The usual Eden

Uriel and Feel
物 語

The usual Eden - Just another day -

scene.9 ユリエルの憂鬱

 

「ああ、ユリエルちょうどよかった」

神々の塔にあるユスティアの執務室に入ろうと思ったユリエルは、本日何度目かの「ちょうどよかった」を聞きフィオナを見送ったあと、執務室の中でもユスティアに「ちょうどよかった」と言われ、帰りは帰りでサリエルに遭遇し、そこでもやはり「ちょうどよかった」を聞くこととなった。

 

───

 

机の上にバサッと乗……投げ付けた・・・・・書類や封筒は机の上を占拠し、占拠し得なかった分は床へと滑り落ちる。

「……なんなんだ」
「知らんがな」
「なぜ、おまえがわざわざ?」
「それな、僕が一番訊かさしてもらいたいですわ」
「何か、ついでの用事でも?」
「一切あれへん」

内務省の本館にあるルフェルの執務室で、ユリエルは明らかに不機嫌な顔をルフェルに向けながら、「ちょうどよかった、ついでに渡しておいてくれ」と頼まれたものをルフェルに渡……投げ付けた。ついでの用事もなく、まったくちょうどでも、まったくよくもないユリエルは、わざわざ頼まれものを届けるためだけに足を運ぶ理不尽な扱いに心底辟易していた。

「断ればよかろう」
「ゆうて断る暇もあれへんさかい、いまここにおりますのや……」
「……そうか、すまんな」
「あんたからゆうといてくらはりますやろか」
「誰に、何を?」
「みんなに、僕は伝書鳩やないて」

 

───

 

なんでやねん、意味がわかれへん、と思いながらユリエルは司法省の本館にある自分の執務室へ向かったが、その間にすれ違った美の女神フローディア、戦の女神ミネルヴァ、生の女神ディオナに「最近ルフェルは元気?」と訊かれ、最後にすれ違った全能神セスにまで「最近ルフェルはどうしてるの?」と訊かれる始末だった。

「なんでやねん……」

机で頬杖を付き、眉間にしわを寄せながら書類にサインをするユリエルの姿に、法務部の職員たちは生きた心地がせず、職務に手が着かない状態に陥っていた。なんなんだ、この一触即発状態の司法長官は……外出する前は普段どおりだったはずなのに……

そこへ、ミシャが労働省から回収して来た調書を抱え執務室へと戻って来た。職員たちは慌てて駆け寄り、司法長官の機嫌が悪い理由をミシャに訊ねる。

「え、機嫌悪いの?」
「あの姿見たらわかるだろ……」
「あら……珍しいわね、顔に出るなんて」
「ミシャなら、何か知ってるんじゃないかと思って」
「なんでわたしが?」
「大天使長さまと近しいからさ……」
「ああ……でもルフェルとそんな話・・・・、しないからわからないわ」
「そうか……何かあったんだろうか」

 

───

 

目を通しサインをする決裁書類の多さと、翌日の審理に必要な資料の準備、他の部局での会議などで久々に帰りが遅くなったユリエルは、塔のある敷地の出口でルフェルと偶然一緒になった。

「珍しいな、こんな遅い時間に」
「そやねん、今日ほんま忙しかったわ……」
「ユスティアは容赦ないからな」
「融通利かへんから弱りますわ」

宿舎に入ると、ミシャとアニエルがロビーで難しい顔をしながら、他の天使たちと話し込んでいる姿が目に飛び込んで来たため、ルフェルとユリエルは見つからないよう、そっとロビーの隅を歩いて階段を目指した。しかし、これだけ目立つふたりが見逃されるはずもなく、ミシャにあっさりと声を掛けられる。

「あら、おふたりで仲良くご帰還ですか?」
「……こない遅うにようさん集って何したはんの」
「フィールがまだ帰って来ないので、探しに行く段取りを」
「まだ帰らへんて、どこ行ったはるん」
「エアリエルの話では、薬草と秘薬を取りに行ったとかで」
「いつ時分の話なん」
「お昼過ぎらしいんですけど……」
「……探しに行くなら手を貸すが」
「ええよ、僕が行くさかいあんたは早よ休んどくれやす」

