初戀 第一話

初戀
物 語
第一話 犬も歩けば一期一会

 

「新入生宣誓、代表 一年三組 藤城 湊ふじしろ みなと

「はい」

 

高校の合格発表があった翌日、学校から連絡が来た。入学式での宣誓文を考えておけ、とのことだった。一応断ることができるか確認したけど、特段の事由がない限り認められない、と言われた。目立ちたくない。ただそれだけのささやかな僕の願いは認められなかった。

 

「あの子が入試トップだった子?」
「宣誓って毎年そうらしいよ」
「へえ……いかにも、って感じの眼鏡くん」
「勉強できそうだよね……頭良さそう」
「脳の構造が違うって、絶対」
「ふっ……女知らなさそう」
「ああ、知らなさそう」

 

ネットで拾ったテンプレートに若干手を入れただけの宣誓文を読み終え、僕は慎重に自分の席へと戻った。階段でつまずくとか転ぶとか、これ以上目立つことはしたくない。そして、あと一歩で椅子にたどり着くというところで、僕は隣のひとの椅子を引っ掛け前のめりに倒れ込んだ。

随分派手な音を鳴らし、僕は体育館中の視線をすべて担った……つもりだったけど、みんなの視線は転び掛けた僕を抱き留めてくれた背の高い生徒に注がれていた。

「大丈夫?」

ゆるくうねる薄茶の髪と蒼灰色の瞳……あれ、もしかして留学生とかなのかな。陶磁みたいな肌で繊細な雰囲気を醸しつつ、そのイケメンは軽々と僕を抱え起こし素敵に微笑んだ。

なんだ、このチートな高校生……

 

 

無事……とは言い難い展開の入学式を終え教室でグッタリしていると、廊下がやけに騒がしい。そっと振り返ると、さっき抱えてくれたイケメンが女子に囲まれていた。わあ……入学したその日にもう人気者になってやがる……さすが、高身長イケメンパワーはすごいな……

 

「一年間きみたちを受け持つこととなりました、岸です。今日は初日なので定番中の定番、ザ・自己紹介をしてもらいます」

教室に入って来た担任の言葉で、残念極まりない気持ちになる。

高校生になってまでザ・自己紹介が必要か? 何も紹介することがない僕はこの手のコミュニケーションが苦手だった。そのうえ困ったことに僕は他人に興味がない。きっとこのザ・自己紹介が終わっても誰ひとりとして名前を憶えてないだろうな、とうなだれた。

一時間やり過ごせばいい……この退屈な時間から早く解放されたい……そう思いながら参考書を開いていると、およそ高校生とは思えない低くて柔らかい声が教室の空気を揺らした。

久御山 賢颯くみやま けんそうです。最近東京に来たばっかりなので、色々教えてください」

あ、さっきのイケメン……外国人のような容姿で書道家のような渋い名前って……色々教えてくれる女子が群がる未来が見える。体育館では焦ってて気付かなかったけど、イケメンは声まで格好いい。

「久御山くーん、どこ住みー?」
「LINE教えてー」
「一緒に帰ろー」
「身長何センチー?」
「彼女いますかー」

 

「先生の前で堂々とナンパしないように」

女子のハンティングに岸先生がやんわり横槍を入れる。いいぞ、担任。

そして僕の順番が回って来る。他のひとたちは出身中学とか趣味とか披露してるけど、僕の個人情報に興味のあるひとがいるとは到底思えなかった。

「藤城 湊です……よろしくお願いします」

何をよろしくするんだよ、と自分でツッコミを入れる。

「あ、宣誓やってた子じゃん」
「ほっそ……羨ましいわ」
「勉強できそう」
「女知らなさそう」
「まだ言うか」

ヒソヒソ話をするときは音量に気を付けて欲しい。全部聞こえてるし、なんなら聞こえるように言ってるとしか思えないし……入学式の日に童貞の烙印を押されるとは思ってなかったけど、僕はそんなに童貞っぽい顔なんだろうか……いやまあ、間違ってないけど…放っとけ。

 

中三の時の進路相談で、おまえならどの高校でも大丈夫だと言われた。模試の結果はいつもA判定だった。進学校に行けば勉強で忙しく、他人に構ってる暇なんてないひとたちで溢れ返ってるだろうと思って選んだ学校には、桁違いのイケメンがいて大賑わいだった。

これから毎日こんなにうるさいのか……

 

玄関で靴を履き替え帰ろうとした時、僕はイケメンにお礼を言ってなかったことに気が付いた。まだ教室に残ってるかな……一応こういうことはちゃんとしておいたほうが良いだろうし……

もう一度靴を履き替え廊下を歩いていると、前から数人の女子に伴われイケメンが歩いて来る。あああああもうこの状況は話し掛けづらい……明日にしようか……わざわざお礼を言うためだけにイケメンを待ってたとか思われると、いろいろ面倒な気がしてならない。

「……どうしたの?」

廊下の端で固まる僕にイケメンが話し掛けて来る……なぜ気付く……

「や、あの……えっと……」

話しづらい……周りの女子の視線が痛い……早くこの場を立ち去りたい……すると僕はイケメンに肩を抱えられ、少し離れたところまで連れて行かれた。イケメンは周りを確かめると、もう一度僕に問いかけた。

