第二十七話 その男、綾小路 澄晴
「う…っ…ん…」
「ほら、もう少し脚開けよ」
「うぅ…お願…い…やめて…」
「…おまえのお願いを」
「…はぁ…っ…」
「聞いたとして」
「ん……」
「なんかおれにメリットあんの?」
「…ぐっ…う…っ!!」
イヤだなんだって言いながら結局アンアン鳴くんじゃねえか。そう言い捨ててヤツは帰って行った。拭っても拭っても溢れて来る精液の感触が気持ち悪くて、でも泣きたくなくて、笑った。
──
「…アヤ、授業終わったよ」
「……ん」
「どうしたの、今日ずっと寝てるね」
「うん…大丈夫……ちょっと寝不足…」
タチバナに起こされて、もう昼休みだということに気付いた。あんまり食欲ないな、と思いつつ学食のショーケースの前で悩んでるフリをした。
「……アヤ、それだけ?」
「ずっと寝てたから、お腹減ってないみたいで」
サラダと野菜ジュースが乗っている広々としたトレイを見て、タチバナは少し呆れたように言った。
「そこ、空いてる?」
「うん、空いてるよ」
タチバナの横に腰をおろした桜庭が同じように言う。
「なんだ綾小路、ダイエットでもしてるのか」
「ははっ、うん、まあね」
「それ以上どこ痩せるっていうんだよ」
一般的に見て細い部類に入るタチバナも桜庭も、食べ盛りの高校生らしくしっかり定食食ってるもんな……野菜ジュースをすすりながら溜息を吐くと、「食事中すみません」と声がした。
「どうした?」
「桜庭さんにお届け物です」
「おれに?」
チビッコから紙袋を受け取り、中を確かめた桜庭の顔がパッと明るくなった。チビッコはタチバナに「はい、あーん」と言われ、口の中にミートボールを詰め込まれていた。
「桜庭、何もらったの?」
「あ、参考書と問題集」
「受験生は大変だねえ……」
「綾小路、受験しないの?」
「いやするけどもさ…」
タチバナはチビッコの頭をなでたり、頬をつまんだりと仲睦まじい。
「じゃあ、僕はこれで…お邪魔しました」
「わざわざ悪いな、藤城」
「藤城、またね」
どうでもいいけど、このチビッコはなんでタチバナと桜庭に可愛がられてるんだろう。
インターハイで優勝した弓道部の桜庭と、学コンのピアノ部門で1位になったタチバナにはファンクラブというか派閥がある。ふたりとも類稀なるイケメンで、さらに桜庭は身長184cm、タチバナは180cmという高身長、しかもふたりとも東大志望という、畏れ多い高校生だ。
それに引き替え。
チビッコが常に学年トップの成績を誇っている、という話は知ってるけど、言ってしまえばそれだけだ。何か特技があるわけでも、身長が高いわけでも、驚くほどイケメンというわけでもない。並。中の中。まあ、中の下くらいのボクに言われたくはないだろうけどね。
──
五時限目の授業を受けようかどうしようか悩みながら歩いていたら、結局いつもの音楽準備室にたどり着いてしまった。まあ、いまさら先生だってボクの出席率をどうこう言ったりしないだろう。
「好きです」
……部屋の中に入った瞬間聞こえて来た台詞に動きが止まる。ひとの出入りが少ない部屋じゃないから誰かいても不思議はないけど、こんな誰かが告白されてるタイミングでかち合うと居心地が悪い。
「ごめんね、オレ付き合ってる子いるから」
へえ……こんな真正面からお断りするヤツ、ほんとにいるんだ……なんか、告られたことに舞い上がって「ありがとう」とか「嬉しい」とか言っちゃうヤツのほうが多い気がしてたけど。
ボクの横を通り過ぎようとした女子がボクを見て驚く。いや、別にボクだってこういう現場を狙って来たわけじゃないからね……足早に部屋から出て行く女子生徒の背中を見送りながら、少し申し訳ない気持ちになってると、告られた側の男が隣に立っていた。
「……ああ」
「ああ、ってナニ?」
「えっと、久御山…だっけ」
「そうだけど」
「実物見るの初めてだから」
「…? 話、噛み合ってる?」
