第三話 賎に恋なし
「……食べる?」
「えっ、いいの?」
いいの? も何も、そんな風に弁当ガン見されてたら落ち着いて食べられない……
「一学期最後の弁当だから、好きなだけ食べるといいよ……」
「あ、じゃあこれあげる」
昼休み、いつもいなくなるのになぜか教室にいた久御山は、購買で買った焼きそばパンをくれた。義理堅いな、久御山……
「うまっ! 甘っ! うまっ!」
「やっぱり卵焼き食べるんだ」
「藤城母の卵焼き美味い」
廊下では、珍しく教室にいる久御山を見つけた女子たちが騒いでいた。わざとなのか、話してる内容が全部聞こえてくる。
「……弁当食べてるだけなのに格好いいって言われるの、すごいな」
「意味わからんな……誰だってメシくらい食うだろ……」
「お弁当作ってあげたいって言ってるんだから、作ってもらえばいいのに」
「ひとつ受け取ると、そのあと大変だから」
「おお、モテる男は言うことが違うな」
「ああもう藤城母と結婚したいわオレ」
唐揚げを突つきながら、久御山がしみじみと言った。
「久御山、熟女もイケるの?」
「熟女って……藤城母、いくつよ?」
「えっと……三十六かな? 七かな?」
「全っ然食えるわ……むしろお願いしたいくらい」
「わあ……久御山がお父さんになる日も近いな……」
「おう、キャッチボールしような」
夏休みに入る前、久御山からLINEのIDを訊かれた。残念ながら登録する相手もいない僕はLINEをやっていなかった。一応メールアドレスなら、と伝えたところでケータイを家に置いて来たことに気付いた。メールアドレスを覚えていない、と言うと、久御山が家まで来るという。
「あ、突然行ったら迷惑だったりする?」
「全然大丈夫だけど……あの、ちょっと母が過保護気味なのは気にしないで……」
「……オレ、大丈夫かな……ドン引かれたりしない?」
「なんで?」
「ほらオレ、性格いいけど見た目がやさぐれてるじゃん?」
「性格だって充分やさぐれてるから問題ないよ」
家に着くと案の定、母が驚きのあまり言葉を失っている。
「はじめまして、久御山です」
「はじめまして……あの、湊……」
「同じクラスの……友達」
「あ、あの、お友達連れて来るなんて初めてだから、ごめんなさい、あがってあがって!」
部屋に入ると、落ち着く間もなくドアが鳴る。
「久御山くん、紅茶大丈夫? コーヒーとかお茶のほうがいい?」
「あ、紅茶好きです。いただきます」
「ごめんなさいね、湊がお友達連れて来ないから、おもてなしに慣れてなくて」
「お気遣いなく、いつも藤城にはお世話になってます」
「……湊に? この子、そんなに役に立つ?」
「ええ、この前卵焼きもらっちゃいました。美味しかったです」
「ちょっと湊、言ってくれればもっとちゃんと作ったのに!」
「……いつもはちゃんと作ってないの?」
「……今度は教えてね。利尻昆布でおだし取るから」
久御山が噴き出した。
ゆっくりして行ってね、これからも仲良くしてね、そう言いながら名残惜しそうに母は部屋を出て行った。
「久御山、マダムキラーでもあるのかよ……」
「殺しゃしないけど……藤城母、ほんとに可愛いなおい」
「そう? 僕にはよくわからないけど……」
「おまえにそっくり……いや逆か、おまえがそっくりなのか」
「僕あんななの!?」
「おう、双子かと思うくらいそっくり」
「な、なんかヤだなあ……」
母親にそっくりって……男は女親に似るって言うけどさ……
「あ、ってことは、久御山のお母さんも久御山そっくりなの?」
「逆だろ……まあ、どっちに似てるかっつったら母親じゃないかな」
「へえ……きっと美人なんだろうな……」
「でもほら、オレ突然変異だからさ」
……余計なこと言ってしまった。そして僕は気の利いたことのひとつも言えず、ごめんとか言うと久御山はきっと笑いながら上手に話をすり替えて何事もなかった顔するんだ。
「…え……おい……」
気付くと僕は久御山の頭を抱き締めていた。こんなことがフォローになるとか、そんなおこがましいことは思ってないけど、とにかく何かしたかった。ごめん、久御山……いつもおまえが優しいから、つい気を遣わなくてもいいような気になって緩んでた……しかも、ダメだ、泣きそうだ……
