初戀 四方山話 其の参

初戀 TOP
物 語
四方山話 其の参 とある世界線の初日の出

 

クリスマスも終わりひと息吐いたところで、年始の準備に余念のない姉から花を買って来いと申し付けられ、生け花用の花を適当に見繕って届けたところ、事件は起きた。

宗弥むねひさ、今年も来るの? 桜庭さくらばくん」
「呼べば来るんじゃないか?」
「はっきりしてよー、用意するものの数が変わるんだからー」
「あー、うん、来る、来ます呼びますお願いします」
「……ねえ、ひとつ気になってたんだけど」
「んー? 何よ」
「もしかして、離婚の理由は桜庭くん?」
「…っ!!!!!」

 

── これは かなり マズいというか ヤバいというか…

 

 

「…っていう遣り取りがあったんだけど、ハルどうする? 来る?」
「あの、行っても大丈夫なんですか?」

自宅で晩飯の用意をするハルにそれとなく訊ねると、珍しく手を止め興味深そうに俺の顔色を窺いながら、椅子に腰をおろし話をする体勢を整えた。いや、そこまで真面目に取り合うことでもないんだが。

「おまえに危害が及ぶことはないけどさ…」
「どういう立場で行けばいいんですか? 去年は友人でしたけど」
「おまえ、恋人ですつって来る勇気、ある?」
「おれは全然構いませんけど、宗さんが困るのでは?」
「困るっつーか、怖いっつーか……」
「宗さんが怖がるってどれだけ…」
「あいつは……姉ちゃんは悪魔の申し子なんだよ…」

見ての通り、姉ちゃんは小さいし力もないし、性格も穏やかでどちらかといえば内気なんだが、超が付くほどの天然でおまけに正義感が強いというか、曲がったことが嫌いというか。

昔な、出掛けようと思ってシャワーしてたんだけど、あがったら持って来たはずの着替えがないの。シャツもパンツも全部な。しかもシャワーする前に脱いだものすらないの。それどころかタオルもバスタオルも一切ない。どういう状況かわかるか? リビング横切らないと自分の部屋にたどり着けないのよ、実家の間取りがさ。

なんとか突破できないもんか、洗面所ひっくり返して探したわ。その時の俺に与えられたアイテムは三つだ。洗面器と母ちゃんのブラと姉ちゃんのショーツ。なあ、これで俺にどうしろっつーんだ?

「……爆笑してんじゃねえよ」
「そっ…そ……それで、結局どうしたんですか」
「大声で姉ちゃん呼ぶしかねえだろ」

そしたら、しれーっと着替え持って来て、「五千円になります」って真顔で言いやがる。当時、十五だった俺に五千円は大金よ? 払えるわけねえって突っぱねたら、じゃあ一生そこにいろ、と。もしくは、二度と浮気はしませんって誓え、と。

「浮気……ですか?」
「……姉ちゃんの友達と付き合ってたんだけどさ……ちょっと別の女の子とナニをアレしちゃって」
「ああ、速攻でバレたわけですね」
「もー姉ちゃん、女関係に厳しくてさ……」
「おれははるかさんの味方です」

姉ちゃん、結婚して実家を出てからもちょこちょこ俺の監視に来てたっつーか、不純異性交遊させないために目を光らせててさ……制服のポケットに入れてたハンカチが黒いレースの股割れショーツにすり替わってたり、部の合宿の荷物に薔薇本入ってたり、ありとあらゆる嫌がらせを繰り返されたんだよ、そりゃー猛烈に。

「鬼すらひれ伏す所業を真顔でするヤツに、妻帯者の分際で現役DKに目移りしたなんてことがバレたら」
「……目移りしたんですか? 男子高生に?」
「あー……まあなんていうか、姉ちゃんはヤバいって話で」
「なるほど、それで? 目移りしたんですか?」
「やっぱり友人ってことにしとく? あ、それとも正月だからハルも実家に」
「宗さん……」
「……しょうがねえだろ、気付いたらそうなってたんだから」
「そうなってた、って?」
「あーもーしつこい! 気付いたら好きになってました! もういいだろ!」
「……恋人だ、って紹介してください」

ハルはいつも通り、能面の如く感情の読み取れない顔で再びキッチンに立ったが、なんとなく後姿が楽しそうに見えた。姉ちゃんの悪魔の所業か、俺の情けない話か、遅ればせながらの告白か、どれが琴線に触れたのかはわからない。でも、楽しそうにしてくれてるんならいいか、と俺は腹をくくった。