「あれ? 合ってない? 告られてんの誰だろーって思ってたら、有名人だったからなるほどなーって」
「アンタ誰」
「名乗るほどのものでもないけど、三年の綾小路」
「名乗るのかよ……で、こんなとこで何やってんの?」
「ギター弾こうかなあって思って」
「授業は?」
「聞いてもどうせわかんないし」
「なるほど」
ケースからギターを取り出し床に座ってチューニングを始めると、久御山はその辺の椅子に腰をおろして気怠そうにこっちを見ていた。見世物じゃないんだから、そんなに見られると無駄に緊張する。
「……イングヴェイ?」
「知ってんの?」
「なに、いまどきのJ-POPじゃなくて、ゴリゴリの速弾きギタリストなの?」
「……マリーゴールドとかドライフラワーとかも弾くよ」
「似合わないね……Jet to Jet 弾いて」
なんだろう、アルカトラスが好きなのかイングヴェイが好きなのか、どっちにしても久御山はヘヴィメタ好きと見た。Jet to Jetはヴァースからコーラスに移るところのメロディラインが秀逸だよな。
「……歌までうたえるんだ」
「え、おかしい?」
「褒めてんだよ」
「あ、そうなんだ」
なぜかそのあと、久御山のリクエストに応えて一時間ワンマンショーをやる羽目になった。金取るぞ。
「綾ちゃん、スマホ鳴ってる」
「んー」
久御山からスマホを受け取りLINEを開く。
── 19:00
ふうっと溜息を吐いてスマホを床に置く。
「突然元気なくなってない? 綾ちゃん」
「んー、大丈夫」
いつの間にか「綾ちゃん」なんて呼ばれてるし。
「久御山さあ」
「うん」
「付き合ってる子のこと、どれくらい好き?」
「は?」
「さっき言ってた。付き合ってる子いるって」
「ああ、そう言ったほうが諦めやすいかなって思って」
「じゃあ、いないんだ」
そっかー……いないのかー…
なんだかよくわからないけど、久御山と仲良くなってLINEの交換とかした。
──
「澄晴、来てたんだ」
おまえが来いつって連絡寄越したんだろ。
「あのさ、純暁…」
「なに?」
「そろそろ受験勉強、忙しくなるから」
「キヨ、大学行くつもり?」
「一応……」
「ふっ……パパに言えば? なんぼでも金出してくれんだろ」
「……そういうわけにも」
余計なこと考えんなよ、と言いながら純暁はボクの服を脱がせて目隠しをする。その時、手首に触れた慣れない感触に、思わず腕を引っ込めた。
「キヨ、手出して」
「何すんの?」
「痛いことしないから」
「だから、何すんのって訊いてるじゃん」
「…手、出して?」
冷たくて重い金属が手首にぶらさがり、さすがのボクも声が荒くなる。
「いい加減にしてよ!」
「怒んなよ……終わったらちゃんとご褒美あげるからさ」
「……やだよ」
「頼むよ、協力して?」
結局いつもこうして純暁に押し切られる…
しばらくするとインターホンが鳴り、そっと部屋の扉が開く。
「ねえ、何してもいいの?」
「壊れない程度にお願いします」
客と純暁の会話を聞いて背筋が寒くなる。一体何をしようっていうんだよ……っていうか、なんでこんな本格的に客取るような真似してるんだ…
何が始まるのかわからなくて身構えていたボクは、いきなり髪を掴まれますます縮こまった。
「お口開けて」
口唇に当たるモノの感触に心底萎えながら口を開けると、遠慮なくねじ込まれたソレでのどを塞がれ危うく嘔吐きそうになった。プロじゃないんだから手加減してよ…
「結構身長高いんだねえ…まあ、細いからいいけど」
何がいいのかわからない……どうせ用があるのは尻だけなんだろうから、身長が高いとか低いとかどうでもよくないか。
「下のお口も開けてもらおうかなあ」
四つん這いにされた尻をいきなり掴まれてカラダが飛び跳ねた。結構柔らかいね、と言いながらそのままローターを突っ込んだ客は、顔をしかめるボクを見てクスクスと笑う。柔らかかろうがそうじゃなかろうが、何も付けずに突っ込んだら痛いに決まってんだろ……!!
