初戀 第四十話

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物 語
第四十話 その男、魚住 翡生

 

「ケンソー先輩、いま付き合ってるひといますか?」
「いや? いないけど」
「じゃあ……ふたりっきりでエッチなことしませんか?」
「…ふたりっきりで?」
「ちょっとアンタ、抜け駆けしてんじゃないわよ!」
「朝からコソコソしてると思ったら!」
「ケンソー先輩はみんなのものなんだからね!」
「アンタたちこそ、毎回邪魔しないでよね!」
「……5Pはちょっと、オレの体力が持たないかな?」

女の子に告白されるのも、エッチなお誘いがあるのもイヤではない。ここが購買の前だっていうことを除けば。しかし、オレに告る子ってなんでいつも友達がすぐそこで身をひそめていることに気付かないんだろう。毎回邪魔が入ってわやくちゃになって現地解散で、今回もそのパターン。

小競り合いをしていた四人は仲良く手を振って、小走りに階段へと消えて行った。次はひとりで誘いに来い。

 

購買でパンでも買おうと思ってたのに、下級生に囲まれているうちに売り切れてしまった。しょうがないから学食でも行くか、と振り返ったら、見知らぬ男子が焼きそばパンとコロッケパンをオレに突き出していた。

「あ、あのっ、これっ、よかったら!」
「…ありがたいんだけど、きみはどうするの?」
「自分、お弁当あるので!」
「そうなんだ? じゃあ遠慮なく……手出して」
「えっ…」

パンを受け取り、その男子の手のひらに300円を握らせ頭をなでた。これだけわかりやすく真っ赤になられると、なんだか悪いことでもしてるような気がしてくるから不思議だ。

屋上に行こう、と階段をのぼっていると、賑やかなざわめきが近くなって来る。女の子の騒ぐ声がすぐそこに近付き、そのひとだかりをかき分けて、群れの真ん中にいるヤツに腕を伸ばし引き寄せた。

「メシ食った?」
「いや、まだ」
「……というわけだから、コイツはもらってくね」

肩を抱いて歩き出すとキャーッという歓声があがり、各々別れの挨拶が背中に降り掛かる。「藤城ふじしろ先輩、またねー!」「ケンソー先輩、デートしよー!」藤城センパーイ! カッコイー! キャーッ!

 

───

 

「……助かったよ」

屋上の塔屋の上で弁当を広げながら、湊は溜息を吐いた。

「もっとテキトーに立ち回ればいいじゃん」
「テキトーって言われても…いきなり囲まれたらどうしようもないよ…」
「うーん…明日から教室で食う?」
「結局落ち着かないから変わらないかな…」

下級生とは校舎が分かれてるのに、わざわざ東棟まで遠征して来るって根性あるよなあ、と言うと「僕がナメられてるだけじゃないかな」と湊はうなだれた。

久御山くみやま、あーん」
「あーん」
「相変わらず卵焼き好きだな」
はるかさんの作る卵焼きが好き…嫁に来ないかな」
「……れんさんと戦うの?」
「それは無理だな!」

遥さん(湊のお母さん)も漣さん(湊のお父さん)も、変わらずオレに優しくしてくれる。今年の正月も藤城家で過ごし、漣さんと宗弥むねひささんと桜庭さくらばとオレで飲んだくれた。

「あ、そういえば購買行ったらパン売り切れててさ」
「いま食べてるものはナニ?」
「昔の湊みたいな男子が売ってくれたの」
「カツアゲ…?」
「なんでやねん、いきなり差し出されたんだよ」
「その子のお昼は?」
「弁当あるからって」
「へえ……わざわざ久御山のために買っておいてくれたのかな」
「すっげえ大食いだったのかもしれん」
「じゃあ、いま頃足りなくて困ってるだろうな」
「でもほんとに可愛かったん……湊、身長どんだけになった?」
「186…てん、ご」
「デカッ…いつの間にオレよりデカくなったんだよ」
「久御山だって185だろ? 変わらないよ」
「一年の時に言ってたことが現実になるなんて…」

 

── 成長期、まだなんじゃね? 卒業する頃にはオレよりデカいかもじゃん

 

高校に入学して初めて見た湊は、その辺の女の子よりも可愛かった。164.4cmで45kgという体型に恐ろしくコンプレックスを抱き、口癖のように「男らしくなりたい」と言っていた。一年の間はまったく変化のなかった体型は、二年になって一気に豹変した。骨の伸びる音が聞こえたくらいだ。嘘だけど。

おまけに変声期まで迎えたらしく、中性的だった湊の声は低く落ち着いた男の声になった。ファルセット気味の低く張りのない優しい声が、「色気のあるイケボ」と下級生にも大人気だ。「細い・小さい・可愛らしい」と三拍子揃っていた湊はいまや、「デカい・冷静・格好イイ」と女の子にモテている。

「眠い…湊、膝枕して…」
「…まあ、ここならいいか」

胡坐あぐらをかく湊の脚の間に頭を乗せて、膝枕じゃねえな、と思っていると、そろそろ予鈴もなりそうなタイミングで切羽詰った男の声が聞こえて来た。

 

