第三十六話 ハルの病に薬なし
宗さんのカラダはカッコイイ。あごの尖った卵型の輪郭、意志の強そうな直線の眉、長いまつげに縁取られた茶色の瞳、真っ直ぐに伸びた高い鼻、薄くて形のいい唇。
首も、肩も、鎖骨も、腕の付け根も、当然腕も、胸も、脇腹も、腹も、腰も、太腿も、膝も、ふくらはぎも、足首も、足の形も、長く細い手の指も、足の指も、土踏まずの曲線すら文句なしにカッコイイ。
広くて厚い胸から直線的に細くなる腰のライン、そこから作られる尻の窪み…ここまで完璧な人間がいるだろうか。
スーツに身を包んだ姿は誰もが振り返る完璧さで、歩く姿は神がかってカッコイイ。腕時計や靴のセンスの良さも言葉にすることが躊躇われるほどだ。
そのうえ頭も良く、話し上手で機転が利き相手を退屈させるようなことなど一切ない。立ち居振る舞い、仕草、何を取っても素晴らしく美しい。
「どうした? さっきから黙ったままで」
「いえ、ちょっと…見蕩れてました」
「俺に?」
「はい」
「ふ…可愛いこと言うねえ」
加えて低く穏やかな声……この自信に満ち溢れ且つ優しささえ滲ませたワードセンス…文句の付けようがないとは正に。
宗さんは総合商社に勤めるエリート商社マンで、このスペックゆえ女性にも当然モテる。女癖が悪いという話も、宗さんなら当然であり赦されるのだ。
緩めたネクタイと白いワイシャツ…ベッドに腰掛け脚を組みながら新聞に目を通す姿なんて、まるで映画のワンシーンのようですらある。
───
深夜に帰って来た宗さんは、そのままベッドに倒れ込みおれを抱え込んだ。最近ずっと午前様で仕事が立て込んでいるのもわかる。
わかる、が。
「宗さん、スーツしわになりますよ」
トム・フォードのスーツを着ている自覚がないのだろうか…しかしまったく動く気配がない。
「…脱がせて」
ああ、もうこういうところもカッコイイ…上着を脱がせ、ネクタイをほどき、シャツのボタンを外しながら心拍数が上がって行くのを感じる。とはいえ、七万円もするフライのシャツを無造作に剥ぎ取るわけにも行かない。
言い出したら下着ですらハンロという徹底ぶりで、宗さんは戦闘服を着ているときは頭の天辺から爪先に至るまで一切手を抜かない。休日の下着がカルバン・クラインというのもどうかと思うが、きっと宗さんはウニクロやひまむらなどの存在を知らないに違いない。
スーツにブラシを掛け、ネクタイもシャツもハンガーに吊るし、振り返ると上等な男前が下着姿でカッコイイカラダを惜しみなく晒しながら……寝ている。通常パンツ一丁で寝ている男なんてむさ苦しいだけのものだが宗さんに限ってはその一般論は当てはまらない。カッコイイ。とにかくカッコイイ。
しまった、見蕩れて気付かなかったがこのままでは風邪をひかせてしまう。ブランケットでカラダを覆うと宗さんは片眼を細く開き、おれの顔を見ながら短く溜息を吐いた。
「…パンツ、履かせたままでいいの?」
「えっ…」
「いや、ハルがいいならいいんだけど」
「宗さん、眠いのかなって」
「うん、眠い」
「仕事で疲れてるでしょうし」
「うん、疲れてる」
「だから起こさないようにって思って」
「起こしてよ」
……どこを?
「えっと、一応確認ですが起こすって」
「ディック? コック? ペニス?」
「……いや、あの」
「そんな気取ったもんじゃねえな……俺の可愛いおちんちん咥えて」
「…っ」
おれが赤くなってどうする……でも宗さんのこういう男くさいというか、気取らないストレートなところもカッコイイ…たとえ友達同士だとしても、絶対外では言わないだろうしな、こういうこと…いや、言われても困るんだが。そして宗さんのソレは可愛いとかいうレベルではないんだが。
肌触りのいいハンロのボクサーパンツをそうっとおろすと、それを宗さんが邪魔そうに足で引っ掛け剥ぎ取ってしまう。桁の違うお高い下着をそんな雑に扱うなんておれにはできないが、宗さんにしてみれば単なる下着だ。
「宗さん」
「ん?」
「寝なくて大丈夫ですか? 明日も仕事なんじゃ」
「…配慮? 拒絶? どっち?」
「前者です」
「そうか」
宗さんは身体を起こし、寝間着代わりのおれのハーフパンツを下着ごと剥ぎ取ると、ディックでもコックでもペニスでもないおれの愚息をそっと握った。
「…っ…宗さん!?」
「んー?」
「な、何してるんですか!?」
「それは、されてるおまえが一番よくわかってるんじゃないか?」
ちょっと待ってくれ。ここで言うのもなんだが宗さんはノンケで、女性が大好きで女癖が悪くてそれが理由かどうかはわからないがバツイチで、まさか男の股間に手を伸ばすようなひとではまったくないはずなんだが!?