頭にしがみ着いてると、久御山は僕の腰を支えながら自分の膝の上へ僕を座らせた。俯く僕の顔を覗き込んで、久御山は僕の頭をなでる。
「おまえが泣くのかよ」
「……ごめん、余計なこと言って気の利いたフォローもできなくてごめん」
「藤城にそんなもん求めてねえわ」
「じゃあ何を求めてるの?」
「んー……安らぎ?」
「や……安らげてる……?」
「うん、一緒にいると安心する」
「なんで?」
「なんつーか……距離があるっつーか、オレの顔色窺ったりしないじゃん、藤城」
「距離……あるの?」
「うまく言えんけど……いい感じに他人だからさ」
「他人、か……」
「なによ、寂しいの?」
「うん」
ゆっくり膝の上から降りて、久御山の隣に腰をおろす。勝手に期待して、勝手に突き放された気持ちになって、勝手に落ち込むのはやめたんじゃなかったのか。
結局僕は弱い。落胆していいほど自分は相手に近付こうともしないくせに。何を期待してたんだ? いや、期待なんて最初からしてなかったはずだろう? 自分以外は他人じゃなかったのか? この自問自答にも疲れ果てたはずなのに……馬鹿だ。
「ごめん久御山、気にしないで」
精一杯の笑顔を作ってさりげなく言ったつもりだったけど、久御山に抱き締められ自分の演技力のなさを嘆いた。
「寂しいんなら笑うなや」
「大丈夫だよ……気を遣わせてごめん」
「うまく言えんけど……オレの周りって、すげー踏み込んで来るか、完全に拒絶するかのどっちかでしかなくて、踏み込んで来るやつらって優しいんだけど……あ、いま憐れまれてるなって気付くこととかあって……たまに息苦しくなったりした」
「うん」
「だから……オレにあんま興味もないのに卵焼き食わせてくれて、話に付き合ってくれる藤城って、踏み込んで来るくせにいろいろ事情を知る毎にオレを可哀相扱いするやつらとは違うんじゃないかなって」
拒絶なんかしない。
憐れんだりしない。
興味ない、なんて言ってない。
でも、僕が踏み込まないのは……
「他人て、どうでもいいとか関係ないとか、そういう意味じゃないから」
僕は口下手で思ってることを思ったとおりに伝えられなくて、それでもひとりぼっちは寂しくて嫌だから……誰からも都合よく利用できるよう、客観的な立ち位置で話し掛けてもらえるのを待ってるだけの臆病者だ。でもあの時から、それすら上手にできなくなって行った。
「ちょ……藤城……?」
僕なんかに話し掛けられて気持ち悪くないかなって、同じ空気吸ってて気分悪くないかなって、何か変なものを感染してしまわないかなって、僕が触った机とかチョークとか黒板消しとか汚いんじゃないかなって、いま笑顔でも明日には唾を吐きかけられるんじゃないかなって、みんな僕を嫌いになるんじゃないかなって……
「待て、藤城……ちょっと……待てって…」
そう思いながら、それでももしかしたら僕をわかってくれるんじゃないか、なんて甘い期待も捨て切れないままなんとか普通のフリをし続けた。
僕だって気付きたくなかった。僕だって普通がよかった。当たり前がよかった。でも僕は普通の輪の中にいられない。あんなことがあって、誰にも言えなくて、でもひとりぼっちは……嫌だったんだ。
「藤…し………待っ」
「……気持ち悪い?」
「そういうんじゃ……なくて」
「嫌ならやめさせればいいよ……簡単だろ」
抱えた秘密を暴かれることが怖くて、自分から近寄ることをやめただけの、小心者で臆病なだけの僕が、久御山みたいに誰からも好かれる格好いいやつの友達になれると思ってたことが……恥ずかしくて情けなくて申し訳なくて……死にたくなる。
部屋の外に声が漏れないように、久御山が口を覆ってるのがわかる。微かに漏れる吐息が少しずつ速くなる。先端からあふれる透明な体液を吮め取り、血液で満たされた海綿体を擦りながらくびれた部分に舌を這わせると、久御山の身体がビクッと小さく跳ねた。
「ん…っ……」