「…付き合ってるヤツとか…いま、いるのかなって…」

 

オレは湊と顔を見合わせ、ふたりで声のするほうをそっと覗き見た。そしてふたりで慌てて隠れた。

「…藍田あいだだよな?」
「うん…告ってるの、誰だろ」

藍田とは一年の時からの付き合いで、将来獣医になって開業した暁にはオレたちの主治医になる約束をしている。いや、いくら湊がロシアンブルーに見えてオレがゴールデンレトリーバーに見えたとしても、生物学的には人間だから獣医が主治医では心許ない。しかも、いまの湊は大型犬だ。

ふくよかだった藍田も二年になってからは見る見る痩せて、三年になったいまじゃ「ミスT高」として他校の生徒が下校時に張り込むくらいの人気者だ。一年の時藍田をいじめてたヤツらは顔面蒼白だろう。

再び湊の胡坐を枕に、耳をそばだてながら……湊の制服のファスナーをおろす。

「…っ、バカ、何やってんだよ」
「頭に当たるから気になっちゃって」
「気にしなくていい! そっとしといてくれ!」

小声で短い遣り取りをしたあと、制服に手を入れて湊のムスコを引きずり出した。

「やめろ、久御山!」
「シーッ…騒ぐとバレちゃうよ?」

さすがに萎えてる湊のムスコも、舌先で鈴口を攻めるとあっという間に勃ち上がる。クールで真面目な湊と違い、ムスコは淫乱で堪え性もなくよだれを垂らす欲しがり屋さんだ。可愛いムスコの痴態を晒しながら、湊は必死で口を押える。

「ご主人さまあ…セックスしたい…」
「…学校で…やめろって…いつも言ってるだろ…」
「じゃあもう五時限目サボって帰ろ?」
「学校終わるまで待てよ…」

こんな感じで、三年生になってもオレたちは相変わらず仲良しです。

 

───

 

六時限目が終わり湊と玄関を出ると、入口で昼間の男子が俯きながら立っていた。誰か待ってるんだろうか……東棟の玄関で下級生が三年を待つって、かなり気合いの入った所業だな。

「誰か待ってんの?」
「…っ、あっ、あのっ、くみっ、久御山先輩をっ」
「……オレ?」
「僕、外そうか?」
「や、ほら、昼話してたパンの」
「ああ、久御山にパン買っておいてくれた子かな」
「あっ、はいっ! あっ、自分、魚住 翡生うおずみ ひおといいます!」
「な? 昔の湊みたいだろ?」
「僕はこんなに可憐でもあどけなくもなかったかな…」
「そうか? ……で、なんでオレを待ってたの? 告白?」
「はいっ」

……はい?

オレは湊と顔を見合わせ、それから「た す け て く れ」と心の中で訴えてみたが、どうやら湊には伝わらなかったらしく、玄関から出て来た藍田の元へと走り去って行った。ああ、そういえば屋上で告られてた藍田の話も気になる…

「とりあえず、場所移さない?」

 

───

 

オレと湊と藍田と魚住の四人でファミレスに入り、オレは魚住と、湊は藍田と一緒に席を分けて座った。湊も藍田も気を遣ってるんだろうけど、いまのオレにその気遣いは無用じゃないか…

「それで? オレはどんな顔で話を聴けばいいの?」
「あっ、普通で! 普通の顔で、お願いします!」
「了解、じゃあ魚住のタイミングでどうぞ」

柔らかそうな白い肌を紅潮させ、緊張で瞬きすら忘れてそうな魚住は、二年前の湊ほどではないにしろ女の子みたいに可愛い顔で、一所懸命言葉を選んでいた。大きな瞳に長いまつげ……化粧映えしそうな顔だなー。緩い巻き毛はくせっ毛なのか手を掛けてるのか、どっちなんだろう。

「あのっ、自分…ずっと久御山先輩に憧れてて」
「うん」
「それで、あのっ、あの……来月、引っ越すことになって」
「あ、そうなんだ…どこに?」
「徳島です、あの、四国の」
「おう、四国以外の徳島を知らないわ」
「ですよねっ、あの、それでお願いがあって」
「うん、何? オレにできそうなこと?」
「一度だけ……デートしてもらえませんか…」
「いいよ? いつ?」
「えっ…いいんですか?」
「うん、どっか行きたいとこある?」
「行きたいところ……遊園地、動物園、公園…室内じゃなくて外がいいです」
「了解、次の土曜日でいい?」
「はいっ!!」

 

ファミレスを出る頃には外は暗くなっていた。藍田の話は湊から聞けばいいか……藍田と魚住を駅まで送り、湊にどうやって切り出そうかなあ、と考えた。

 

───

 

「……と、いうわけでデートして来る」
「うん、魚住くん楽しめるといいね」

ファミレスでの話を正直に伝えると、読んでいた小説から顔をあげ、湊は笑いながらそう答えた。

「おまえ、ほんと寛大だな……ヤキモチ妬くとかないのかよ」
「妬いてるよ……でも生涯でたった一日だけなんだよ、彼にしてみればさ」
「…オレはそんなに聞き分けよくねえかんな」
「なんの話だよ」
「湊、宗弥さんに似て来たから」
「宗さんは、もっとイケメンだしもっと優しい顔してるよ」
「桜庭とふたりで逢うの、禁止な」
「……まさか、それを気にしてるとは思わなかった」
「オレは二年前からずーっと気にしてんだよ」

