四方山話 其の弐 とある世界線のジングルベル
今年も毎年恒例の「クリスマス久御山争奪戦」が繰り広げられていた。どうでもいいけど、久御山が受験生だってことみんな完全に失念してないか? 受験生にクリスマスも正月もないってのが、世間の常識じゃないのか? どうせ久御山は受験勉強なんてしないだろうし、関係ないっちゃー関係ないけど。
そしてなぜか、今年は僕にも声が掛かる。女子から。いや、男子からならいいのかっていうと、そういうわけじゃないんだけど、百パーセントあり得ないクリスマスデートの確率が、女子なら更に下がるというだけで。呼び出されるたびに丁重にお断りするのも疲れるな……やっと教室に戻り席に着くと、沓川が机に腰を掛けた。
「クリスマス中止のお知らせ」
「なに、今年もサンタ逮捕されたの?」
「受・験・生だからだよ!」
「……沓川、勉強するの?」
「彼女が塾でさ……冬期講習の集中講座だとかなんとか」
「ああ…それはしょうがないね」
「だから藤城もシングルベル鳴らしとけ」
「いや、うん…元から僕に予定はないよ…」
「おまえ、あーんなにモテんのに!?」
沓川は一年の時同じクラスだったヤツで、一ノ瀬同様なんだかんだといまでも付き合いがある。確か去年のクリスマスは、彼女が風邪ひいて寝込んでたんだっけ……教室に戻って来た久御山に軽く蹴りを入れながら、沓川は恨みがましい声を出す。
「おまえはやっぱり……可愛い彼女と過ごすのか?」
「え、なに? クリスマス?」
「おう、さすがに受験生だから今年はおひとりさまか?」
久御山はゴソゴソとポケットからスマホを取り出し、しばらく指で操作したあとその画面を沓川に向けた。
「おお…可愛いな相変わらず……って、最近の写真ないの?」
「撮れないんだ……彼女…もう、いないから」
「えっ……別れたの!? まさか」
「うん、もう…この世にいないんだ」
「……え…うそ…そんな…ご、ごめん…」
久御山は僕の後ろにまわり、それから肩に手を置いて小声で沓川に言った。
「二年経ったらこんなんなっちゃってさ」
「……は?」
「まさかオレよりデカくなるとは思ってなかったけど」
「……は!?」
「もう女装しても女の子には見えないよなあ」
「はあああああ!?」
───
「おまえ、あんなことバラしてよかったのか?」
久御山の家で一応形だけの受験勉強をしながら、それとなく訊いてみた。
「あんなことって?」
「彼女が……僕だった、って…」
「なんか問題ある? アレがおまえだったのも、おまえと付き合ってんのも事実じゃん」
「つ…付き合ってんのか…な……」
「あ? もしかしてまだセフレだとでも思ってんのか?」
「思ってないよ! 最初から思ってない!」
「じゃあいいじゃん、どこに問題あんの?」
「……なんていうか……僕が相手だと普通にデートとかできないしさ…」
「普通にデートって? 手つないで歩いたり道端でチューしたり?」
「……チューはともかく、まあ、そんな感じ…」
「すりゃいいじゃん? なんでダメなの?」
……はい? 普通は男同士で手つないでデートなんてしないものだぞ?
「く…久御山は平気なの…? その…僕と手つないで…なんていうかゲイ扱いされるとか」
「恋愛対象の性別がどうだろうと、それ以外の部分は何ひとつ変わらないってのに、何を気にするわけ?」
「え、うん、まあ…それはそうだけどさ…」
「対象が女なら弁護士になれるのに、男が好きだと犯罪者になる、とでも思われてんの?」
「…極論、そう思ってるひとも少なくないんじゃないかな」
「ノンケの犯罪者のほうが多いだろうよ……それで? 湊は周りにそう思われたくないってこと?」
「おまえがノンケだから気になるんだよ」
「……オレ、まだノンケの看板背負ってんの!? カレシにアナル開発までされてんのに!?」
「か、開発っておまえ…」
「あのさあ」
「…うん?」
「もっと素直に浮気の心配してくんね? ノンケだから、とかじゃなくてさ」
「浮気の心配なんて……」
「おまえは “久御山が女の子とセックスして、やっぱ女のほうがいいって捨てられる未来” を想像し過ぎ」
「……ごめ…」
「おまえが桜庭とどーこーなる確率のほうがずっと高ぇよ!」
「なるわけないだろ!? それならおまえが宗さんとどうこうなる確率だって」
