あのときの僕の話をしよう 14

あのときの僕の話をしよう
物 語

その66

「理想的か? フラれるかもって泣いて真夜中に後輩の部屋でこんなことしてる僕が、彼女を大切にしてそうか? 憧れる要素なんてどこにあるんだよ」

高まる感覚とは裏腹に、言葉はやけに冷静に出て来る。最低だな、と自己嫌悪さえするのに止められないこの気持ちは何なんだろう。

「それでも、楠本さんが好きです」

右手で腕を押さえたまま、左手で湊のシャツをたくし上げ、その細くて白い肌の痛々しさが、僕を止めた。

 

「…これって、セーフ?」
「楠本さん的にはセーフですね」
「湊的には?」
「…アウトです、もちろん」   

 

その67

「…まあ、頼りになる先輩のすることじゃないな」

湊の肩を抱き起こし座らせると、湊は小さく溜息を吐いた。

「…少し期待しちゃいました」
「…何を?」
「その手に、抱かれることを、です」

何かを見透かされたようで、言葉に詰まる。湊の頭をクシャクシャなでたら「そういうところですよ!」と叱られた。どういうところだよ。

「今日のこと、他の誰に言ってもいいけど神崎部長にだけは内密で頼む」

そう言うと湊は笑いながら「社内メールで押し倒されたって回覧します」と楽しそうに言った。市中引き回しみたいなものですか。

 

その68

明日は打首獄門かもな、と思いながら駐車場に車を停め、ポケットの鍵を探りながら階段をのぼると、部屋の前に、彼女がいた。もう夜中の二時を過ぎてるのにこんな所で何してるんだ。

「…どうしたの?」
「待ってたの」
「何で?」
「理由がなくちゃいけないの?」
「そういうわけじゃないけど」

部屋に入ると彼女はそのままベッドに潜り込んだ。まさか、わざわざ寝に来たわけじゃないだろう?

「何か用があったんじゃないの?」
「顔が見たかっただけ」
「…他には?」
「からだに触れたかっただけ」

…昼間の男はどうした?

 

その69

彼女のLINE、彼女の電話、昼間の男。

全部同じなのか全部別人なのか。何をどうすればいいのかわからなくて、とりあえずベッドに腰掛け溜息を吐いた。 背中から抱き着いた彼女が、ひとつひとつシャツのボタンを外す。背中に頬を押し当て、僕の胸を抱き締めながら「どうして連絡くれないの?」と彼女は寂しそうにつぶやいた。

どうして?

「…夜中の電話、誰から?」
「母だけど」
「何で出ないの?」
「…最近頻繁に掛けて来ては、お見合いの話をするから」
「…お見合い?」
「うん」

…お見合い? こんなに都合よく?

 

その70

「するの?」
「何を?」
「お見合い」
「断ってる」
「どうしていままで黙ってたの?」
「心配するかと思って」

じゃあLINEと昼間の男は?

「みっちゃんがいいの」

そう言うと彼女は僕にしがみ付いたまま泣き出した。

本当に狡くて賢い。

ここでからだを使わないところが、実によく計算されてて感心する。いまの彼女は「彼氏が何かを誤解して連絡もくれなくて、待ってたけど寂しくて真夜中に逢いに来た可哀想な女」そのものだ。途中までシャツのボタンを外し、強い女を演じてる「フリ」さえ忘れない。世界一寂しくて強かだ。