ユリエルがそう言うと、じゃあ何かあったら連絡してくれ、とルフェルは自室へ向かった。ユリエルは、ミシャたちに心当たりのある場所を数か所聴くと、ほな手分けして探そか、と手際よく担当箇所を割り振ったあと、待ち合わせ場所と時間を決め宿舎から出て行った。

「司法長官、有能ねえ……」
「素敵よね……」
「素敵かどうかは別として。わたしたちも行きましょ」

ミシャとアニエル、その他の天使たちもフィールの捜索に向かった。

 

───

 

エデンの中心には神々の塔があり、その周りをぐるりと取り囲むように居住区が広がっていて、居住区の外側には商業区域や工業区域、さらにその外側には山や森などがあり、その中には手入れのされていない場所もあった。特に果ての森の周辺は普段近付く者もいないため、無法地帯となっている。

「……こないえげつないとこに薬草取りに来はることあれへんやろしな」

当然外灯などないその場所で、ユリエルは引き返そうと振り向き、何か小さなものを蹴った感覚に足元を見た。月の頼りない明かりの中で目を凝らし、多分これやな、と指先で摘まみ上げてみる。

初列風切しょれつかざきり……」

指先で摘まみ上げたそれは、抜け落ちた羽根だった。ちょう待ちいな……なんでこないとこに羽根が落ちてるん……よくよく見てみると、地面にはまだいくつか羽根が落ちている。

……この先にあるんは果ての森と…… “ノラの巣” だけのはずや……そないややこしとこにいたはんのかいな……一旦戻って……あかん、揉めてたとしたら間に合わへんやろ……時間なっても僕がいてへんかったら、探しに来よる…はず……

また難儀なことやな、とユリエルはもう一度振り返り果ての森へと向かって走り出した。

 

───

 

神々の創造物である天使たちは、神々に忠誠を誓い忠義を尽くすことが当たり前とされているが、中にはベリアルのように自ら堕天し奈落アビスを選ぶ者もいれば、位階や階級を捨て僻地に流れる者もいた。天空エデンには馴染まないが、奈落アビスにも堕ちたくないその者たちは、果ての森付近を縄張りとしてひっそり暮らしていた。

縄張りの外に出ることも、罪に手を染めることもないその者たちは “ノラの民” として区別され生かされているが、裏を返せば排除できないほどの力を持っていることから、見て見ぬ振りをせざるを得ないだけだった。縄張りに近付きさえしなければ、彼らが害をなすことはない。

……ゆうて、巣ぅに近付いたもんは帰って来ぃひんさかいな……どないしよ……

ユリエルは、果ての森から少し西に行った場所にあるノラの巣の前でしばらくためらっていた。事態は一刻を争うかもしれない、しかし揉めた場合単身でどうにかなるとも思えない、そのふたつの選択肢が頭の中で渦巻いていたがいますぐ増援が望めないことは明らかだった。

しゃあないわな、とユリエルが門を開けると盛大に木鈴の音が鳴り響き、そこかしこにあるもみの木の上から見張りの民が降りて来る。樹上に住居を構えるノラの民たちが、上から矢を放つために身構える姿を見て、ユリエルは「話し合い、ゆう雰囲気やあれへんな……」と落胆した。

 

そこで陽に焼けた浅黒い肌にブロンドの長髪を無造作に束ね、戦化粧を施した少年がユリエルの眼前に立ちはだかった。まだ幼さの残る顔をしかめながら、少年はあからさまな敵意を剥き出し口を開いた。

