初戀 第十七話

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物 語
第十七話 その男、樋口 宗弥

 

「湊ーちょっとー」

母に呼ばれて下におりると、見慣れないスーツ姿のひとがリビングのソファに座っていた。父の関係者にしては少し若い気もするけど……保険とか、教材とか、何か販売関係なのかな……って、え?

「……むねさん?」
「おお、湊、デカ……くはなってねえな」
「大きなお世話だよ……宗さんは相変わらずデカくていいね……」
「はっはっは……ほーら、高い高ーい」
「やめてよ!」
「みーくんは可愛いまんまだなあ」
「みーくんって呼ばないで!!」

宗さんに抱え上げられ、軽く屈辱を味わう。しかもみーくん、て……僕はもう高校生なんだぞ……

 

宗弥むねひさ、住む場所はもう決まってるの?」
「いや、帰国してすぐ出張で飛ばされたから何も決まってない」
「え、宗さん帰って来たの?」
「しかも独身になって戻って来たんだって」
「は? なに、宗さん三行半みくだりはん叩き付けられたの?」
「俺が叩き付けたんだよ!」

母の弟である宗さんは商社に勤めるエリートで、五年前にアメリカ転勤を言い渡され、それを機に付き合ってたひとと結婚した。お嫁さんも上智出身の美人さんで、誰もが羨むカップルだった……はずだった。

祥子しょうこさんは? 一緒に帰国したの?」
「別れた嫁さんと一緒に帰国する元夫がどこにいるんだよ……」
「あんたのことだから、それくらいは平気かなって」
「あっちに残りたいんだってさ」
「それで? ひとりぼっちで泣きながら帰って来たの?」
「泣いてねえし!」
「バツイチ独身のエリート商社マンなんて、この先モテモテな未来しかないじゃん」
「湊、いいこと言うなあ」

甥の僕から見ても宗さんは格好いい。整った顔に高身長、頭が良くて機転が利いて、話題も豊富でひとを飽きさせない。ひとつ、欠点があるとするなら……女癖が地獄のように悪かった。

「あ、そうそう、湊あんた暇でしょ?」
「うん、まあ暇だけど」
「宗弥が買い物付き合って欲しいんだって」
「荷物持ち?」
「そんなこと、おまえに頼むわけないだろうよ…」
「え、じゃあ何……」
「ちょっとアドバイスが欲しくてさ」
「アドバイス? 僕に?」

 

──

 

Loftであまり興味のない雑貨を手に取りながら、隣で同じように雑貨を冷やかす宗さんを眺めた。Loft、似合わないな宗さん……スーツ着てるからなのかな。スーツ似合ってていいな……僕にも少し宗さんと同じ血が流れてるはずなのに、なんで僕はこんなに貧相なんだろう……

「ごめん、待たせた?」

負のスパイラルに陥る前に、久御山くみやまに肩を叩かれた。

 

「はじめまして、久御山です」

初めて母に挨拶をした時と同じように、久御山は穏やかな笑顔で宗さんに挨拶をした。こういう時、スマートにコミュニケーションが取れる久御山を心底尊敬する。

「叔父の樋口ひぐちです。湊がいつもお世話になっています」

宗さんも余所行きの素敵な笑顔を振り撒いた。久御山と宗さんが並んでると、イケメンオーラで目が潰れそうになるな……なんなんだよ、ここだけ照明強いんじゃないのか…

初戀 十七話

「突然ごめんな、久御山……僕にはちょっと敷居が高くて…」
「いや、オレもトム・フォード着てるひとのお眼鏡に適うかどうか」
「わかるの!?」
「なに? スーツ?」
「うん、見ただけでわかるの?」
「そりゃ……一着五十万のスーツは男の子の憧れじゃない?」
「ご……ごじゅうまん……」
「俺、おまえより久御山くんのほうが仲良くなれそうだわ、湊……」

 

──

 

「時計以外思い付かなくてさ」

まずは作戦会議をしよう、とカフェに入り、アイスラテにガムシロを垂らしながら、宗さんは小さく溜息を吐いた。なんでも、お世話になってる上司の息子さんに誕生日の贈り物をしたいけど、何を贈ればいいのかわからない、とのことだった。

