった。
力は抜いたほうがいいって聞くけど、緊張してそれどころじゃない…ギュッと目をつむり歯を食いしばった状態で硬直していると、下半身にあり得ない刺激が走って思わず目を見開いた。
「…宗…さん…」
「ふ…っ…あ…はぁ…」
宗さんがおれの上で、眉根にしわを寄せ口唇を噛みながら、いまにも果てそうになっているおれの愚息をゆっくりとその身体で飲み込んだ。初めてじゃないとはいえまだ二度目で、まったく慣らしてないのに…
「宗さん、痛くないんですか…」
「…痛えに決まってんだろ…こんなデカいもん挿れてんだから…」
「そ…そんな無理しなくても」
「無理しないと…手に入らねえんだろ?」
「…えっ」
苦痛に目を潤ませながら、騎乗位の姿勢で宗さんはおれを見下ろした。それを見上げているおれは、馬鹿みたいに鼓動を加速させ、宗さんの身体にいかがわしさを感じて脚を震わせた。
「俺だっておまえと同じで…おまえのために生きたいんだよ」
「……宗さん…」
「ただ言うこと聞いて気持ちよくしてくれる下僕は要らねんだわ」
「…すみません」
「おまえの代わりはどこにもいないから」
「……ここにいてもいいですか」
「もう少しわがままになれよ…」
「……動いていいですか」
「それはもうちょっと待って…」
何もかもどうでもよくなって、ただ裸体の宗さんがエロくていかがわしくて淫らではしたなくて、こんなに好きなんだということを思い知らされた。涙目で震えててもその格好良さは毀損されることなく、いやらしさが増すだけでおれの視野は狭くなるばかりだった。
「んっ…あ…あ、はぁ…あ」
「宗さん…イきそう…です…」
「うん……名前、ちゃんと呼んで…」
「……宗弥…」
「ん…体内に…出していいよ……」
恋しくて愛おしくてどうにかなりそうなほど、宗さんのすべてが好きだ ──
「あ…すご……」
「どうしたんですか?」
「ハルの精子が垂れて来る…」
「…やめてください、そういうこと言うの」
「生で中出しされたの初めて」
「当たり前ですよ…経験あるなんて言ったら射ちますよ」
「俺を?」
「相手を」
「おまえは? 賢颯くんと本当に何もなかったの?」
「…………」
「おい」
抱き締めた宗さんはあたたかくていい匂いがした。三か月ちょっと我慢していたおれは一度放出したくらいで治まるわけもなく、そのうち宗さんは本気で泣きそうな顔をした。
わがままになれ、って言ったの、宗さんですからね?