「……エデンの天使がこんな時間になんの用だ」
「騒がしゅうて堪忍な、ひとつ訊きたいことがありますのや」
「なんだ」
「これ……見覚えないですやろか」

ユリエルは拾った羽根を顔の前でヒラヒラと揺らして見せた。少年は、ふうっと溜息を吐くとまったく意に介さない態度でユリエルを見据えた。

「羽根が、どうかしたのか」
「どこに落ちてた思わはります?」
「知らん……縄張りの外の話は外でやってくれ」
「さよか、ほな調べさしてもらいますわ」
「勘違いするな、ここをどこだと思ってるんだ」
「……痛くもない腹探られたゆうて、なんぞ困ることあらはりますやろか」
「思い当たる節もないのに疑われることを容認しろとは……エデンも堕ちたものだな」
「あんたはん……自分とこのもんのやることなすこと、逐一把握したはるんえ?」
「できるわけなかろう……何人いると思ってるんだ」
「ほな、この羽根が無関係やとも言えへんのちゃいます?」
「民を疑ってるということか……?」
「仕事柄、疑えるもんは砂粒でも疑うよって」

その時、樹上から一本の矢が放たれ、ユリエルは仕方なく空を切った。右手に納まった断罪のつるぎで矢を落とすと、その漆黒の剣をもう一度払い、剣身は青く燃えたぎる炎を噴き上げながら周囲の空気を熱し陽炎を揺らした。

「ゆうとくけど僕、物理攻撃ちょろこいさかい、しんどいことなったら堪忍え」
「言ってることはわからんが、敵だということだけはわかった」
「敵に回したらあかん、ゆうことだけおせとくわ」

ユリエルはノラの巣の入口から奥に向かい、断罪の剣を自身の正面で振り抜いた。激しい雷鳴とともに地面に百雷が突き刺さり、剣の軌道に沿って氷のくさびが地面を突き抜け、もみの木ごと住居を薙ぎ倒す。唖然とするノラの民たちを余所に、ユリエルは再び剣を構え、「今日外に出たもんみんな連れていや!」と声を荒げた。

入口から真っ直ぐに続く氷の楔の道は容赦なくノラの巣を分断し、騒ぎに気付いた民たちが方々から集まって来る。その民をかき分けながら入口に近付いて来る集団がひとつ、阿鼻叫喚のごとく声を張り上げながら何かを必死に追っている様子が目に飛び込み、ユリエルは言葉を失った。

 

「司法長官さま!? どうなさったんですか!?」

 

婚礼衣裳……の着付けの最中と思しき姿のフィールが立ち止まると、それを追っていた集団も同時に立ち止まり、息を切らしながらフィールに懇願した。

「フィールさま、お願いでございます……試着部屋にお戻りくださいませ」
「わたくしどもがお叱りを受けますゆえ」
「そのようなお姿で外に出られるのは」
「どうかフィールさま、試着部屋に」

 

── どないなっとんねん。

ユリエルは上着を脱ぐと、フィールの頭にバサッとかぶせ、「とりあえず着とき」と促した……が、どないなっとんねん……捕らわれとることに違いなさそうやけど、思てたんと違うんちゃう? 唖然とするユリエルを、苦虫を嚙み潰したような顔で少年が咎めた。

「……触るな」
「……どゆことですやろ」
「花嫁に触るな」
「花嫁て……なんでそないややこしことなってはんのやろ」
「畏れながらノラさま、わたくしはまだまだ学びたいこともございますので」
「ならん、一族のお告げは絶対だ」

ノラさま……ゆうことは、さっきから喋ってたんがここの一番お偉いさんゆうことかいな……まだお子や思てたけど……あかん、いまはそれより。

「なんやようわからへんけど、うちとこ・・・・の子連れ帰らさしてもらいますわ」
「ならん、と言ったのが聴こえんのか」
「よう聴こえてるけど、そちらはんの都合は僕らに関係あれへん」
「災いが……降り掛かっても?」

我々ノラの民がここに根をおろしてから、もう千年以上の時間を過ごして来た。とはいえエデンの一角を間借りしているようなものだ、我々にもそれなりの礼儀がある。縄張りの外には出ない……まあ外に出ずとも森は広く、民が暮らすには充分な木もある。我々はエデンの本流を邪魔せぬよう、我々の流儀で民を守り歴史を紡いで来たのだ。