「……宗さ…ん」
「うん」
「あの…」
「うん?」
「…は、放して…くださ…」
「……」
「宗さん…!!」
「…おまえさ、俺を何だと思ってんの?」
何だと思ってるかって…世界一格好良くて頭の回転が速くて話し上手で聞き上手で女も男も誑し込むスーツの似合うエリート商社マンだと思ってるけど…
「おれにとっては唯一無二のひとだと思ってます」
「…俺にとってのおまえは?」
「……お荷物じゃなければいいな、と」
「俺は家主か何かなわけ?」
「そこまでは…考えないようにしてます」
「おまえ、時々そうやって俺を突き放すね」
宗さんは横になると、それっきり何も言わなくなった。
SNSで知り合った。交流を続けるうちに、逢いたくて堪らなくなって行った。それでも海外在住だということを理由にして逢いたい気持ちを紛らわせた。ネットで遣り取りできるだけでもラッキーなんだと思った。
帰国することが決まり、都内なら逢わないか、と言われた時は死亡フラグが立ったのかと思った。それでもいいから逢いたかった。リアルの宗さんは、ネットでの格好良さをまったく失わないどころか、更に格好良く素敵なひとだった。
おれから告白すると、宗さんは笑って「こんなおっさんでいいのかよ」と言った。おっさんなんかじゃないし、仮におっさんでも宗さんがいいのだ、と力説すると更に笑った。
大学入学共通テストと二次試験が終わったあと、「俺の家に来ないか」と言われ鍵を差し出された。都内だからあまり違いはないけど大学から若干近いから、と言う宗さんに、おれは即答した。
仕事が忙しい宗さんの身の回りのことをするのはしあわせだった。掃除、洗濯、靴磨き、ワイシャツをクリーニングに出すことにさえ顔がにやけた。お互いひとり暮らしの経験がないので食事の用意は困難を極めたが、おれはcookpadを味方に付けた。
宗さんと暮らしているということが、迎え入れてくれたことが、毎日必ず宗さんの顔を見られることが、おれにとっては本当に奇跡のような出来事なのだ。
これ以上何を望むというのか。
「ハル、遅刻するよ」
宗さんに起こされ慌てて飛び起きた。すでに宗さんは戦闘服に身を包み、髪もきれいに整え終わっていた。
「すみません、朝メシ…」
「途中でスタバにでも寄るから大丈夫」
「…すみません」
「謝るとこじゃないだろ」
宗さんは笑って出勤した。
昨日の「時々そうやって俺を突き放すね」は、なんだったんだろう。
宗さんは、時々そうやっておれを戸惑わせる。何事もなかった顔で笑う大人の宗さん。おれに至らないところがあるならちゃんと指摘して欲しいのに…
───
「悪いな、わざわざ」
「いえ、久しぶりに逢えて嬉しいです」
「……おれに?」
「…? はい、何かおかしいですか?」
藤城に逢うのは宗さんの部屋へ引っ越したあの時以来だから、約三か月ぶりくらいになる。大学の近くにあるファミレスでドリンクバーのコーヒーを持て余しながら、おれは小さく溜息を吐いた。
「あ、いや……ちょっと過敏になってるっていうか…」
「何に対してですか?」
「……藤城、おれのことどう思う?」
「真面目で誠実で頼り甲斐があって頭が良くて冷静で、身長が高くて超イケメンの先輩だと思いますけど」
「…褒め過ぎ……悪いところは?」
「僕からは見えないです、悪いところは」
「ないわけないんだけどな…」
「宗さんと何かあったんですか?」
「何かあったというか……何もないというか」
「…もしかして、まだ拒んでるんですか?」
「拒んでるわけじゃない…けど…」
「一緒に暮らし始めて、もう三か月も経つのに?」
「そうなんだけど……宗さんも忙しいし…」
「宗さんなら徹夜ででも構わないと思いますけど…」
「疲れてる顔間近で見るとさ…やっぱり気になるっていうか」
「……よく宗さんが我慢してますね」
「どうすればいいと思う?」
「身を任せればいいんじゃないですか?」
「…それは……そうだけど…」
「何が気掛かりなんですか?」
「宗さん、おれといてしあわせなんだろうか」
「不幸せを我慢できるひとじゃないので大丈夫かと…」
藤城から見れば宗さんは親族なわけで、切っても切れない間柄だという安心感が辛口な評価につながるんだろうけど……どうしても想像してしまう。やっぱり女性のほうがいいとガッカリする宗さんの顔を。そうなったときに掛ける言葉を考えて自滅してしまうおれは、一体何を望んでいるんだろう。
「桜庭さんのことが大事なんじゃないですか?」
