第五十九話 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
「みーなーと」
「うん」
「約束、忘れてないよな?」
「は? 約束?」
「桐嶋先生の用事済んだら、なんでも言うこと聞くって言ったよな?」
「言ったけど……ちなみにどんなことさせたいの?」
「エロいこと以外なんかあんのか」
「……久御山、いまエロい気分になれるのか?」
「いつだってウェルカム状態だよ」
そうだよな、おまえはそういうやつだ。桐嶋先生の話を一緒に聴いた僕が平常心でいられるように、いつも以上に気を遣って何事もなかった顔で振舞うんだ。こういうとき、僕は久御山の優しさを少し寂しく感じる。本当はどう思ってるんだろう、いまどういう気持ちなんだろう、って胸の奥がざわざわする。
───
「ちょいとおめェに協力して欲しいことがあったんでな」
「協力?」
「造血幹細胞移植って聞いたことねェか?」
「造血幹細胞移植って……骨髄ドナーのやつ?」
「ああ、おめェと洸征ならHLAの型も同じだからな」
「HLAってナニ」
お汁粉の缶とコーンポタージュの缶を交互に口元へ運び、缶の底を揃えた指先で一所懸命叩いている洸征くんを、笑いながら見ていたシロくんとクロくんは空気を読んで洸征くんと寝室へ移った。なんとなく、僕も三人に着いて行ったほうがいいのかな、という気がしていたけど、これから久御山に起こることも知っておきたい。
「白血球の型だ。骨髄移植の場合、たくさんあるHLAの型の中で八つの抗原が一致してねェと具合が悪いんだが、兄弟姉妹間でも一致する確率は四分の一。でもおめェと洸征は兄弟っつーより同一人物みてェなもんだしな」
「それ、移植したらどうなんの?」
「正常な血液が作られるようになる、ってところか」
「へえ……オレどうすればいいの?」
「とりあえず、念のために一度検査だな」
「移植ってさ、それで洸征元気になんの?」
「……なるさ」
なんの躊躇いもない久御山の返答に、桐嶋先生はもっと安心した顔をすると思ったけど……話を持ち掛けられた久御山より、持ち掛けた桐嶋先生のほうが複雑な顔をしてるように感じた。洸征くんを助けたいんじゃないのかな……まだ他に、懸念してることがあるんだろうか。
「ま、今日は簡単な顔合わせみてェなもんだ。明日の夜クリニックに来い」
「クリニックで移植すんの?」
「できるわけねェだろ……心療内科で何しようってんだ」
確かに…心療内科では無理があるけど、桐嶋先生ならなんとでもしてくれるんじゃないの? という気もして来る。桐嶋先生は寝室で騒いでいるシロくんとクロくんと洸征くんに「帰るぞ」と声を掛け、僕の顔を見て「悪いな」と困った顔で笑った。
***
「おまえがそう言うならいいけど……で? 何すればいいの?」
「リミッター解除してセックスしよ」
「どうやって!?」
簡単なことですよ、ダンナ……訝し気な湊に、いそいそと缶ビールを差し出して満面の笑みを見せる。
「ああ、なるほど……でもほら、前後不覚になったら大変じゃない?」
「全然?」
「僕ら未成年だし」
「いまさら?」
「いまさら、って僕は普段飲まないからね!?」
「……他の男とキスしたくせに…」
「わあああああ! わかった! わかりました!」
洸征をオレだと思ってキスしたことをよほど申し訳ないと思ってるのか、湊はしょうがないなあという顔をしながらも、言われた通りに缶ビールを開けて飲み始めた。こういうところはほんと素直で可愛いよな……
「味は嫌いじゃないんだけどな……おつまみ欲しい」
「苦いから苦手、とかじゃないんだ?」
「うん、炭酸も平気だし飲む分には問題ない」
「飲んだあとが大問題だから、外で絶対飲むなよ…」
それから五分と経たないうちに湊はヘロヘロに酔い、「アツイ」を連呼しながら制服を脱ぎ散らかした。ふっ……可愛いヤツめ……なんだかんだ言って、湊は男らしくなったカラダをあまり見せてくれない。スイッチが入ればそうでもないけど、そのスイッチを入れるまでが割と大変だったりする。
ちゃんと見るのって久しぶりだな……身長伸びてガタイ良くなったのに、体毛薄いままなんだな……アレか、女性ホルモンの分泌が多いと髭とか体毛が薄くなるってヤツか。はあ、完勃ちすると壮観っすね、湊さん……それがオレのカラダん中に挿入ってたんだよな…
湊の足元に這い寄り、淫乱なムスコの口を舌先で突つく。堪え性のないムスコはあっという間によだれを垂らし、湊は湿った吐息や鳴き声をさらけ出す。イイねえ、普段冷静このうえない顔で感情を露わにしない湊が、恥ずかしさと気持ち良さで頬を紅潮させ肩を震わせてるなんて。
まあ、八割アルコールの力だけどな。
「くみやま……それ、でちゃう…」
「ダメ、ちょっと待ってて」
そういえば、と思い出したものを寝室まで取りに行き、浅く速い呼吸を繰り返す湊の目の前に差し出した。
「なに、これ」
「ロビンソンカテーテル」
「なにするの?」
「挿れてもいい? 潤滑ゼリーもリドカインジェルもあるから」
「どこに?」
「湊の淫乱なムスコのお口に」
「…いたく…しないでね…?」
可愛いかよ!!
