第二十三話 その男、久御山 燠嗣
はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……
想像してたよりずっと……男らしかった……肌も白くてきれいで……お尻、格好良かったな……
「う……ん…っ……はぁっ…」
なんであんな汚らしいものに……触るんやろう……
「ん…っ……あっ……あ」
きれいな賢颯くんが汚れてしまう前に……
「あ……賢颯く…ん……っ……」
はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……
── 賢颯くんが、欲しい…
「冬慈に頼んどいたけど……一回きりやで」
「うん、ありがとうお父さん」
「あとから賢颯に直接ゆうとくわ」
「うん」
「燠嗣……」
「なに?」
「あんまり賢颯に……」
「うん」
「……迷惑かけたあかんで」
「うん」
ほんまは違うことを言いたかったことくらいわかる。そやけど、大人の事情なんか関係あらへん。
***
「模試……ですか?」
溜息混じりに電話を取った久御山は、「はい」と「いえ」を繰り返し、電話を切った。
「駄目だよ」
「まだなんも言ってねえよ」
「ん、じゃあ何だったの? 電話」
「ああ、えっと……従兄が東京で模試を受けるから」
「受けるから?」
「一晩ここに泊めてくれないかって」
「うん、それで?」
「そうなると、その日は湊泊まれないから」
「うん、布団とかないもんね」
「繰り上げていまセックスしたい」
「駄目だよ」
「結局駄目なのかよ」
「そもそも繰り上げてってなんだよ」
「今日の分と土曜日の分と、二回……」
「あのね、久御山…」
ガラステーブルの上に広げた辞書と参考書を閉じて、ソファに座る久御山を振り返ると、久御山は涼しい顔で僕のカーディガンのボタンを外し始めた。
「どうぞ、の合図じゃないよ……」
「え、勉強終わったからいいよってことなのかと」
「なんでだよ……あ、こら作業を進めるな」
「着衣でもオレは構わないけど……」
「プレイ内容に言及したいわけでもないよ」
「じゃあ、なに?」
「なんでそんなにしたいの?」
「えっ……それはオレの愚息に直接訊いてくれる?」
久御山は僕の手を取ると、それを自分の股間に導いた。あ、うん……確かにジーンズの中できつそうに大きくなってるのはわかったけどさ……わかったけど、なんでファスナー下ろしてんだよ久御山、こら、ちょっと待て、脱ぐな! 僕の話を聞け久御山!
「はい」
「はい、って……差し出されても…」
「直接訊くんじゃないの?」
「どうやって訊けっていうんだよ……」
「言葉は話せないから、ボディランゲージかな、やっぱ」
「ボディランゲージかな、じゃないよ!」
「これ見てなんも思わない?」
「え……」
久御山の身体の真ん中でそそり勃っているソレは、先端に透明な体液を滲ませていた。久御山の顔を見ると、目を細めながら普段より低く掠れた声で「触って」と囁いた。こうなると僕が抗えないことを知りながら、本当に狡いよな、このイケメンは……
決して嫌なわけではない。嫌なわけがない。むしろ僕がお願いする立場なんじゃないか、とさえ思う。お願いする間もなく常に久御山がしたがるものだから、僕から言う必要がないってだけで。本来であればありがたい話なのかもしれない。
でも……
このペースで続けてると、僕に飽きる日が早まるんじゃないのかな。そういう不安が、絶望するほど大きなものじゃなくなったにせよ、抜けない小さな棘みたいに、いつも少しだけ痛い。
……据え膳は美味しくいただくんだけど。
先端部分を口で包み込み、輪郭に舌を這わせながら時々強く吸い上げると、身体をビクッと震わせながら久御山は僕の髪を優しくなでる。浅く短い呼吸を弾ませ、何度も僕の髪をなでながら久御山はじれったい吐息を漏らす。