そして二日前、一族の預言者が神託を受けたのだ。果ての森から南へ一里の場所に、民を救う薬師が現れる、と。そこに現れたのがこの者だが……聞けば階級を持つエデンの天使だという話でな。階級を持ったままではノラの民にはなれん。そこで急ぎ祝言をあげ、一族の者として迎えようとしたのだ。

祝言をあげ一族の縁者となれば、素性はともかくノラの民として迎えることができる。やり方が少々乱暴でも、予言者の神託に背くと災いが降り掛かると古い言い伝えがあるとおり、我々は神託に背くことはできん。天変地異や疫病の流行など、どんな災いが降り掛かるとも言い切れん。

 

「さよか、ほな連れ帰らさしてもらいますわ」
「貴様、話を聴いていたのか?」
「ちゃんと聴かさせてもうたけど、うちとこの子譲る理由が見当たれへん」
「しかし一族のお告げは絶対だ、帰すわけにはいかん」
「……あんたなあ」

こ、これは……まずいのではないかしら……司法長官さま、あまり、その、なんというか気が長くおられないというか、平たくいうと気が短いというか……いえ、でもわたしもここで嫁ぐわけには……司法長官さま、寒くないのかしら……わたしが上着を奪ってしまったのだけれど……上腕骨外側上顆じょうわんこつがいそくじょうかの尖り具合がお美しい……尺骨茎状突起しゃっこつけいじょうとっきもこんなにきれいに出て、いや、違う。

「薬師要んねやったら素直に頼まはったらええがな」
「その者はノラの民となる運命なのだ」
「あほくさ……その神託告げたゆう神さん、誰やねん」
「わからん。だがお告げは揺るがん」
「なんや、何があっても譲られへんゆうんかいな」
「その者に定めし運命の者がおらんのであれば譲れん」
「……定めし運命の者てなんやねん」
「星の巡りによって結ばれた相手よ」
「僕や」
「……えっ?」
「貴様が?」
「なんや、そやったら話早いわ、僕がその相手やねん」

定めし運命の者て……そない大事な制約あんねやったらもっと念入りに裏取りなはれや……ゆうてその結ばれたゆう相手て、誰からもわかるよう目印とかあんねやろか……ハッタリがバレへんうちにのたほうええやろな。

ユリエルはフィールを抱き上げ、「僕のもんに手ぇ出さはるの、やめてもらえますやろか」とノラに言うと、「ほな、さいなら」と背を向け歩き出した。二、三歩ほどで足を止めると振り返り、「薬師、要んねやったら僕にゆうてくらはったらええわ」と付け足し、今度は真っ直ぐに宿舎へと向かった。

 

───

 

話の展開に着いて行ってない気がするけれど……司法長官さまが運命のお相手だとは知らなかった……わたし、当事者のような気がするのだけど、知らないっておかしくないかしら……なぜ司法長官さまはご存知なんだろう……というか、だとしたら大天使長さまとの仲をわたしが引き裂くことに……? それはかなり危険なのではないかしら……

「あの……司法長官さま……」
「どないしたん? あ、もしかして寒いん?」
「いえ、あの……おろしてください、重いでしょうから……」
「重ない重ない、そない寒い格好してんのやさかい、おとなしゅう抱かれとき」
「でも、その……大天使長さまに申し訳ないというか……」
「……なんでやねん」
「わたくし、おふたりの仲を引き裂くような真似は……」
「待ちなはれ、引き裂くてなんの話やねん」
「……司法長官さま、大天使長さまとお付き合いしておられるのでは?」

── ユリエルは足を止め、信じられないことを聞いたような顔でフィールの顔を見た。

この子……何をゆうてんねやろ……なんで僕が大天使長と付き合わなあかんねん……まさか、「ちょうどよかった」も「ついでに」も「最近元気?」も、大天使長と付きうてること前提やゆうことか……ゆうて神さんもみんなそう思たはるゆうことやんか……なんでそない話になっとんねん……