以前、桐嶋先生に言われたことを思い出し、いきり勃った凶悪なムスコが治まるのを少し待った。カラダと九十度になるようにムスコを引っ張って……壁にぶつかったら下向きにして、下から挿れる……ゆっくり…
「ひゃわっ……なに…こ…ふぁ…っ…」
「大丈夫? 痛くない?」
「ん…ふっ…だいじょ……ふゎぁ…う…っう…」
「……この先は膀胱かな」
大きく抜き挿しすると抜ける恐れがある。何より尿道に性感帯はないので擦られると痛い。当然そういう部分を開発する意図はないので、おとなしく前立腺を刺激する。
「ふ…っ…あ、あ、あ…は…あっ…う…」
「どう? 気持ち良かったりする?」
「う…あ、あ…おかしく…な…はぅ…っ…」
「……すごいな、前立腺の威力」
「ふうぅ…くみ、や…あ、ああ…」
刺激強過ぎて喋れないよなあ……オレも拡張プラグ挿れられた時、悶絶したもんな……でも湊はオレよりこういう刺激に慣れてる気がするから、もしかするとすげえヨくなるかもしれないし。
カテーテルを小刻みに動かしていた手を止め、挿し込んだまま湊をうつ伏せに引っくり返す。ピンク色の可愛くてはしたない穴がモノ欲しそうにヒク付いてるのを見ると、胸が高鳴る……はあ、可愛い。舌を押し込むと背中を仰け反らせた湊から悲鳴があがり、背中がゾクゾクした。
「あぐ…っ…く…あ、あ、あ…っ…ふ…う、う…や…あああっ…」
「おお…腰ガクガクじゃん、どうした湊……」
「ひゃ…っ…ああ…や…ううあ、ふっ…くみ…や…」
「…ん…っ…そんな締め上げなくても……あ、イイ…」
「あ…は…っ…はぁ…あうぅ…あ…っ…」
凄まじいな……よがり泣く湊を見てると興奮するけど、せっかく酔ってるんなら可愛い湊を堪能したい。三回くらいイったところで、そっとカテーテルを抜いて仰向けにすると、涙ぐむなんてレベルではなく湊がギャン泣きしていて驚いた。
「…湊? 痛かった?」
「ちが……でも、もすこし…ゆっくりして…」
「ん…嫌だった?」
「きもちよすぎると、さみしくなる」
「なんで!?」
「ぼくだけ……ちがうとこに、いるみたいだから…」
「…秒でイくようなこと言うなよ」
カラダは大きくなっても中身は変わらないんだなあ……湊は泣きながら、可愛さに絆されて甘酸っぱい気持ちになってたオレの首にしがみ着き、水音を立てながら耳を吸って「おちんちん、ちゃんとイかせて…」と囁いた。
甘酸っぱい気持ちは一瞬で吹き飛んだ。
「湊」
「ん……」
「酔ってるから明日には憶えてないだろうけどさ」
── オレ、化け物か人間かも怪しいって言ったじゃん。でも、桐嶋先生の話聞いて、あ、化け物のほうだったんだなーって思った。体外受精とか顕微授精って、一般的な不妊治療なのかもしれないけど、普通に妊娠できるのにわざわざシャーレで他人に受精させてさ、愛なんて必要ないんだなあって。
もしものときのためにクローン作るとか、最早意味がわからな過ぎて笑ってしまうわ。要人でもなんでもないのに、家督を守ることがそんな大事かねえ。選ばれた精子がたまたまオレだったってだけで、先に母体に戻された受精卵がたまたまオレだったってだけで、もしかしたらオレがクローンだったかもしれないんだよな。
全然普通じゃないし、普通にはなれないんだなあって思い知った感じ。なんか、洸征に悪いことしちゃったな…
「くみやまが、ばけものなら」
「うん」
「だーれもしらないところで、ふたりでくらそ?」
「……湊」
「じゃまするひとのいないところで、いっしょに」
「ん…そうだな」
「ぼくが、まもるよ……きれいなばけものを」
オレを抱き締めた湊の腕があたたかくて、不覚にも涙があふれた。
───
「他にも訊きてェことがあるんだろ?」
次の日、言われた通り新宿のクリニックに出向くと、桐嶋先生は診察で割と忙しそうだった。少しできた隙間時間での話は慌ただしかったけど、思い詰める間もなくてかえってよかったかもしれない。
「欅さんて……そのあとどうしたの?」
「シロクロを産んだあと、渡米してるな」
「なんで? 日本にいると見つかるから?」
「いや、余命宣告を受けたからだな」
「……欅さん、亡くなってるの?」
「ああ、シロクロが九歳の時に」
「それで……シロクロは? どうやって生活してたの?」
「樒廼のところで、洸征と一緒に育てられたよ」
「欅さんと樒廼って、どういう関係なの?」
