初戀 第六十話

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物 語
第六十話 狐、その尾を濡らす

 

「先天性色素欠乏症?」
「はい、先天的にメラニンが不足している遺伝子疾患ですが、生活にはほぼ支障ないそうです」
「……はあ、冬慈とうじの子はあかんな」

佐和さわはそうつぶやいたあと、いや、冬慈やのうて蜜があかんのや、と思い直した。最初の子もえらい白かったし、あれは冬慈とは関係あらへんし。ほんま、忌々しい女を迎えてしもたもんやな。

「まあ、しゃあない」

秘書の沢渡さわたりに「くれぐれも、知られんよう頼むえ」と封筒を渡した佐和は、「ああ、忌々しい」と吐き捨てた。沢渡は受け取った封筒を胸の内ポケットに押し込んで、頭をさげたあと静かに会長室から出て行った。

 

***

 

「あ? そりゃ胚移植しても着床しない場合があるからだろ」
「え、そうなんだ」

以前話を聞いたとき不思議に思った。どうしてオレのスペアとして作られたシロクロが、オレより先に産まれてるのか。けやきさんとこうさんの話から察するに、シロクロはオレより半年以上早く産まれてることになる。案の定、誕生日を訊いてみるとシロクロは六月生まれ、オレは二月、洸征は三月生まれだった。

桐嶋先生に電話を掛けると、「俺は便利屋じゃねェよ、忙しいんだよ」と言いつつもオレの話を聞いてくれる辺り、なんだかんだ言って桐嶋先生って優しいんだろうな、と思った。見た目も声も喋り方もカタギには程遠いけど。

 

「妊娠出産に百パーセントなんてもんはねェからな」
「じゃあ、欅さんは一回目の移植で着床したから、シロクロのほうが先に産まれたってこと?」
「そうだな、思った以上に久御山 蜜くみやま みつの妊娠は遅れたみてェだが……」
「最先端医療をもってしても難しいもんなんだ」
「佐和が蜜の不貞を疑った原因はそこだからな、因果なもんだ」
「あ、なるほど……」

人為的に妊娠を促しても一向にその気配がなかったのに、成功したと思ったら外国人の子・・・・・が産まれたってんで、これは浮気をしたに違いない、ってことか……タイミング悪かったんだろうなあ…

「スペアっていうから、てっきりあとに産まれるもんだと思ってた」
「いや、上手く行ったとしてもスペアのほうを先に産ませるんじゃねェか?」
「なんで?」
「メインに何か問題が見つかった時、手元にスペアがなかったら入れ替えできねェだろ」
「……でも結局、オレにスペアはいなかったんじゃね? その必要もなかったし」
「最悪、洸征と入れ替えればって思ったんじゃねェの」
「胸クソ……そういえば、シロクロの体調ってどうなの?」
「前回の血液検査からこっち、おめェらみんなでバタバタしてやがるからなんも調べてねェよ」
「そっか……大丈夫だといいけど」
「おめェ、シロクロは疎ましくねェのか」
「は? なんで?」
「や、なんも感じねェならいいんだ」

オレが不感症みたいに言われるのも、なんつーか不本意だな、と思った。

 

***

 

「って桐嶋先生が言うんだけど、どういう意味?」

ソファに座る湊の膝を枕に横になり、桐嶋先生との話をすっかり話したオレは、「疎ましくねェのか」の真意を知りたくて湊に訊いてみた。湊は少し呆れたような声で言った。

「久御山のお父さんが産むことを許して、金銭面の援助のみならず家まで用意して面会の約束を取り付けたから?」
「……それのどこに疎まれる要素があるんだ?」
「久御山……産まれてからどこにいた?」
「座敷牢に幽閉されてたみたいだけど」
「実子は幽閉して助けもしないのに、外の子は大事にしてたわけでしょ?」
「ああ、そういう意味か……だってオレ幽閉されてた時の記憶ないからなあ…」
「普通なら、オレよりシロクロのほうが大事なのかよ!ってなるんじゃない?」
「は? 事実、オレよりシロクロのほうが大事だろ?」
「なんで!?」
「オレは突然変異だけど、シロクロは両親の血を引いた見た目なんじゃないの?」
「わかんないけど…」
「華を可愛がるのと同じじゃね? 絆とか、目に見えたほうが大事にしやすいっていうか」
「おまえ、ドライなの? それともバカなの!?」
「と、唐突にdisられる理由って一体」

膝に頭を預けるオレの胸ぐらを掴み、湊は力任せにその腕を引き寄せ口唇くちびるに歯を立てた。それからゆっくりと舌先で口唇をなぞり、オレの口をこじ開け上顎や頬の内側を丁寧に舌でなでる。

「…っ…ん…ふぅ……っ…」

絡めた舌を逃がすまいと更に強く絡め、卑猥な水音と同時に唾液が口の端からこぼれ落ちる。口からあふれる唾液を啜り、口唇を吸い上げながらまた柔らかく歯を立てる。湊って……こんなやらしいキスするようなヤツだったっけ……