「……ひとつ、訊いてもええやろか」
「はい、なんでしょうか」
「その話、どっから聞いたん?」
「この前の地上戦に参加した精鋭部隊のみなさんが仰ってました」
「精鋭部隊……? まさか思うけど……ベリアルのゆうてたこと……」
「あ、 “そんなにイイ・・のかよ、大天使長さまのアッチ・・・のほうは” でしょうか」
「なんでそれを信じとんねん……」
「 “すくのうてもあんたよりは、楽しませてくらはりますわ” と聞けば、そういうことかな、と」
「いや、だからなんでそれを信じられんねん」
「……疑う者は誰ひとりとしていませんでしたが」

ユリエルは遠くなる意識をなんとか保ちながら、思考回路を総動員して考えた。なんぼちゃうゆうても聞きひんやろな……むしろ照れてる思われたら最悪やないか……どうせ大天使長のことや、くだらん、とかなんとかゆうて、自分が気になれへんから野放しやで……なんしか回避できひんやろか……

「……ひとつ、頼まれてくれへんか」
「はい、なんでしょうか」

 

───

 

時間を過ぎても待ち合わせ場所に現れないユリエルを心配したミシャたちは、ルフェルを伴い果ての森方面へ行こうと宿舎を出て来たところだった。そこへフィールを抱きかかえたユリエルが戻り、緊迫した空気が一瞬で安堵のそれに変わる。張り詰めていた気持ちに余裕が生まれたミシャたちは、あらためてユリエルを見た。

ユリエルに抱きかかえられ、その首にしっかりと腕を回すフィールの姿を確認し、そのあと全員が恐るおそるルフェルを仰ぐ。無表情極まりない顔で「何があった」と訊くルフェルに、「ノラの巣、破壊してもうて」とユリエルが答えると、「……外交問題だな」と言い残し、ルフェルは自室へと戻って行った。

── 大天使長さまはこの状況が気にならないのだろうか……どこからどう見ても司法長官さまの浮気が発覚した現場じゃないのか……あの短い遣り取りは暗号か何かになっていて、おふたりにしかわからない会話がなされたのだろうか……

ユリエルはフィールを抱きかかえたまま、「遅うまではばかりさんやったな、ほな」と言って自室へと戻る。当然みなユリエルとフィールのことに興味津々だったが、「大天使長さまは大丈夫なんだろうか」と、そちらの心配をする者のほうが多かった。

ミシャはアニエルを気に掛けたが、アニエルは「司法長官さまのお姫さま抱っこ、まるで王子さまみたいよね……」と、感嘆の溜息を漏らし、想像の斜め上を行くアニエルの想いはミシャを安心させた。

 

───

 

ユリエルは自室でフィールを解放すると、大きな溜息を吐いた。まあ、いまのであんじょう治まるとはさすがに思てへんけど、なんしか誤解は解けるんちゃうかな……解けへんか……考えながらユリエルはもう一度深く溜息を吐く。

「あの……司法長官さま、大丈夫でしょうか」
「あかん、大天使長と付き合うてる思われてんのがもうあかん」
「……なぜでしょうか」
「……そこ、疑問に思わはるとこなん?」
「お美しいおふたり……お似合いだと思うのですが」
「待ちなはれや……美し美しないは関係あれへん」
「おおありでございます! 何より見てる者の心を癒します!」
「見とるもんの心癒すために、当事者の心へし折ったあかんやろ」
「へし折られるほど、大天使長さまと恋仲になることに抵抗が?」
「抵抗しかあらしまへん……」
「他に慕っておられる方がいらっしゃるのでしょうか」
「いてへんけど、待っとくれやす。なんでそないに大天使長推してくんねん」
「心が洗われます!」
「その前に目ぇあろて来たほうええんとちゃいますやろか」

大天使長が大元帥と付き合うてても、諜報部長と付き合うてても、防衛総局の大将と付き合うてても、驚かへんし好きにしはったらええ思うで。ゆうても、あのおひとは生粋の漁色家やさかい、男に興味ないやろけどな。僕は身ぃに覚えのない噂で騒がれるんが嫌やねん。大天使長と付き合うてたら堂々としとるがな。まずないけど。