「…湊……わかってる…くせに…」
「直接、訊いてるんだよ」
もう、こうなったらこのイケメンの足腰立たなくしてやる……
くびれた部分を口唇で擦りながら、先端を舌で優しく凌辱する。尿道海綿体を通る4000もの神経をただひたすら刺激し続けると、僕の髪をなでる久御山の指先に力が入る。僕の中にある嗜虐的な部分が久御山の吐息に刺激され、僕はますます身悶える久御山が見たくて堪らなくなる。
「はぁっ…あ…湊……そこ…ばっかり……責められると…」
亀頭責め、なんてジャンルが確立されてるくらいだから……慣れてないと相当刺激が強いだろうけど、久御山が慣れてないとも思えない……珍しく吐息と同時に鳴き声を漏らす久御山の、敏感な部分を優しく可愛がりながら自分自身がいつもより高まってることに気付く。
鳴き声をあげながら僕の頭を優しく抱え込んだ久御山が浅くて荒い呼吸を繰り返し、いつもならここで口の中に注ぎ込まれたものを飲み込むはずが、いつもとは違う攻めかたをしたばっかりに思わぬタイミングで久御山が腰を引き、口から逃げたソレで……結果、僕は久御山に顔射されるというプレイに興じた形となった。
「…!!!」
「ん…こぼしちゃった…」
「いやっ、こぼしたとかそんなレベルじゃ」
「……シャツが」
頬から容赦なく垂れる精液がシャツに染み込んで行く。その様を見ながら「もったいないな」と思ってしまった僕は、よこしまな気持ちを悟られる前に風呂場へと逃げ込んだ。
シャワーをして、借りた久御山のシャツを着ると見事に「彼シャツ状態」になりほんのり屈辱を味わう。リビングに戻るとソファの上で久御山が背中を向けたまま丸まっていた。
「久御山、どうした?」
「……ごめん」
「は? 何が?」
「シャツ…とか…汚しちゃって」
「洗えば済むじゃん」
「そう……だけど…はあ…」
「なんで背中向けてんの」
「なあ湊……湊は…嫌じゃない?」
「何が?」
「なんていうか……オレとこういうことするの」
「おまえじゃなかったらやらないよ」
「でも…オレ強引だったりするかなあ、と…」
「おまえが強引じゃなかったことがあるのか」
「……ないね」
「謙虚になってから反省しろよ」
背中を向けて丸まっていた久御山が振り返り僕の姿を確かめると、いきなり腕を引っ張り僕を抱え込んだ。
「な、なんだよ唐突に」
「……可愛いかよ」
「何の話!?」
「シャツ……ぶかぶかじゃん…」
「うるさいな! どうせ僕は小さいよ!」
「実はさっき顔に掛けちゃった時に」
「うん」
「ちょっとエロいなって思ってしまいました」
「前言撤回、自重しろおまえは」
「……あ、勃って来た」
「なんで!?」
どこまで絶倫なんだよ久御山……!
──
土曜日、一緒に来いと言われ久御山の従兄を迎えに行った。いきなり知らないヤツがいると困るんじゃないか、と言うと「大丈夫だよ」と久御山は軽く受け流した。改札から流れ出すひとの群れを眺めながら、久御山がその中のひとりに近付く。
「従兄の燠嗣。親父の弟の息子で、高三。こっちは同じクラスの藤城」
「あ、はじめまして、藤城です…突然すみません」
「いえ、久御山です…お世話になります」
あ、そうか……お父さんの弟さんの息子さんだから苗字が同じなんだな……それにしても…
なんて上品で清楚なひとなんだろう。久御山みたいな華やかさとは対極的な慎ましやかさ。こんなにしっとりと落ち着いた男子高生を見たことがない。着物とか、超似合いそうだな…
「ファミレスでいい?」
反対意見を出せるほど僕にはこだわりがなく、燠嗣さんには土地勘がなかった。ピークの過ぎたファミレスで遅めの昼ごはんを食べながら、久御山と燠嗣さんの話に耳を傾ける。
「大学、どこ受けんの?」