「どうしたの?」

……もしかして、わざわざ女子たちから離れてくれたんだろうか。

「あ、あの、入学式で助けてくれてありがと…それだけ」
「わざわざそれが言いたかったの?」
「うん……」

イケメンはふっ、と笑って僕の頭をクシャッとなでた。

「いつでもどうぞ」

そう言うとイケメンは女子たちのところへ戻って行った。い、いつでもどうぞって、何を……

 

「あ、眼鏡くんじゃん」
「どこにいても賢そう」
「当たり前じゃん」
「学年トップの秀才とは住む世界が違うよねー」
「脳みそ分けて欲しい」
「勉強しかできない子になるよ」

ヒソヒソ話の音量おかしいってば。全部まるっと聞こえてるっつの。

「んー、でも可愛いじゃん」

イケメンが笑いながら言う。

「可愛い?」
「うん、なんだっけ、ほらチワワみたいで」

……おいイケメン、周りの女子は抱腹絶倒だけど僕は真顔だからな。

 

僕の高校生活は、嫌な予感とともに幕を開けた。

 

休み時間に廊下を占拠するギャラリーは次の日、また次の日と増えて行き、入学して三日後には上級生までもが廊下に並ぶようになっていた。みんなどれだけイケメンに餓えてるんだよ。でも、このイケメンが普通のイケメンではない証拠に、周りのゴシップにまるで興味のない僕の耳にもさまざまな彼の噂が届いていた。

日本語が流暢なことから、日本産まれのハーフなんじゃないか。
実はモデルの仕事をしているらしい。
女絡みで地元にいられなくなった。
日替わりで彼女が七人いる。

派手な見た目を裏切らない派手な噂は天井知らずで、いつの間にか彼は「フランス人とのハーフで貴族の末裔、モデルとして仕事をする傍ら学校に通い、実は子持ちでパトロンがいる両刀使い」という型破りな経歴だけがひとり歩きする人物になっていた。

 

……あほくさ。

 

──

 

「いい天気だな……」

屋上で弁当を突つきながら、そろそろ夏の気配を漂わせる空気に思わず声が出た。

 

「ビックリした……誰かと思った」

その声にビックリして振り返ると、塔屋の上から僕を見下ろす……イケメンがいた。

「……久御山?」
「藤城でも天候気にするんだ」

当たり前だろ……

「さすがに雨が降れば傘も差すよ」
「まあ、そりゃそうか」

久御山は笑いながら僕を手招きした。食べ掛けの弁当を久御山に預け、不安定な金属の梯子に手を掛ける。

「……手、貸そうか?」
「登れるよ」

なんだか馬鹿にされたような気がして、必要以上に力を込め急いで登った。いくら女を知らなさそうで勉強以外のことはできない眼鏡くんでもこれくらい登れるわ。

「いつも屋上で食ってたっけ?」
「いや……教室が騒がしくて落ち着かなかったから」
「へえ……何かあったの?」

おまえ目当てにやって来る女子のせいだよ久御山。おまえこそこんなところで何やってんだよ、と訊こうとして久御山を見ると、あんまりにもきれいで驚いた。薄茶色のくせっ毛に蒼灰色の珍しい瞳……まつげ長いな……肌もなんでこんなに白いんだろう……

「……いいね、弁当」
「こんな庶民の弁当が?」
「庶民の弁当ってなんだよ」

笑った顔も格好良くてうっかり見惚みとれそうになった。そしてなぜか久御山は庶民の弁当に釘付けになっていた。

「……食べる?」
「えっ、いいの?」
「いいけど……別に普通だよ?」

どれでも好きなものどーぞ、と久御山に箸を渡そうとすると、久御山は迷わず卵焼きを指でつまんで口へ運んだ。

「うまっ! 甘っ! うまっ!」
「うちの卵焼き、甘いんだよね…」
「卵焼きは甘いほうが美味いじゃん」

久御山は大袈裟に喜びながら、うちの卵焼きを力一杯褒めた。それから指を舐め「……指まで美味いな」と真面目な顔で言って僕を笑わせた。

「指まで美味いって、どんなだよ」
「いや、マジで…食う?」

目の前に差し出されたひと差し指を見て、一瞬目眩がした。どうすることが正解でどうすることが普通なのかわからなかった。久御山とは同じクラスだってだけで別に友達というわけでもないし、ちゃんと話したのは今日が初めてだ。

「あ……」

こんなことすら上手くかわせないと思われるのが嫌で……しかも相手は百戦錬磨と名高い久御山なわけで、僕は極めて冷静な顔を装いながらそのひと差し指を咥えて舐めた。

「……ほんとだ、指まで甘い」
「藤城、おまえ……」
「……なんだよ」
「いや……エロい顔するんだなあと思って……」
「は!?」

おいおい、なに赤くなってんだよ久御山……こんなこと、おまえなら朝飯前どころか昨日の晩飯前だろ……もしかして僕は対応を間違えたんだろうか。そう思っていると屋上に甲高い声が響いた。

 

