あのときの僕の話をしよう 13

あのときの僕の話をしよう
物 語

その61

「…いいけど」

なんで手なんだろう。湊に左手を差し出すと、両手でそっと触れながら、「楠本さん、指長くて細くて手が大きくてきれいだなあってずっと思ってたんです」

うん、そっか。きれいとか言われてもまるでピンと来ないけど。

「…指輪とか、しないんですか?」
「ああ、さすがに仕事中は外してる」
「なるほど」

未婚だし、お洒落指輪禁止だし。

「この手で、彼女さん抱くんですね」

そう言うと、お礼を言って湊は車から降りて行った。この手で抱くんですね、という言葉が生々しくて、なんだか罪悪感を覚えた。 

 

その62

朝起きてスマホを確認してみる。

通知欄でわかったはずなのに、わざわざLINEを立ち上げてもう一度確認してみた。結果は変わらなかった。当たり前だ。

彼女はいま何を考えているんだろう。もしかして、愛なんてもんじゃなくてただの欲でしかなかったのかな。だとしたら、代わりなんていくらでもいる。彼女にも、僕にも。

 

要件定義書をクライアントに届けた帰り、スタバに寄って時間を潰した。まさか、僕がここにいることなんて知りもしない彼女が、窓の外を横切って行く。見たこともない男と、見たことのない笑顔で。

 

その63

要件定義書は渡したから、仕様書か…システム設計どうしたんだったかな。これも運用まで時間ないな。その前に外注確保しておかないと…もう電話できる時間じゃないか。ノー残業デーとかいって電気落とすのやめてくれないかな…帰りたくても帰れないのに。

「…楠本さん、大丈夫ですか?」

そう言って湊は僕にハンカチを差し出した。

 

「狭いですけど、適当に座ってください」

ワンルームの部屋はきれいに片付けられていて、湊の几帳面さを物語っていた。僕は何をしにここに来たんだろう。湊は…わかってるんだろうか。

 

その64

「何か飲みます? ビールしかありませんけど」
「うん、車だからいいや」
「あ、そうですね」

無言の時間が気まずい。

何となく湊に押されて来たのはいいけど、楽しく話せる気分でもない。だからといって、またハンカチ差し出されるのもな…

「楠本さん、下の名前、何でしたっけ」

はい?

「むね…みつ…だけど」
「名前までイケメンか!」

どういう意味だ。

「名前にイケ要素なんてあるの?」
「硬派な感じするじゃないですか、むねみつ」
「夜中に女の子の部屋にいて硬派なのか」
「楠本さんは…手出しませんから」

…釘、刺されてる?

 

その65

「…何で?」
「泣いてた理由を考えたらわかるじゃないですか」
「何が?」
「だから、手は出しません」

この時、自分でもどうしてかわからないくらい嗜虐的な気持ちになって、ネクタイを緩め、外した。

押し倒した湊の両腕を頭の上で押さえたら、片手で納まる腕の細さに、ますます気持ちがざわついた。支配欲って、こういうものなのかな。湊を傷付けて泣かせたい。嫌がる湊をねじ伏せて、その口で許しを乞う姿が見たい。泣きながら許してと言う湊を想像して、僕は、自分が高まってることに気付いた。憧れてる?一途な僕に?