 

***

 

「お節料理、作るの初めて」

久御山は我が家のキッチンで包丁を握りながら、身長に合わない作業台に腰を痛めつつ袋から里芋を取り出した。

「作ったことあるDKのほうが少ないんじゃないか?」

ダイニングテーブルでお茶をすすりながら答えると、「花嫁修業ってヤツだ」と久御山はドヤ顔で振り返る。

そうちゃん、花嫁なの?」
「うん、オレのほうがドレス似合うと思うんで」
「ああ、確かにみなとより華やかだもんね!」

久御山と付き合ってることを母にぶっちゃけたあと、母と久御山はまるで本当の親子のように仲良くなった。それは喜ばしいことだけど、ふたりで楽しそうにキッチンに立っている姿に、違和感を覚えるというか、少々複雑な気持ちだ。

「こうして見てると、母と娘のようでキッチンが華やぎますね」
「……お父さん、自分より大きい娘ってどうなの?」
「湊くんも僕より大きいですし、こどもが親より大きくなるのは世の常かと」
「娘の性別が男だっていう世の中が常識だったことはないからね!?」

男子厨房に入らずだか、入るべからずだかで育てられただろう久御山のこんな姿を見て、京都のお母さんは卒倒したりしないだろうか……なんとなく申し訳ないような気持ちになりながら覗き込んでみると、不器用な手付きで一所懸命里芋の皮を剥いている久御山がとても可愛く見えた。

「湊も一緒にやる?」
「え、僕はいいよ……嫁に行く予定ないから」
「いまどきは夫もごはん作れないとダメらしいよ?」
「……熟年離婚されたとき餓え死ぬから?」
「お互い、しあわせな結婚生活を送るためだろ! なんでいきなり離婚なんだよ!」
「ああ、なるほど……でも、ぜーんぶ妻に任せっきりで、靴下がどこにあるか知らない夫になるのはヤバいかな」

やれやれ、と立ち上がりキッチンで手を洗うと、母は笑顔で僕に包丁を差し出した。調理実習で人参切ったことくらいならあるから、里芋だって似たようなもんだろ、と皮に包丁をめり込ませると、なぜか父が隣で手を洗っていた。

キッチンで里芋と格闘する185cmの男子高生と186cmの男子高生、それと180cmの大学教授。年末にどんだけシュールな絵面だよ。

母は「飽きたら言ってね」とお茶をすすりながら、男三人の背中を眺め笑っていた。

 

***

 

「お、賢颯けんそうくんもう来てたんだ」

大晦日の夕方、お節作りも一段落して今度は年越しそばの用意を始めた母と久御山を、働き者だなあ、と生あたたかい目で眺めていたら、宗さんと桜庭さんがやって来た。母は嬉しそうに桜庭さんを振り返り、「寒かったでしょう」とすぐさまお茶の用意に取り掛かる。

「久御山、今年は三十日から泊まりで花嫁修業してるよ」
「花嫁修業、とは……?」
「お邪魔します、今年もお世話になります。これ、母からお年賀です」
「桜庭くんいらっしゃい、お年賀なんて気にしなくてよかったのに…あ、リーベルさんのズコット!」
「遥さん、フルーツお好きかなと思って」
「大好き! ありがとう! あとで一緒にいただきましょうね!」
「…で、花嫁修業って賢颯くん何してるの?」
「遥さんと一緒にお節料理作ったんですよ、味付けはほぼ遥さんですけど」
「へえ、ハルも呼んでもらえばよかったのに」
「あ、本気で呼んで欲しかったです…修行させて欲しい」
「いまどきは夫もごはん作れないとダメなんだって、宗さん」
「ほお、それはまたなんで?」
「熟年離婚されたとき餓え死にするし、着替えの片付けてある場所すら知らない夫はヤバいし」
「…………ほお」

 

かくして大晦日の我が家では、185cmの男子高生と186cmの男子高生と180cmの大学教授、それから184cmの男子学生と187cmの商社マンが、入れ代わり立ち代わりキッチンやダイニングで蕎麦を茹でたりネギを切ったり皿を洗ったりと、大変暑苦しい光景が繰り広げられた。

 

***

 