「…あ、それは否定できないかもしんない…」
「おい、冗談に聞こえないからやめろよ……」
───
「あ、あの…あんまり高級じゃないヤツで…」
今日は外で待ち合わせをしよう、と久御山に言われた。せっかくのデートだから、目一杯盛り上がりたいそうだ。そして久御山にひとつ注文を付けられた。
「珍しいね、湊がこんなことで俺を頼るなんて」
「だって、お父さんのスーツは丈が合わないと思うし…」
「俺のスーツ、腰回り大丈夫か? おまえウエスト何センチ?」
「し、知らない…多分70とか73だと思うけど…」
「まあ、いいか…とりあえずこれ着てみて」
お洒落して来い、って久御山に言われたけど、年中チノパンに襟付きシャツの僕にそんなことを言われても困る。ここはファッションモンスターの宗さんにお願いしよう、と思ったのはいいとして、大事なことを失念していたのをさっき思い出した。宗さんの持ち物はどれもお高い……
「もう少し上着の背中、詰めたいところだなあ…」
「いや、そんなことしなくていいから…っていうかどうなの? 僕、スーツ姿おかしくない?」
「全然、普通にイケメンだけど……デートだから緊張してるの?」
「……こういうの、初めてだから…」
「どこ行くか聞いてる? それに合わせて選んだほうが」
「ごめん、聞いてない」
「んー、じゃあやっぱり無難に黒スーツかな」
「宗さん…ちなみにこれ、おいくら万円?」
「…どうだろう? 四十万くらいじゃない?」
背中をブリザードが駆け抜けた。汚したり破ったりしたらどうしよう……
「そんなこと気にしなくていいよ…おいで、髪やってあげるから」
せっかくのクリスマスデートなんだからさ、と宗さんは僕の髪をワックスで整えてくれた。なんだか、ものすごく力んでるように見えないか? 勇んでるというか、気合い入り過ぎみたいな。
───
恵比寿ガーデンプレイスのセンター広場で久御山を待っていると、「ごめん、五分ほど遅れる」とご本人さまからLINEが届いた。 全然問題ない。とりあえず「了解、急がなくても大丈夫」と返すと、「なんてな」と背中から声が聞こえ、驚いて振り向くとそこには……
── どこかの国の王子さまが笑顔で立っていた…
「わ、湊カッコイイ…プラダのスーツなんて持ってたんだ?」
「…宗さんからの借り物…髪も宗さんにしてもらった」
「似合ってる似合ってる! カッコイイ!」
「久御山こそどこの王子さまだよ…いまから舞踏会デスカ?」
「カレシとデートだよ!」
久御山は僕の左手を取ると、「冷たっ」と言いながらギュッと握り締めた。えええっ! こ、こんなに大勢ひとがいる場所で、キラキラ輝くオーラに薔薇の背景を背負った王子さまと手をつなぐのか!?
「……久御山」
「ん、どうした」
「多分、僕……ノンケとかゲイとか関係なく、単に照れ屋なのかもしれない」
「いまさら何言ってんの……おまえは出逢った頃から照れ屋だよ」
「王子さまと手つなぐの、すっごく恥ずかしい」
「どういう意味だよ、失敬な」
久御山は僕の手を握ったまま、軽やかに歩いて行く。格好いい格好いい格好いい……陶器のように白くなめらかな肌、風になびく薄茶の髪、蒼灰色の瞳とそれを縁取る長いまつげ、意志の強そうなハッキリした眉、細く高い鼻に赤味を帯びた薄い口唇……伸びた背筋も長い手脚も、どこを取っても格好いい。
本当に僕はこのイケメンと、つ、付き合ってるのか。そしてクリスマスデートなんてしちゃうのか。しかも手をつないで。実は夢オチだったりしないか。目が覚めたら入学式の朝でした! みたいな。いや、怖過ぎる……ダメだ、もっとしあわせなことを考えよう。
すれ違うひとがみんな久御山を見てる。ふ、格好いいだろう、そうだろうそうだろう……でも僕の恋人だしね! 知ってた? このイケメンは脱いでもスゴイんだぜ! その姿を見られるのは、僕にだけ許された特権だけどね!
……脱いでも…スゴイんだぜ…って…余計なこと想像してしまった…
──
久御山に手を引かれとりあえずスタバに入ったけど、久御山はずっと僕の手を握ったまま放す気配がない。
「湊、何にする? あったかいもんがいいよね?」
「あ、うん…どうしようかな…」
「……どうしたの湊、赤い顔して…暑い?」
おまえの裸体を想像してしまったからだよ!!