「あーんもう今日もいなかったあ……一体どこに行ってんのよお」
「せめて目の保養くらいさせて欲しいよね」
「できれば彼女になりたい……」
「無理っしょ、ハードル高過ぎるっしょ」
「でも三年の女子がヤリ逃げされたって騒いでたじゃん」
「はあ? ヤリ逃げ上等! この際セフレでもいい!」
「イケメンの彼氏連れ歩いて威張りたいよね」
「イケメンなんだから性格なんて外道でもいいのよ」
「イケメンで性格まで良かったらそれこそ怖いっつの」
「あれ、本当なのかな」
「あれって?」
「ほら、ハーフで隠し子いるとか」
「隠し子上等! 外道でカッコイイじゃん」

……多分……久御山のこと…だよな……ここに本人いるぞー……あんまり雑なこと言わないほうがいいぞー……

久御山をひと目見たくて放浪する女子軍団の話がえげつなくて胸焼けしそうだな、と思いながらそっと久御山を見ると、まるで他人事のようにニヤニヤと笑いながらその話を聞いていた。

「付き合いたいとは思わんけど、記念に一回くらいヤっときたい」
「ああ、わかる……付き合うのは苦労多そう」
「わがままなイケメンに振り回されたいっ」
「絶対本気で恋愛しなさそうじゃんね」
「ああ、馬鹿にしてそうだよね、恋愛とか」

 

予鈴とともに女子軍団はいなくなり……息をひそめていた僕はまだ弁当を食べ終えていなかった。途中でお腹減るだろうな、と思いつつ片付けようとすると久御山が僕の手を掴んだ。

「五時限目、選択だけどどっち?」
「え、美術…だけど」
「じゃあサボっちゃおう」

何が「じゃあ」なのかわからない。

「美術の点数は内申に響かないから大丈夫でしょ」
「え……別にそんなことは気にしてないけど」
「そうなの? 東大狙ってるってもっぱらの噂だけど」
「ああ、単なる噂だよ」
「同じ一年なのに立つ噂の差よ……」

久御山は苦笑いしながらコンクリートの床に寝転んだ。

「なあ……どう思う? あ、弁当食えよ」
「う、うん……どう思うって、何が?」
「オレ」
「久御山のこと?」
「恋愛、馬鹿にしてそう?」
「…まだ……わかんないよ……ちゃんと口きいたのも初めてだし…」
「そりゃそうか」

 

少しの沈黙のあと、久御山は鼻歌まじりに言った。

「こんな見た目だけど、オレ、純日本人。とーちゃんもかーちゃんもじーちゃんもばーちゃんもひいじーちゃんもひいばーちゃんもみーんな日本人。妹も……オレだけこんな・・・なの。そのせいでかーちゃん、浮気疑惑掛けられてさあ……あ、DNA鑑定っつの? それで浮気疑惑は晴れたんだけど」

あとなんだっけ、あ、貴族じゃないよもちろん。公家も大名も一切無関係。バイトはしてるけどモデルなんてシャレオツなもんじゃないわ。残念ながらパトロンもいないなあ……いたらバイトなんてしてねっつのな。隠し子は……オレにはわかんねえわ。もしかしたらいるかもしれん……なんてな。

ああ、あとヤリ逃げの話は心当たりないなあ……最近そんないい思いしてないし。記念に一回とか、オレはいいけどやっぱ相手のこと考えたらできないよねえ。ご期待に沿えず悪いけどセフレもいないし募集もしてねえわ。性格外道は合ってるかもね。でも恋愛は馬鹿にしてないよ。

「久御山、僕は……」
「あ、いや、おまえが噂を信じてるとか思ってるわけじゃないけどさ、なんつーの、卵焼きくれたから」
「た、卵焼き?」
「うん、卵焼きって弁当の中で割と重要な位置占めてるじゃん」
「ま、まあ……そう…かな?」
「オレになんか興味ないかもしれんけどな」

久御山は起き上がると僕の顔をしげしげと眺め、いきなり僕の眼鏡を取った。

「ちょっ……何するんだよ」
「……藤城…おまえ……」
「返せよ……それないと何も見えないんだよ」
「コンタクトとか……しないの?」
「チャレンジしたこともあるけど……」
「やめとけよ」

そう言って僕の手を取り、久御山は僕のひと差し指を……咥えて舐めた。

「……っ!」
「結構……やらしー気分になんだろ?」
「く、久御山……」

この場合はどうすることが正解なのか迷って言葉に詰まっていると、ぷはっ、と久御山は噴き出し、「藤城にはまだ早かったか」と僕の頭をなでた。

「まだ早いってどういう意味だよ」

 

── 久御山にキスをされた僕は……指一本動かすこともできなかった。

 

 

特に意味なんてないのかもしれない。単純に僕がからかわれただけかもしれない。別に外道だとは思わないけど、あの容姿だから絶対女慣れしてるだろうし、久御山にとってキスなんて挨拶みたいなものかもしれない。

でも、その日から僕は無意識に久御山の姿を目で追うようになった。

たまに久御山と目が合うこともあったけど、本気で偶然だと思ってたのか、深追いされることはなかった。