「でも、上司の息子さんにあんまり高い物贈るのも……立場とか、あるんじゃないの?」
「もちろんあるよ…金品で上司に取り入ってるって噂も立つしね」
「だったら時計はナシじゃない? 安い時計っておもちゃみたいだし」
「だよなあ……高校生の欲しがるものなんて、おっさんにはわかんねえよ…」
「……失礼ですけど、樋口さんおいくつなんですか?」
「あ、宗弥むねひさでいいよ……ちなみにいくつだと思う? 忌憚きたんない意見、聴きたいんだけど」
「顔で判断するなら二十二から二十五、振舞いが落ち着いてるのを考慮して二十八前後、お召し物の格を考慮するとグンと跳ね上がりますけど、外資系というところを差し引いて三十二から三十五、くらいでしょうか」
「久御山、なにそのプロファイリング……」
「……すごいね、久御山くん…頭の回転、速過ぎない?」
「あ、賢颯けんそうって呼んでいただければ。当たってますか?」
「うん、三十二だけど……顔で判断すると二十二から二十五…なのか…」

宗さんは肩を落としうなだれた。あまりにも若く見え過ぎるのは、仕事をする上で不利にはなっても有利に働くことはないらしく、せめて少しでも上に見られるように、と着る物や持ち物でかさ増し・・・・しているそうだ。

「超が付くくらいのイケメンなんだからいいじゃん…背も高いしさ…」
「だね、格好良さに気を取られて、年齢は二の次って感じ」
「……賢颯くん、きみ本当にいい子だなあ」

久御山と宗さんはどことなく似ているような気がする。場の空気を上手に読んだり、相手を傷付けない言葉を選んだり。それでいて、言わなくちゃいけないことはハッキリと伝えるところなんかも。

「じゃあ、これからの季節、手袋とかマフラーなんかはどうでしょう」
「あ、いいね。それならあんまり重くないかも」
「宗弥さん、踏み込んだことを伺ってもいいですか?」
「うん、なに?」
「その上司はご存じなんですか?」
「ご存じって……何を?」
「え、息子さんと…お付き合いされてるのでは?」
「……いや、残念ながら単なる上司の単なる息子だよ…」
「あ、そうだったんですか……すみません、失礼なこと言ってしまって」

 

宗さんは肌触りを確かめながら、ラムウールのマフラーを選んだ。ポールスミスのストライプのマフラーは冬の定番ですね、と久御山が言うと、いくつかの色の中から落ち着いた黒ベースのものを手に取り、しばらくそれを眺めながら「…うん」と宗さんは頷いた。

 

──

 

「なあ久御山、プレゼントさ、なんで恋人だと思った?」
「単なる知り合いならネットで検索してテキトーに決めればいいじゃん」
「ああ、もらって嬉しいプレゼントランキングとか?」
「そそ、でもあえて現場の声が聞きたいってのは、それなりの相手なのかなってのと」
「他にも何かあるの?」
「財布とかじゃなくて身に着けるものが第一候補だったから」
「なるほど……そう言われると深いね…」
「マフラー、肌触り丁寧に確かめて色も吟味してたから、単なる息子宛てじゃない気がするけど」
「久御山の洞察力っていうか、そういうところすごいなって思うけど」
「思うけど?」
「宗さん、超絶女好きだから」
「……オレも超絶女好きだったけど」

 

一瞬で顔が熱くなった。

 

***

 

LINEの通知に心臓が跳ね上がる。

── 入口だけど、どこ?

立ち上がって頭をさげた。

 

「はじめまして……って言うのもあれだね、不思議な感じするね」
「あっ、はい……あの、今日はわざわざすみません」
「いや、俺も逢ってみたいと思ってたから」

SNSで知り合ったそのひとは……チェーン展開するリーズナブルなカフェの中でひとり、スポットライトを浴びているようだった。品のいい服、センスのいい靴、それから高そうな時計と……優しそうな笑顔。大学生だと言われても疑わないほど若く見えるのは、整った顔立ちのせいなんだろうか。

「怖くなかった? 得体の知れない人間に逢うの」
「いえ……SNSでお人柄はわかっていたので、全然」
「ハルがこんな格好いいなんて、想像してなかった」
「え、いや、おれのほうこそ驚いてます、あまりにも格好良くて」
「ふふっ……実は昨夜眠れなかったんだ。遠足の前日みたいな、期待感と高揚感で」
「あ、わかります。おれも緊張してよく眠れなくて」
「じゃあ映画観に行ったりしたら、仲良く昼寝しちゃうから危険だな」