「ふ……湊…そんな本気出されたら…発情する…」
「すりゃいいだろ」

湊にしては珍しく、乱暴にオレのTシャツを引き剥がし、そのままの勢いでジーンズを剥ぎ取った。

「ちょっ…どうした、湊」
「黙ってろ……」

…え? ええ? えええ!? 突然どうしたっていうんだ! いや、いいけど! 口でされるのは好きだから、全っ然いいんだけど! イイんだけど…あ、良過ぎてちょっと……あっ…おまえの舌どうなってんだよ……ん…吸いながら裏筋めるのヤメテ……あ、もうダメかもしれん…イ…

「…く…湊…イく…っ…」

根元を絞り上げてた口唇を緩め、れろーっと尖端まで舌を這わせると、湊は名残惜しそうに愚息を解放し、オレの太腿を持ち上げた。待て! 無理! それはツライ!

「湊……イかせてよ…」

あ、う…あ、ん、ん……この状態でそっち・・・に舌…挿れるとか…あ…っ……や…なんか……いつもより…イイかもしんない……あふっ…あ、指……あ、は、あっ……そこっ…押すな……っ…!!!

「…み……な…っ…」
「見える?」
「な…に……」
「僕と久御山の絆、目に見える?」
「ん…っ…見え…な…けど……ふ…っ…」
「見えないと、大事にできないもの?」
「…そ…じゃな…い…っ…あ…」

そんな…真面目な話したいなら……まず、指を抜け……押すなっ…て!!

「ん、あ…あ…っ…!」
「……僕だって怒るよ?」
「えっ…ぅあ%@¥&$×△×ぐ×+~ぎ…っ!!!」

どんだけ時間掛けて柔らかくされても、おまえのその凶悪なモン一気に根元まで挿し込まれたら死ぬっつの!!

 

「あ、ぐ…っ…う…ん…んぅ…」
「…っ…見えないよ…んっ……絆なんて…」
「ふうぅ…っ…ああ、くっ…う」
「心も…っ…見せられないし……はっ…あ…」
「みな…イ…あ…あぁ…っく…イくイくあああ」
「態度で示すしか…ないじゃん…っ…」
「イく…っ…あ、んぅ…っ…」
「……何回、イくかなあ」

……本気で殺す気か!

 

 

「…も、一滴たりとも出ない……」
「痛かったり、吐き気したりしない?」
「ん…それは大丈夫…」
「そっか、じゃあ引き続き怒ってよう」
「みーなーとー……仲良くしようよー…」
「…じゃあ、僕とおまえの絆って何? どこにあるの?」
「わからん……でも…あるよ」
「どこに? 見えたほうが大事にしやすいって言ったじゃん」
「見えないけどあるんだよ!」
「だったら、おまえとお父さんの絆だって見えないけどあるよ! 蔑ろにされたら怒れよ! 大事にしてくれってキレろよ!」
「……湊…」
「いないように扱われて普通だと思うなよ! 放っておかれるのが当然だと思うなよ! そんなことに慣れるな! バカ!!」
「…だって……」

それから湊はオレを抱き締め、力いっぱい抱き締め、「おまえが大事なんだよ」と歯を食いしばりながらつぶやいた。うん、オレだって湊が大事だよ。おまえに大事にされたいよ。おまえに逢うまで知らなかったんだよ、大事にするとか、されるとか。

「いまは自分を蔑ろになんてしてないよ」
「当たり前だ、そんなことしたら僕が赦さない」
「そうだな……また腰立たなくされても困るからな…」
「…っ! ……ごめん…」

眉間に硬くシワを寄せていた湊は、急に眉を下げて情けない声で謝った。

 

***

 

「…おこしやす」

どうしても気になることがあって、それを誰に訊けばいいのか悩んだ挙句、結局訊ける相手が限定されてることに変わりはなかったので、僕はシロくんとクロくんの家を訪ねた。新宿にある古…味わい深いビルの一室をリフォームした部屋は、シロくんクロくんのイメージ通り、お洒落な部屋だった。

「シロと洸征まだ寝てるわ」
「……ね、覗いていい?」
「なんや、湊にそないな性癖があるなんて」
「性癖じゃないから」

案内してもらった寝室の扉をそっと開け、隙間から顔を入れて中を見渡した。アンティークデスク、フロアランプ、木製ブラインド、古材のフローリングにラグ、床に脱ぎ散らかされた服、キングサイズのベッド……

「わあ……ポストカードみたいだ…」
「シロと洸征が?」
「うん、部屋の雰囲気も相まってまるでアートだね」
「洸征、ほんまきれいやもんなあ」
「まつげまで白いんだね……あ、でも確かに久御山そっくりだ…美人だなあ」