「うん、一応……京大」
「さすが…デキるヤツは違うね」
「選択肢もないし…家から出られへんから」
「……ごめん」
「えっ…賢颯くんが謝るとこちゃうやん」
いきなり湿度が高くなり、僕はどうすればいいのか全力で困った。会話の内容はわからないけど、久御山の顔が曇ったところを見ると、愉快な話をしてるわけじゃなさそうだ。
「ほんとはどこ行きたかった?」
「京大以外考えたことないから」
「まさか経済学部で経営学とか?」
「なんでわかったん?」
「…オレ、一生燠嗣に頭上がらないんじゃないか」
「なんでやねん」
ふふっと燠嗣さんは優しく笑った。笑った顔も品があるな……京男ってこんな感じなのかな……いや、久御山はこんな上品に笑わない。どちらかというと、片眉を上げて意地悪く笑うことが多いし、それが似合う気がする。
「……湊、そんなに見つめてたら燠嗣に穴が開く」
「えっ…あ、すみません…」
「ぼく、なんかおかしい…?」
「いえ、品のある方だな、と思って…あまり見たことがなくて」
「悪かったな、品がなくて…」
「久御山に上品さは求めてないから」
「おう、ちょっと表出ろや」
「賢颯くんも、とっても上品なんやで! 着物姿とか!」
……そう言った燠嗣さんの顔は、耳まで真っ赤だった。
──
「じゃあ、模試頑張ってください」
「うん、ありがとう。藤城くんも気付けてな」
「家着いたら連絡して」
「うん、じゃあ今日はお邪魔しました」
久御山と燠嗣さん、ふたりっきりにしても大丈夫だろうか……あの反応を見るに、燠嗣さんは久御山のことが好きで……久御山のことだから、迫られたら断らないだろうし……久御山の下半身の唯我独尊状態をいまさらどうこう言うつもりはないけど、燠嗣さんの身が心配ではある。
あんまり思い詰めてなければいいけど…
***
「燠嗣、ベッド使って」
「賢颯くんは?」
「オレ、ソファで寝るから」
「えっ…あかん、無理言って泊めてもらってんのに」
「ほら、模試の前の大事なカラダだから」
「そやけど、あかん……ぼくソファでええから」
「慣れてるから問題ないって」
「でも……」
「…じゃあ、一緒に寝る?」
「えっ……」
……あかん、寝られへん。
布団かぶると賢颯くんの匂いにドキドキするわ、横向いたら賢颯くんいてるわ……まつげ長くてきれいやな…髪も柔らかそうで…って、あかん……ここで大きくなってることに気付かれたら、間違いなく引かれるやろ……
身体を横向きに変えて、静かに深呼吸をしてみた。あ、賢颯くんの匂い……あかん!! あかん過ぎる!!
「…眠れない?」
「あ、うん、ちょっと緊張して…」
「緊張?」
「あっ、うん、あの、模試どうなんかなあって」
「燠嗣くらい勉強できるヤツでも緊張するんだ」
「そらそうやろ……」
まあ模試には緊張なんかせえへんけど。
「落ち着くように、腕枕でもしてやろうか?」
「…っ…だ、大丈夫」
「なんだったらオレ、ソファで寝るけど」
「あかん!」
「寂しん坊かよ」
賢颯くんはクスっと笑ったけど、笑いごとちゃうねん。ほんまはぼく、大いなる野望を抱えて来てん。賢颯くんに言うたら絶対断られへんひと言を、ぼくは必死にのど元で留めた。
「この前、庭で燠嗣見て誰かに似てるって思ったんだけど」
「誰やろ」
「昼間一緒だった藤城に、雰囲気が少し似てるなあって」
「…似てるん?」
「雰囲気だけだけどな…なんか、優しそうな」
「あー、うん、藤城くん優しい顔してるもんな」
「燠嗣も優しそうな顔してんのに」
「……ぼくは優しいんやなくて、意気地がないだけや」
「何の話だよ」
「言いたいことも言えへん……自分の性格がいやんなる」
「……どうした?」