お節料理の準備はバッチリだし、年越しそばも食ったし、あとは煩悩を振り払うために酒豪三人と酒盛りしながら、ババ抜きと大富豪とUNOでアツくなって気付いたら年が明けてた! っていうお約束を果たせばいい。

れんさんも宗弥さんも桜庭も、たかがカードゲームと手を抜くこともなく、持てる頭脳を総動員して勝ちに来るためオレも気が抜けない。ちなみに、カードゲームで勝敗が付かなかった場合は、当たり前のように麻雀大会が始まるので更に気が抜けない。まあ、オレには年齢ハンデとして交代要員の湊がいるから今年は勝ち確だ。

「湊、受験勉強してんの?」
「ぼちぼちやってるよ」
「おまえ、ハルみたいな悲愴感まったくないな」
「おれ、そんなに悲愴感漂ってましたか」
「うん、あの頃なんか追い詰められてやらかしてたじゃん」
「……そうでしたね」
「なに、桜庭なにやらかしたの?」
「なんでもない…久御山は? 受験勉強してるのか?」
「桜庭さん、久御山は勉強なんてしなくてもヨユーで志望校受かりますよ…」
「賢颯くん、志望校どこなの?」
「湊と同じところ受けようと思って」
「へえ、模試とかどんな感じ?」
「宗さん、年越しくらいのんびりさせてあげてよ」
「あ、そうだな……賢颯くん、そろそろ日本酒行く? まだビールがいい?」
「ポン酒行きまーす」
「久御山くん、獺祭だっさいと立山、どっちがいいですか?」
「立山冷やでいただきます……あ、グラスとおつまみ、遥さんに頼んで来ますね」
「ねえ、久御山まだ高校生だからね? お父さんも宗さんもほどほどにね?」
「湊は? おまえ全然呑めないの?」
「僕もまだ高校生だからね…」
「そんだけデカい図体してんだから大丈夫だろ、呑め呑め」

 

グラスとつまみのちくわきゅうり&ちくわチーズを手に戻ったオレは、一瞬にして酔いが醒めた。

「おいしいね、これ」と上機嫌で、八海山の発泡にごり酒を吞んでいる湊の顔はすでに緩みまくっているではないか……これはかなりマズい展開になりそうな悪寒……慌ててグラスとつまみをテーブルに置き、ペットボトルのウーロン茶に手を伸ばしたオレの手首を湊が掴む。

「…くみやま、あつい」
「あ、うん、そろそろ休む? 湊もう眠いんじゃない?」
「ねむくない…でもあつい」
「じゃあ着替えに行こ? な?」

ちょっと休憩くださーい、とゲームを離脱し、渋る湊の腕を半ば強引に引っ張りながら二階にある湊の部屋へ入ると、それはそれは男らしく、恥じらう素振りなど微塵も感じさせることなくあっという間に全裸になった。

「あつい……」
「つってもおまえ、真冬だぞ? せめてパンツくらい……」
「ん……じゃあ、はかせて?」

ベッドに転がった湊は、それを眺めているオレに向かい片脚を差し出した。ああ、うん、こういう光景も最近なかなか見れないからな……もう少し堪能させてもらってから……

「……くみやま?」
「うん、酔ってる湊可愛い」
「よってない」
「酔っ払いは必ずそう言うんだよ……ね、ね、ね、両方の膝立ててみて」
「ひざ? なんで?」

不思議そうに聞き返した湊は、しかし素直に寝っ転がったまま両膝を立てた。その両膝を掴み左右に開くと、まったく拒むことなくあっさりと開脚する湊が目の前で頬を上気させている。……よし、ダメだ。状況を考えると、これ以上先に進むことは絶対にできない。美味しいシチュエーションなのに。

「……どうしたの?」
「いや、とりあえずパンツ穿こうか」
「やだ」
「やだ、と言われてもだな」
「……しよ?」
「じょ、状況が状況だけに……」
「く み や ま」

誰か、この耳元で吐息混じりに囁く悪魔をなんとかしてくれないか……

 

───

 

耐えに耐えまくり、やっと湊が寝落ちたので下に戻ると、漣さんも宗弥さんも桜庭も、あろうことか遥さんまでが「随分と早かったですね」とでも言うように、意外そうな顔でオレに視線を注いだ。何にもしてませんから!

 

そして、年齢ハンデを失うという窮地に立たされながらも、オレは年越しカードゲーム大会を二位であがるという根性を見せて新しい一年が始まった。