── 狐森 欅は堕胎を拒否して逃げたんだが……久御山 冬慈は内密に欅を探し出した。そして、経済的援助を申し出たんだ。産まれた子に逢わせてもらうことを条件にな。いわば、久御山家の当主に出産を許されたようなもんだ。それから欅は冬慈の用意した郊外の家に住みながらシロクロを産んだんだが。
乳幼児っつーのは産まれてから決まった月齢で検診があるもんで、保健師が訪問した六か月検診でちょいと変わったところが見つかってな。普通なら寝返り、お座り、ちょっとした意思表示なんかができるようになる頃に、シロクロは絵本を自分で読み、それをおたがい伝達してるようだ、と冬慈が連絡を受けた。
そこでメディカルゲノムセンターがいっちょ噛みしたわけだ。もしかしたら高IQの天才児かもしれねェってんでな。まあ、まだ知能検査の類は受けられねェから、研究者が独自の方法で観察したり調べたりするんだが、その担当が樒廼 紅……つまり洸征を宿した母体だ。
とはいえ……紅はそれからふた月ほどで、海外に飛ばされたんだがな。
「シロクロって、九歳まで日本にいたんじゃないの?」
「いや? 欅が双子を連れて渡米したのは双子が三つか四つの頃だぜ?」
「前、京都生まれ京都育ち、九歳からNY育ちって聞いたような」
「欅が京都の人間だったからな、一緒にいた期間を “京都育ち” っつってるんじゃねェか?」
「……なんだよ、悲しくなるようなこと言うなよ」
「まあ、渡米したのも紅の助言があったからで、仲良かったみてェだな」
紅はそもそもMGCでクローン技術の研究をしてた研究員だ。久御山家嫡男の胚細胞クローンの話が来た時、被験体になると言い出したのは紅自身だからな。
「なあ……桐嶋先生ってオレがセンターに入れられた時、研修医だったって言わなかったか?」
「ああ、初期研修の真っ最中だったな」
「オレが産まれた時って……」
「大学二年だな」
「なんで産まれた時のこと、そんな詳しく知ってんの?」
「調べたからに決まってんだろ」
「でもオレのこと知らなかったよね? 尿道攻めした時さ!」
「あ? 知らねェなんてひと言も言ってねェだろ」
「……なんでそんなこと調べたわけ? まったくの部外者じゃないの?」
「まあ、のっぴきならねェ事情があってね」
「ふうん……で? 洸征どこが悪いの?」
「免疫系の病気なんだが遺伝性の疾患でな」
「それ、完治するの?」
「……そうだな、いまよりは元気になるんじゃねェか?」
桐嶋先生は煙草に火を点けると、眉間にしわを寄せたまま浅い溜息を吐いた。のっぴきならない事情、ってなんだよ。でもなんとなく、それを声に出してはいけないような気がした。MGCに関わるギフテッドであるシロクロや洸征と桐嶋先生に接点がないわけじゃない。綾ちゃんの例だってあるし。
「いつ検査に行けばいいの?」
とりあえず、お気楽にお気楽に。深く考えないように。
***
「……まさか、緊張してるん?」
「え、あ…はい……」
「なんでやの、いっつもしらーっとした顔してんのに」
「いえ、そういうつもりは…ないんですが…」
「なんや、やっぱ年上の女はあかん思てるん?」
「そんなわけないじゃないですか…」
「ほな、ええやん」
「あの、ぼくは……遊びのつもりとか、一回限りとか思ってないんですが」
「……わたしかって思てへんよ」
── 難しいことならあとで一緒に考えよ……いまは、わたしのことだけでええやん……
「あっ…ん……ああ…っ…」
「……はっ…ぁ」
「…桐嶋のちんちん、気持ちい……」
「ムードもへったくれもないですね……」
「そんなもん気にしよるから、こない待たされたんやんか」
「…すみません」
「好きゆうこと以外、大事なもんある?」
「ない……です…」
「…ちんちん気持ちいなんて、最高の褒め言葉やん」
「あの、恥ずかしいので連呼しないでください…」
「……おちんちん、のほうお上品やった?」
「…っ、樒廼先輩!」
***
── なんの保障もなく無邪気に、それでもしあわせに過ぎて行った時間。相手の目に映る自分のことを気にしてさえいれば、他に悩むことなどなかった日々。温かかった手も、口唇も、爪先も、もう冷え切って何ひとつ思い出せない。
「……絶対…絶対に赦さない……!」
弱々しい月明かりが照らす診察室で桐嶋は、机の上に積み上がる書類や本をその冷たい手で払い落とした。