「なるほど……仰ることはごもっともです」
「あない恐ろしいほど整うたはるおひとには、相応の相手がいたはるやろ」
「司法長官さまだって十二分にお美しく整ってらっしゃいますよ」
「そらおおきに……」

そう言うと、ユリエルは別の溜息を吐いた。

「わたくし、言ってはならないことを言ってしまいましたでしょうか」
「いやええねん、童顔なのも力ないのもわかってるし」
「えっ……そこですか?」
「どこやねん」
「長身でお顔も小さく、目測で肩幅47cm胸囲89cm胴囲70cm腰囲87cm、肩峰の繊細さ、上腕骨外側上顆じょうわんこつがいそくじょうかの儚さ、尺骨茎状突起しゃっこつけいじょうとっきの美しさ、前腕伸筋の色気と上前腸骨棘じょうぜんちょうこつきょくの煽情的な佇まい……骨盤と大腿骨の隙間が作るお尻の窪みも芸術品のようで、とても男性らしく素敵でいらっしゃるのに」
「いやっ、待って、何の呪文やそれ、上前腸骨棘てどこや」
「あ、腰骨です」

ゆうて寸法大体合うてるしどないやねん……

「ここまで骨褒められるんも初めてやわ……」
「司法長官さまのお身体は、本当にお美しいです……どれだけでも眺めていられます」
「……きみ、変わってるて周りから言われへん?」
「いいえ? 司法長官さまのお身体は衛生局でも大人気ですよ?」
「どないやねん」
「ここだけの話ですけど、入院されておられる時もみなさん代わるがわる眺めに来てましたし」
「それを本人に漏らしてどないすんねん……」
「あ、そうですね……内密にお願いいたします」
「ゆうて骨ばっかモテてもしゃあないわな」

お言葉ですけど、大天使長さまのお顔のお美しさ、大元帥さまの筋肉のお美しさ、司法長官さまの骨格のお美しさはエデンの三大至宝です! それこそ有無を言わさぬ力でひとの眼を奪い、その視線を放さぬお美しさを持っておられるのに、どこを不服に思う必要がありますでしょうか。

「考えてみて欲しいねんけどな」
「はい、なんでしょうか」
「骨格見せる前にモテへんことには、その武器使われへんのとちゃいますやろか」
「……あ、ではすでにお身体の隅々まで知り尽くしているわたくしが責任を持って」
「責任を持って、なんですやろ」
「身の回りのお世話をさせていただきます」

堪え切れずユリエルが噴き出すと、フィールは「いまの話のどこに笑える要素があったのかしら……」と頭を捻った。笑たらあかん思うけど、なんでこの子こない真面目に僕がモテへん思て心配したはんのやろか。可愛かいらしとか美しゆうて褒められるのん、そない嬉しないな思ただけやのに、いつの間にかモテへん話なってるし。

「あかん、きみおもろいな……ゆうて身ぃの周りのことは間に合うてるけど、何してくらはりますのん?」
「何でもお申し付けください! 着替えも介助もできますので!」
「大天使長よりできることは多そうやなあ」

ユリエルはフィールの前に立つと、腰を屈めその顔を覗き込んだ。緩くクセのある前髪の隙間から、澄んだ空色の瞳がやわらかな光を放つ。猫のようなアーモンドアイの虹彩は大きく、瞳の中にダリアが花開いたような模様がくっきりと刻まれていて、神秘的な雰囲気を醸し出した。

その瞳の、何かを語り掛けるようなやわらかな光を見つめフィールは「あ、これがアニエルの言っていた美しく素敵で優雅な瞳なのね」と、「確かにこれを、この至近距離でされたら落ちる者がいるのも頷けるわ」と、神秘的に煌めく瞳を堪能していた。それにしてもやはりお美しい……鼻中隔軟骨の細く真っ直ぐなこと……

「ほな、助けたお礼も兼ねてひと晩付き合うてもうてええ?」
「はい! お任せください!」
「本気かいな」
「ですが司法長官さま、明日のお仕事に差し障りございませんでしょうか」
「僕は平気やけど……きみ大丈夫なん?」
「はい、体力にだけは自信がありますので!」
「体力……」
「では何をいたしましょう。チェスはあまり得意ではありませんが、トランプなら……お喋りは得意です!」