真っ白な肌、白い眉毛にまつげ、真っ直ぐに通った高い鼻、薄い口唇……同じ人間だとは思えない美しさで眠る洸征くんは、ポストカードから抜け出した天使のようだった。

 

「ほんで? 何知りたいん?」

クロくんは、広々としたダイニングテーブルの上にコーヒーカップを置いて僕の顔を見た。

「あ、あの……情報料ってどれくらいなの?」
「ネタによるわ」
「一応、脱ぐことも考慮して来たから」
「……湊が脱ぐゆうならそやな……米国国防省のネットワークに侵入して得られる情報くらいは」
「世界大戦引き起こすような情報は求めてないよ!」

それから僕は、あの時・・・桐嶋先生に感じた違和感の話をした。骨髄移植が受けられるとわかったのに、なぜか浮かない顔をしていた理由。それが、久御山にどういう影響を及ぼすのかを。

「……洸征を助けたいゆうのは本心やろな」
「じゃあ、それ以外の部分が気になってるってこと?」
「そやな……桐嶋の本当の目的はそれやないさかい」
「本当の目的って……」
「……ここからは “有料” や、お客さん」

 

僕はクロくんから視線を外し、手のひらでパタパタと顔を扇いだ。それから「…あつ」と言いながらシャツのボタンを外し、シャツでバサバサと身体を扇いだ。まずは、これくらいでどうだろう…

「英国秘密情報部の内部事情についてなら」
「だから外交問題に発展するようなことは求めてないってば!」
「……久御山の家、潰そ思てんちゃうかな」
「久御山の家……?」
「うちら、コンピューターに一旦入った情報ならなんぼでも拾えんねん」

── 情報としてデバイスに落とし込んだもんは、削除して見えへんようなってもほんまは消えてへん。逆をゆうならデバイスに入ってへんもんはうちらには追えへん、ゆうこっちゃ。そやからいまからの話には、間違うてるとこもあるかもしれへん。

 

洸征の母体である樒廼 紅しきみの こうは、洸征を産んで八日目に渡米してはるん。メディカルゲノムセンターの特別室から自宅に戻ることなくそのまんまな。これは、発券された航空券の履歴があるさかい確かや。成田発、JFK空港着の直行便。まあ、おかしな話やな。紅はMGCの研究員で、クローンのプロジェクトに参加中やのに。

MGCの内部では「急な人事異動」ゆう話でこの件は終いや。いわくつきの組織やさかい、だーれも首突っ込まへん。そやけどひとりだけ、紅の関係者がいろいろ調べ出しよった。その関係者ゆうのが、桐嶋 彌秀きりしま みつひで……当時二十歳の大学生や。

「桐嶋先生が関係者って……」
「桐嶋は紅の大学の後輩で……恋人やった男やな」

紅の身辺を嗅ぎ回る桐嶋の元に、USBメモリが送られて来たのは、紅が渡米した五日後。USBメモリの中身はとある動画や。おおかた予測付くやろ?

「……脅迫するための、暴行動画、とか」
「そやな、そやけど脅迫が目的やなかってん」
「どういうこと?」

動画の内容はお察しの通り、紅が複数の男にレイプされてるもんやけど、紅を脅すゆうより動画を見てるもんを煽るゆう感じやねん。ようするに、最初っから桐嶋に送るつもりで撮った動画やな。

「見る勇気あんねやったら、画面に出すけど」
「…いや……見られたくないと思うから…」

ほな掻い摘んで話すけど、紅がレイプされたのは出産の六日後。母体はまだボロボロの状態で、感染症なんかの危険性もえらい高い時分やな。それから紅は注射を二本打たれてるん。中身は覚醒剤。これで素人の仕業やないゆうこともわかるやろ。当然、避妊なんて気の利いたことしよるはずないわな。

そこで紅は条件を提示されるん。まず、赤子を連れて日本から出国すること。それを誰にも言わへんこと。出国した先の連絡先を誰にも教えへんこと。日本の知り合いと一切の関係を絶つこと。親兄弟含めてな。

それがひとつでも守られへんかった場合 ──

洸征と桐嶋を消す、ゆうこっちゃ。どっちか、ちゃうで? どっちもや。紅が日本に居続けるなら、覚醒剤中毒に堕としてレイプ三昧。そうなったら子育てなんぞできひんし、何より桐嶋が黙ってへん。そうなれば桐嶋は玄人に追われる身なるわな。結局紅は、すべての条件を飲まなあかんかったわけや。

そしてそれは、動画を見た桐嶋に全部伝わるっちゅう寸法やな。

「……それを、指示したのは」
「久御山財閥の人間やろなあ……まあ、順当に考えるなら久御山 佐和」
「久御山 佐和はもう亡くなってる…」
「そやけど、桐嶋の怒りが治まらへんゆうことやろ?」
「久御山も、久御山の家族も悪くないだろ!?」
「……ほな訊くけど、紅や桐嶋のどこに悪いとこがあったん?」

 

深い、何よりも深い絶望の底に落とされたような気がした。