「トーステッド ホワイト チョコレート モカのトールで」
「じゃあオレ、ジンジャーブレッド ラテにしよ」
お会計の時に手を放したあと、久御山は再び僕の手を握った。商品を受け取り片手で器用にトレイを持って座席を探す。空いてる席に向かい合わせで座ったら、今度は両手で、テーブルに置いた僕の手を上から握る。
「く、久御山…ここまでしてくれなくても…」
「じゃあ、チューしてもいい?」
「なんで!?」
「マーキングだよ、マーキング……格好いいカレシ取られないように」
「はあ? おまえと一緒にいて、誰が僕を見るって言うんだ…」
「みんな見てんじゃん」
違うだろ! どう考えてもおまえを見てるんだよ! マーキングするなら僕のほうだよ! すると突然、見知らぬ女性が三人僕たちのテーブルに近付き、躊躇いながら声を掛けて来た。
「あの…突然すみません、ちょっといいですか?」
「はい、どうされました?」
「おふたりは、あの……こ、恋人同士でいらっしゃいますか?」
「そうですけど、何か?」
「よろしければ! お写真撮らせていただけませんか!?」
「どういう用途でしょうか」
「いえ、あの、クリスマスの記念に! 美しいおふたりの姿をおさめたいだけですけど!」
「……だって、おまえ写真大丈夫?」
「あ、僕は…いいけど…」
「そう? 大丈夫みたいなので、格好良く撮ってください」
さ、さすが久御山…芸能人かよ……三人はスマホを取り出し何枚か写真を撮ったあと、深々と頭をさげて去って行った。クリスマス効果なのか、非日常的なこともなんとなく受け入れられる気がする。ふと顔を上げると、頬杖を付いた久御山と目が合い、僕は慌てて視線を逸らした。
「湊、格好良くなったなあ……セットしてある髪も普段見ないから、高まるわあ…」
「髪って、どう弄ればいいのか本当わからないんだよね」
「素材はいいのに、残念なイケメンだなオイ」
「磨けば光る?」
「うん、光っていま以上モテてもイヤだから磨かなくていいけど」
「何言ってんだか」
普段投げない直球を、そんな格好いい顔で投げられたら照れるだろ!
「あ、湊これ」
久御山はコートのポケットを探ると、小さな包みを取り出し僕に差し出した。
「何、これ」
「クリスマスプレゼント」
「えっ、何!? どうして!?」
「どうしてってこたあないだろ…」
「開けてもいい!?」
「どうぞー」
緊張しながら白いリボンをほどき、水色の包装紙を止めているテープをそっと剥がしていると、久御山がクスクス笑いながら「包装紙に愛はこもってないよ」と言う。わかってるけど、いま久御山のコートのポケットから出て来たし、久御山の指紋付いてるだろうし!
小さな箱を開けると、中からベルベットの…ケースが……
「……指輪?」
「うん、左手出して」
おとなしく左手を出すと、ケースから指輪を取った久御山が僕の薬指にその指輪をはめた。
「……えっと、久御山?」
「大人になったらもっといい指輪で、ちゃんとプロポーズする」
「何言って…」
「……湊!? ちょ、おまえ何も泣かなくても…」
息ができなくなった。
「不意打ち…泣くだろ、こんなの……ズルいよ、イケメン…」
「いやあ、とりあえずマーキングだマーキング!」
「…じゃあ僕もマーキング」
ポケットから包みを取り出し、久御山にそっと差し出す。この久御山のサプライズのあとじゃあ全然威力が足りない気がするけど、こんなことなら僕も指輪にすればよかった! おこがましいよな、って踏み止まった僕のバカ! そしてやっぱり久御山も愛のこもってない包装紙を丁寧に開ける。
「…ネックレスだ」
「僕はいま嬉しくて悔しくて、やっぱり悔しくてひとつ決意したよ」
「決意? っていうか……気が合いますなあ」
「ヒヨってネックレスにしちゃったけどね」
「……着けて」
久御山の背中にまわり、シルバーのネックレスを着け……結構難しいもんなんだな…パーツが小さくて指でうまくつまめない。同じ店の包みが出て来た時は驚いたけど、僕はまた余計なことを考えてリングがぶらさがってるネックレスにしちゃったんだ。押し付けがましくないけど密かにマーキングできるもの、って考えてさ。
「ね、ね、ね、似合う? 似合う?」
「うん、格好いい……おまえは何でも似合うな」
「こういうジュエリーもらうの初めて! 首回り緊張する」
「久御山、明日時間ある?」
「んあ? カレシとセックスするので忙しいかな」
「……銀座でデートしよ」
「珍しいな、湊からデートのお誘いなんて」
「だから……えっと…カレシとのセ…ックスは前倒しで」
「……よし、湊の気が変わらないうちに帰るぞ」
久御山はトレイをひょいと持ち上げさっさと片付けた。それから僕の左手を握り、「やっぱり冷たいな」と笑いながらスタバの扉を開けた。僕は、つながれた左手の薬指が気になってどうしようもなく照れた。
メリーなクリスマス、時刻はまだ十九時なのに、僕たちは早々と外でのデートを切り上げる。久御山は何度も首元に手をやり、指先でネックレスを確かめる。
明日、銀座のティファニーに行ってお揃いの指輪を買うと決めた僕は、また少し前向きになれた気がした。