当然ユリエルは噴き出した。

「そう来るとは思わへんかったわ」

ひと晩付き合う、という言葉をそのままの意味で捉える純粋な天使がいる、ということにユリエルは笑いが止まらなかった。あの大元帥でさえきっとその言葉の本意くらいわかるだろう、と思うとさらに笑いが止まらない。

もしかして、わかっていてわざとはぐらかしているのだろうか、とフィールの顔を見るが、当のフィールはユリエルが笑っている理由がわからず明らかに戸惑った顔をしていることから、純真無垢なのだろうな、とユリエルは確信を得た。

「遅うまで大変やったな。明日も早いやろからお帰り」
「ひと晩付き合うという話は……」
「冗談のつもりやったけど、通用せんゆうことがわかったわ」
「冗談……でしたか」

納得行かないような、寂しいような、フィールは複雑な面持ちで「失礼いたします」と頭を下げた。その姿を見たユリエルはフィールの頭をくしゃっとなで、瞳を覗き込みながら言った。

「ひと晩やのうて、付き合わへん?」
「付き合う、と仰いますと」
「言葉通りの意味やねんけど」
「かしこまりました!」

フィールは元気よく答えると、ユリエルに見送られながら自室へと帰って行った。

 

───

 

神々の塔の前にある小さな噴水のふちに腰掛け、いつものようにミシャとフィールが他愛のない話に花を咲かせている最中、ミシャにせっつかれたフィールは昨夜のことをミシャに説明していた。ミシャにしてみれば司法長官のプライベートな話は超が付くほどのゴシップでしかない。

「あんなによく笑われる、朗らかな方だとは思わなかったわ」
「……朗らかって、一体誰の話なのかしら」
「司法長官さまだけど……おかしい?」
「少なくとも司法省の職員なら、まず怖くて司法長官の部屋になんて行かないわよ」
「それは単なる成り行きというか」
「ルフェルが可愛く見えるもの……」
「……そんなに怖い方には見えないのだけど」
「で、司法長官と付き合うの?」
「ええ、何にお付き合いするかはまだわからないのだけど」
「……アヴリルと変わらないくらい鈍いんじゃないかしら」
「……誰が?」

ミシャは溜息を吐き、普段なら絶対に思わないことが脳裏をかすめた。司法長官、可哀想……考えようによっては楽しい展開になるのだろうけど、明らかに「付き合う」って意味がフィールには伝わってないわ……

まあでも、ルフェルと司法長官が付き合ってるって話は勘違いなのね……せっかくルフェルを強請ゆするネタができたと思ってたのだけど……

残念な気持ちでミシャが司法省の本館に向かい歩いていると、後ろから声を掛けられた。

 

───

 

執務室で書類を山積みにしているユリエルに、「司法長官、お客さまがお見えですが」とミシャは声を掛けた。

「客……? そない予定ないねんけど、誰?」
「翼はなく、金髪を後ろで束ね、戦化粧を施している少年……のようですが」
「……通したって」

 

ミシャに促され執務室のソファに案内されたノラは、落ち着かない様子でソファに腰をおろし、注意深く視線を動かした。

「はばかりさん、思てたより早う来はったなあ」

ユリエルがノラの前で腰をおろすと、ノラは少し安心したように動かしていた視線をユリエルで止め、それから小さく頭を下げた。

「わざわざここまで来はったゆうことは、薬師のことやろけど」
「そうだ……我が民のためにも取り計らってもらいたい」
「そら構へんけど、人選はうちとこで任せてもうて」
「フィールが欲しい」
「……帰んなはれ」

 

ユリエルとノラの遣り取りを聞きながら、当の本人が聞いても何が起こっているのかわからないでしょうねえ、とミシャは笑いを堪えることに全神経を集中させた。

そして執務室に呼ばれたフィールが殺気立ったふたりに戸惑い、何が起こっているのかわからない、と涙目になるまでにそう時間は掛からなかった。