コーヒーを運んで来た従業員に「ありがとう」と言って、一緒に机に並べられたシュガーポットを開ける。こういうときお礼を言うひとを珍しいな、と思った。

「……砂糖、入れるんですか?」
「え、おかしい?」
「いえ、ブラックで飲みそうなイメージだったので……」
「お茶代わりに飲めないんだよね……どちらかというとスウィーツ感覚」
「意外……スウィーツ好きなのはSNSで知ってましたけど」
「スウィーツでドーピングしてβ-エンドルフィン出しまくってるよ、毎日」
「それなのに、その体型を維持してるのはすごいですね」
「ハルも細いじゃない」
「いや、おれ部活引退してから3キロほど太って焦ってます……」
「わかるわかる、身体動かさなくなっても食う量同じだったりするよね」

 

本当にただの成り行きだった。

いつものようにSNSをチェックしていたら、一枚の写真が目に留まった。そこに写っていたのは、すでに絶版になった参考書でしばらく前おれが血眼で探していたものだった。絶版になったことを知り諦めていたその参考書の写真には「物持ちが良過ぎて自分でも驚く……」とコメントが添えられていた。

当然おれはDMで連絡を取った。譲ってくれ、とは言わない。せめて受験が終わるまで貸してもらうわけにはいかないだろうか、と。彼は快諾してくれた挙句、「郵送と直に受け渡すの、どっちが都合いい?」とおれに配慮までしてくれた。

 

郵送の場合、住所や名前を開示してもらうことになる。

直に逢う場合、俺に連れ去られる可能性がある。

 

彼の一言一句、一挙手一投足にときめきを感じていたおれの答えに迷いはなかった。連れ去られる……は、彼なりの冗談だと最初からわかっていたけど、それはそれでいいかな、と思う自分もいた。

しばらくカフェで話をして、お目当ての参考書を受け取ったおれは、本当のお目当ては彼なのか参考書なのか、もうわからなくなっていた。

「こんなにきれいな状態で…すみません、大切なものを」
「もう二度と使わないからね…それ…」
「あ、まあ、そうですよね……」
「返さなくてもいいよ、よければもらってやって」

……もらってしまうと、もう一度逢うための口実を失ってしまう。ということは、もう二度と逢うことがない、ということだ。それはそうか……相手は忙しい社会人だし、なんといっても既婚者なのだから。

「受験勉強、捗ってる?」
「どの問題集を選べばいいか、とかで悩んだりしてます」
「なるほど……嫌じゃなければ付き合おうか?」
「……え?」
「傾向と対策くらいなら、アドバイスはできるけど」
「え、あの、いいんですか? お忙しいのでは…」
「週に一、二回逢う時間くらいは作れるよ」
「…っ…ぜひ……お願いします」

 

連絡先を交換してカフェを出た。駅までの道のりをゆっくりと歩きながら、コンビニスイーツの話で盛り上がった。しかし……歩く姿さえ格好いいんだな……きれいに伸びた背筋が更に身長を高く見せる。

「あの、ちょっとよろしいですか?」

目の前に立ちはだかった女性に驚いた。後ろから声を掛けるとか、座っているところへ声を掛けるならまだしも、歩いている目の前に飛び出し動きを止めるとは……これだけレベルの高い男前が相手だと捨身にならざるを得ないのか…と思っていると、雑誌を差し出され彼がそれを受け取った。

「二十歳前後の女性をターゲットにしたファッション誌で、毎号街で見掛けたおしゃれさんのスナップを掲載してるんです。よろしければおふたりの写真を撮らせていただけませんか?」

「ハル、顔写っても大丈夫?」
「おれは大丈夫ですけど……」
「じゃあ記念に撮ってもらおうよ」

ナンパかと思いきや、ファッション誌の撮影……普段なら絶対に断る話だけど、彼の屈託のない笑顔に背中を押された気がした。もしかしたら人前で名前を呼ばれたことに、舞い上がったのかもしれない。

「おふたりはどういったご関係なんですか?」
「どういったご関係に見えます?」
「うーん、何のひねりもなくお友達……兄弟、親戚」
「実は教師と教え子なんです」
「え、そんなに歳が離れてるようには見えませんでした」
「嘘うそ、本当は恋人なんです」

そう言って彼は素敵な笑顔を振り撒いた。雑誌社のひとは「素敵ですね!」と目を輝かせ、おれは……馬鹿みたいに心臓の動きを加速させていた。

 

「ツッコミ待ちだったけど……すっかり信じられちゃったな」
「LGBT絡みですかね」
「あ、なるほどなあ……突っ込むほうが野暮ってことか」
「差別とかに発展しやすい話ではありますからね」
「そうだねえ……そっか…恋人に見えるんだな」

心臓の音が聞こえるんじゃないかというくらい、大きく跳ね上がった。