心配そうな賢颯くんの声に、ぼくのわがままな部分が首をもたげた。きっと賢颯くんは、その優しさに付け込んでぼくが無茶なことを言ったとしても、それを咎めたりはしない。
「賢颯くん……代わりに跡を継ぐぼくに申し訳ないて思ってる?」
「ああ、まあ……思わないわけないよね」
「ほな……一晩だけ賢颯くん好きにさせて」
「……は?」
「一晩だけで……ええから…」
「……そんな、脅迫するみたいに言わなくても…普通に言えばいいじゃん」
「え……?」
「で、どうしたいの?」
「え……!?」
話が早過ぎてぼくの頭が追い付かれへん……どうしたいの、て言われても…
「挿れたいの? 挿れて欲しいの? どっち?」
「…っな、なんの話!?」
「なんの話、って……オレを好きにしたいんじゃないの?」
「そ、そこまで……考えてへんかった…」
「お医者さんごっこでもしたかったのかよ」
挿れたいとか挿れて欲しいとか、も、もしかして……せっ、性行為の話なん!? そこまで考えてへんかったけど……賢颯くんがそう言うってことは、ええってことなんかな……でも…
「賢颯くんは…その……嫌じゃないん…?」
「何が? セックス?」
「…っ…あ、うん、まあ…それ…」
「嫌じゃないけど、オレ挿れられたことないからキビシーと思うよ?」
「厳しいって……?」
「いきなり入らないって話」
「……そ、そうなんや」
「いや、挿れ慣れてて力尽くでどうにかできるってんなら、そうすればいいけど」
「な、慣れてへん慣れてへん!」
「じゃあ、オレが挿れてもいい?」
「…あの、いきなり入らへんて…」
「まあ、オレは力尽くでどうにかできるから」
「明日、模試なんやけど……」
「座れなくなるのは困るな」
一体なんの話やねん。生涯で一度だけ、好きなひとを抱き締めたまま眠りたいなあ、くらいの感覚やったのに、拷問の話になってへんか。
「……賢颯くん…服、脱いで」
「……おまえもかよ」
「え……?」
血筋かねえ、と言いながら賢颯くんはベッドの上で裸体になった。
陶磁のように白く肌理の細かい肌……肩幅広いな…こんなに筋肉質やとは思わへんかった……手脚長いな…なんでこんなきれいなんやろ…賢颯くん……
「あの……抱き締めてもええかな…」
「うん」
背の高い賢颯くんの顔が、ぼくの胸に納まってる感覚が少しこそばゆかった。柔らかそうな髪は本当に柔らかく、甘い香りがした。あったかいな、賢颯くん……初めて他人の体温を認識して、鼻の奥がツンと痛くなった。
五年後も、十年後も、すぐにこの腕の感触を思い出せるように……賢颯くんの形と、匂いと、温度を忘れないように……この先、政略結婚しか道のないぼくが、自分の意思で抱き締めた最初で最後のひとを、生涯忘れないように。
……泣きたいのを堪えて感傷に浸っていると、いままで感じたことのない感触に身体が飛び跳ねた。
「伽耶さんじゃなくてオレを見て勃たせてたのか…」
「…なっ、なんの話!? ってゆうか賢颯くんどこ触って」
「ほら、東屋で逢った時さ」
「あ、ああ、うん、あの、とにかく放して…」
「ガチガチやないですか……抜いてやろうか?」
「……えっ…」
その後のことは、憶えていたくても脳が煮えたぎってしまって無理だった。でも、将来美しい思い出に浸ったとき余計なことまで思い出して挙動不審になる可能性がなくなって、かえってよかった気もする。
「模試、おきばりやす」
「ありがとう……賢颯くん、元気で」
「うん……あのさ」
「どうしたん?」
「言いたいこと言えるようになったら、また遊びに来ればいいよ」
「えっ……」
「目標あったら、頑張れるかもしれないし」
「……うん、ありがとう」
詳細は憶えてなくても「賢颯くんに口でしてもらった」という事実は消えず、折に触れそれを思い返しては挙動不審になるという未来が待っていることを、この時のぼくはまだ知らなかった。