取り越し苦労にもほどがあるよ、と湊は笑いながら、またソファの上で小説を読み出した。読んでいる本が三島由紀夫の「仮面の告白」でなければ、オレももう少し安心できたかもしれない。

 

───

 

東京で待ち合わせといえば “渋谷のハチ公前” だと京都にいる時は思ってたけど、実際ハチ公前はひとが多過ぎて待ち合わせには向いてない。ハチ公にまたがっててくれるとかでもない限り、あの小さな魚住を見つけるのは一苦労なんじゃないか、と思っていると背後から声を掛けられた。

「久御山先輩!」

ああ、なるほど…魚住のほうからオレを見つけてくれたのね…って…

「……誰?」
「あっ、魚住です」
「えっと……」

いまオレの目の前には、バーバリーのノバチェックのミニスカートにニーソ、Dr. Martensのブーツを履いた可愛い女の子・・・がいる。オレの記憶が確かなら、魚住は男子だったはずなんだがグロスでぷるぷるになった口唇でニッコリ笑う目の前の子はどっからどう見ても可愛い女の子だ。

「似合うね、ミニスカート…可愛い」
「…本当ですか!?」
「うん、メイクも可愛い」

魚住の両手を取って頬に軽くキスをしたら、周りが「おおっ…」とざわついた。しまった、ここは大勢のひとで混雑するハチ公前……とりあえず魚住の右手を握り、歩き出す。

「花やしき? よみうりランド? ドームシティ? 上野動物園? 井の頭? まさかのネズミー?」
「あっ、えっと、順番に、まずは花やしきから!」

まあまあ混んでる電車の中で、魚住が押し潰されたり見失ったりしないよう、ドアの近くで壁に手を着いて腕の中に魚住を避難させると、やっぱりわかりやすく真っ赤になって俯いた。

「反応が初々しくて、イケナイことしてる気分になるんだけど」
「あっ、すみません…慣れてないので」
「今日は恋人同士なんじゃないの?」
「…っ…い、いいんですか!?」
「Why not?」

オレなんかと思い出作ったところで、何かがどうにかなるとも思えないけど、目の前で嬉しそうに頬を赤くしてる魚住を見てると、喜んでもらえるように努力しよう、って気になる。それはオレの優しさじゃなくて、やらしさかもしれないが。

駅から歩いてすぐの場所にある花やしきは、小ぢんまりとした遊園地だった。日本最古の遊園地というだけあって、なんつーか……全体的に乗り物の類が小さい。オレ、乗れるんだろうか。

「あのっ、久御山先輩、絶叫マシン大丈夫ですか?」
賢颯けんそう
「えっ…」
「久御山先輩じゃなくて、賢颯」
「あっ、はいっ…えっと…賢颯…さん」
「ちなみに絶叫マシンと呼べるようなものは、ここにはないんじゃないか?」
「た、確かに…」
「よし、メリーゴーランドから攻めようぜ」

魚住をメリーゴーランドに乗せ、オレは柵の外でそれを眺めようと思っていたけども。

「あ、付き添い必要なのか」
「えっ? 付き添い?」
「うん、4歳以下の子は付き添い乗車が必要って書いてある」
「…ちっちゃくても十六歳です!」

一緒にメリーゴーランドに乗り、馬にしがみ着く魚住を見て笑ってしまった。オレはというと、オレの重さで馬を破壊してしまうんじゃないかと割と不安になっていた。しばらく耐えろよ、馬。

「…乗り物、全部付き添い必要なんだな」
「だからっ! ちっちゃくても高校生です!」
「はっはっは……何センチだ? お嬢ちゃん」
「……159cmです」
「ほお、オレよりうまい棒二本分以上ちっちゃいな」
「単位がうまい棒なんですか!」
「でも女の子なら普通じゃね? 159cmなんて」

いくつかアトラクションを攻めつつ、ほんとにコレ壊れねえだろうな、と不安になりつつ、どちらかというとその心労でバテ気味だったオレは休憩所の椅子に腰をおろし、魚住を膝の上に乗せてみた。椅子、壊れねえだ(略)。

「楽しい? 花やしき」
「はいっ! くみ…賢颯さんの膝の上でドキドキしてますけど!」
「はっはっは、硬いナニかが当たったらごめんね?」
「…っ…えっと、あのっ…」
「本気で怯えないでくれ」
「いえ、怯えてるんじゃなくて…」
「喜ばれてもビミョーだからな?」
「あの、自分……トランスジェンダーなんです」
「そうなんだ、女の子の服が好き、とかじゃなくて?」
「はい、最初は……ゲイなのかな、とも思ったんですけど…」

その時オレは、突然の告白に驚くわけでも戸惑うわけでもなく、「あ、じゃあフワフワの髪はやっぱり自分で巻いてんだな」と、謎が解けたような爽快感を覚えていた。