「なんでそう思う?」
「相手が女性ならとっくに手を出してると思うので」
「……手を出したくない、という可能性」
「まさか…相手は宗さんですよ?」
甥にここまで言われる叔父もどうかと思うが、宗さんはカッコイイので赦される。
───
深夜に帰って来た宗さんは、やっぱりそのままベッドに倒れ込んだ。完全に眠ってしまう前にスーツだけでも脱がさなくては……スーツにブラシをかけ、シャツをハンガーに吊るして振り返ると、今夜も上等な男前が下着姿でカッコイイカラダを惜しみなく晒しながら寝ている。
「宗さん、寝るならちゃんと布団に入ってください」
「ん……」
少しだけ眉をしかめた宗さんに、胸が高鳴った。連日忙殺され疲れ切った顔が、なぜか堪らなく情欲をそそった。疲れてるんだから休ませてやれよ、という自分の声が加速した心臓の音にかき消される。
ひんやりとした耳たぶを口唇で挟み首筋に鼻を押し当てると、トワレの香りと汗の匂いに頭の芯が痺れた。一日働いた宗さんの匂い……もう駄目だ、何も考えられない。首筋を軽く嚙みながら舌を這わせると、ほんの少し汗の味がして更におれを追い込んだ。
「ん…ハル……?」
「嫌なら拒んでください」
「…なにを?」
鎖骨を舌でなぞりそのまま胸元を探ると、宗さんのカラダが小さく跳ねた。下半身に血液が流れ込み下腹の辺りが疼く。宗さんは、いまおれがどんな目で宗さんを見てるのかわかっているんだろうか。
「ハル……んっ…」
小さいな、乳首…男だから当たり前か……でも刺激するとちゃんと反応して硬くなるんだな……宗さんがおれの舌に反応してると思うだけで、胸の奥がギュッと熱くなった。
やっぱり女性とは全然違うな……カラダが描く直線もその硬さも、筋肉の弾力も骨の当たり具合も、あらためて宗さんのカラダなんだと反芻して、おれの心拍数が上がる。この段階でこんなにドキドキしてたら、途中で死ぬんじゃないのか…
縦長のヘソまでカッコイイな、と腹筋を指で確かめハンロのボクサーパンツに手を掛けたとき、ピッタリとカラダに張り付いた下着の中で窮屈そうに膨張しているディック? コック? ペニス? のエロさに視線を外せなくなった。宗さんの…アレが…大きくなってる……
ボクサーパンツの上から大きくなっているアレの硬さを確かめるように触ると、宗さんの細い腰がもどかしそうに動く。下着越しに握りながら口唇で擦って、熱を孕んで膨張したモノが一層硬くなると、おれのカラダが溶け出したような気がした。
「ハル……ちゃんと可愛がって」
宗さんの甘い声が更に甘く、おれを捕えて急かす。薄いコットンの布一枚に阻まれて焦れてる宗さんの吐息が耳をかすめ、はち切れそうになっているおれの欲望に拍車を掛ける。下着をずらすと窮屈そうに納まっていたモノが目の前で反り返り、その先端を濡らす体液に胸が震えた。
……エロい…
どんどん失われて行く語彙と、膨らんで行く欲望がひしめき合ったのはほんの一瞬で、どう考えても欲の深さが勝るに決まっていた。宗さんの顔も、カラダも、アレも、声も、何もかもが全部エロい。もう興奮するなというほうが無理な話だ。
宗さんの反り返った硬いモノを咥え、こぼれる体液を舌先ですくう。おれの指や舌の動きに宗さんが反応してる、それだけで何かが満たされて行くような気がした。いや、もちろん気がしただけでこのまま終わるつもりは毛頭ないんだが。それにしても宗さん、大きいよな……はあ、やっぱりカッコイイ…
荒くなる息遣いに腰がザワザワする。宗さんの脚を持ち上げ、太腿から付け根に向かって舌を這わせると、宗さんのカラダが大きく跳ねた。
「ハル…ちょっと待て…」
「待てません」
「おまえ、ジャンケン負けただろ…」
「でももう止められないんで…」
「…っ、ハル!」
宗さんのほうが若干身長は高いが、おれのほうが力はある。伊達に毎日16kgの弓を引いているわけじゃない。宗さんをうつ伏せにして腰を持ち上げると、慌てて宗さんがカラダをよじる。
「ハル、待てって」
「待てません」
「心の準備ってヤツがだな」
「……嫌ですか?」
「嫌とか、そういう問題じゃなくて」
「じゃあ、おとなしく抱かれてください」
「…祖父の遺言で、初めてのときは下になるな、と」
「家訓で上になれ、と母にきつく言われてますので」
「おお、それはしょうがないな……ってならねえぞ!?」
「宗さん……いま、宗さんを抱きたい」
本当におまえはよく心得てるよな、と溜息を吐いて、宗さんはうつ伏せで枕に突っ伏した。