誰からも好かれる格好いい久御山は、こんな声で……堪え切れずにこんな声を漏らすんだ……僕なんかにしゃぶられて扱かれて、そんないやらしい声をあげるんだ……はっきりとわかる罪悪感の裏で、輪郭の曖昧な感情が首をもたげる。久御山、僕で感じてるんだ……
「…藤城…あ……ヤバい…って…」
僕の口の中で久御山の硬くなったモノがさらに硬く、膨張した。
「ごめん、藤城……っ…」
久御山は僕の頭を優しく抱え込み、僕の口の中で果てた。
思ったより僕は冷静で、口の中に広がるしょっぱいような苦いような体液を……久御山の精液ってこんな味なんだ、と飲み込んだ。あ、あれだ、この前屋上で聞いた「記念に一回くらいヤっときたい」ってやつだ。
ははっ……他人だもんな、最初から。だったら失うものなんて何ひとつない。何も失わないんだ、と諦めにも似た気持ちを確認して、次に降り注ぐ罵詈雑言を想像し、覚悟する。
「……藤城」
「うん」
「うん、じゃねえ」
「うん、ごめん」
「ごめん、じゃねえ」
「うん……」
……僕はなぜか久御山に力一杯抱き締められていた。
「はあ……情けな……」
「……なんで?」
「なんでっておまえ……こんな早くイかされるなんて……」
「え……そこ?」
「童貞かよ……恥ずいわ……」
「気にする部分が……おかしいっていうか……」
「あんなエロい顔するんだもん」
「いや、あの……気持ち悪くないの…?」
「え、力一杯気持ちよかったけど……」
「そういう意味じゃなくて」
「っていうか、なんでおまえそんなに上手いの」
……心臓が跳ね上がった。
言い淀む僕を知ってか知らずか、久御山は僕の首筋に舌を這わせながら服の中に手を入れて来た。
「ひゃっ……」
「なんだよ……すげえ感度いいじゃんおまえ…」
「や、ちょっ……あ…っ……ん、ん……」
「いい声で鳴くねえ……なに、乳首弱いの?」
「あ、あ…ん……っ…」
「ちっちゃい乳首尖らせて、そんなエロい顔するんだ」
「やめ……ダメだ…って…あ…っ…」
「ダメって顔には見えないけどなあ」
「久御…山、やめ……声…が」
「……吮めてもいい?」
なんで……?
その時、部屋のドアがコンコンと鳴った。
「久御山くん、ごはん食べてかない?」
「はじめまして、でいきなり図々しくないですか?」
「今晩ね、湊とふたりだけなのよ。だから遠慮しないで」
「それじゃ、ご馳走になります」
……パタン。
「最中じゃなくてよかったな……」
「う、うん……」
「続き、今度オレの部屋でしよ」
「……なんで?」
「ここだと藤城母に踏み込まれるかもしれないでしょ」
「や、そういう問題じゃなくて」
「それに、いまみたく鳴き声抑えなくちゃなんないし」
「そういう問題でもなくて……」
「何が問題なのよ」
「だって……久御山は女の子が好きなんじゃ……」
「まあ、女の子は好きだけど」
「だったらやっぱり、女の子とのほうがいいじゃん」
「でも、事前に性別確かめたことなんてないよ」
「そ、それはそうかもしれないけど、普通は女子としたいもんじゃないの?」
「普通って何?」
「男だし……女子を好きになるのが当たり前かなって…」
「はあ…………おまえは?」
「えっ…」
「おまえ、さっきなんでオレの尺ってたのよ」
「…………」
「オレを困らせてやろうとか思ってカラダ張っちゃったワケ?」
「ちが……そんなんじゃ……ないけど…」
「おまえはよくて、オレは女子じゃないとって意味がわかんねえ」
「男に吮められたりとか……普通は嫌がるもんじゃないの…?」
「普通って……誰から見た普通の話?」
「社会一般の共通認識として……」
「……おまえは吮めてもオッケーなの?」
「だって……僕は……」
「僕は?」
「久御山とは……違う…」
「はあ? 何が違うってのよ」
「おまえには……わかんないよ…」
「…………あっそ」
久御山はそう言うと立ち上がり、鞄を抱え扉の前で振り返った。
「好きなだけ他の男の竿尺ってろよ、バーカ」
「あら、久御山くんどうしたの?」
「すみません、急に親が家に帰って来いって……よかったらまた呼んでください」
「残念……気を付けて帰るのよ、また来てね」
やっぱり僕はおかしいんだ。