「もう少しおとなしくしててね」
……は? 何をするつもりだろう、と思っていると、もうひとつ何かをねじ込まれそうになり腰が引ける。ふざけんな、本来そこは出す場所であって入れる場所じゃねえ!
「さすがに厳しいみたいだね」
尻に冷たい液体を垂らされ、すでに先客のいる場所へ何かをねじ込まれる。バイブかディルドかわかんないけど、他人のカラダだと思って無茶するよな……この時はまだ余裕のあったボクも、次の瞬間、膝が崩れた。
「…っ!!」
「スイッチオーン」
「反応いいねー、かーわいいー」
「お口の動き止まってるけどー?」
…ちょっと待て……一体何人いるんだ……
「…こぼすなよ?」
口の中に吐き出されたものを飲み込もうとした時、挿さっているバイブを更に押し込まれ、呻き声と一緒に口から精液がこぼれた。「締まりの悪いお口だなあ」と言われ頬に痛みが走った。
「ちょっと借金があってさ」
そう言った純暁の横顔がやけに疲れて見えたから、ボクが力になれることなら協力しようと思ったのが間違いだった。「一回だけ、頼むよ」と言われたそれは、二週に一回になり、一週に一回になり、いまでは一週間に三度呼ばれることもある。
妊娠するわけじゃないし、ちゃんとコンドームは用意するから。涼しい顔で純暁は言ってのけた。
はした金でボクに客を取らせる純暁の借金はいつまで経っても減らない。
ボクが断ると、「おまえはともかく、親父さんが困るんじゃないかなあ」と純暁は笑いながらスマホの画面をこっちに向けた。いつの間に動画なんか……ボクが足を突っ込んだのは蟻地獄だったんだな、と悟った瞬間だった。
振動でカラダがおかしくなりそうだ……全身が震えているような感覚に、力がまったく入らない…カラダを支えられ、なんとか四つん這いの状態でいると再び口に硬いモノをねじ込まれ、むせそうになる。
やっと引き抜かれたバイブの代わりにナマモノを突っ込まれ、ローターと一緒に突き上げられると耐え切れずに小さな悲鳴が漏れた。
「嫌がってるのかと思ったけど、そうでもないんだ」
「わー、インラーン」
「こっちもヨくしてあげなきゃねえ」
脚の間にぬるっとあたたかいものを感じ、全身鳥肌が立った。
カラダを起こされ、口の中で膨張するモノに舌を絡めながら、乳首を舐められ、ナニを咥えられて、尻を犯されるってそれ何てフルコースなんだよ……ダメだ…もう……何も考えられない…
「ん…っ…んんん…う…」
「もうイっちゃうの?」
「んーんん…ん…」
「やーらしー……ほんとに淫乱なんだなー」
「…ん…っ」
……死ぬ…
「キーヨー」
「……」
「ごーめーんーってばー」
「…ふざけんな」
「ごめん……」
「赦さない」
「澄晴…ほんとにごめんって」
そう言って純暁はボクにキスをして、ポケットに諭吉をひとり突っ込んだ。
「もうごまかされない…」
「…しつこいなあ」
「…っ…やっぱり反省なんかしてないじゃん!」
「うるせえ! 帰れ!」
……逆切れ。
まさかこんな状態で外に放り出されるとは思いもしなかった……せめてシャワーくらいさせてくれよ…ふざけんなマジで……はあ…まだ親も起きてるだろうし…家に帰れない…
「……アヤ?」
声に振り返るとタチバナが訝し気な顔で立っていた。
「いま帰り?」
「……うん」
「…具合悪いの?」
「えっ…なんで?」
「歩き方がぎこちないっていうか…」
うん、そっか…そうだろうね……できればあんまり近付いて欲しくない…
「……おいで」
そう言うとタチバナはボクの手を取り歩き出した。いやっ、まあ、確かにタチバナの家は近所だけど……このドロドロな状態で余所様の家にあがるのはちょっと…
「あ、あのっ、大丈夫だから!」
「何が大丈夫?」
「え? や、えっと、体調とか」
「それは良かった」
「だから、あの、放して欲しいかなあ、なんて」
「忙しいの?」
「いや、そうじゃないけど」
「じゃあ、いいでしょ? 勉強教えて?」
タチバナの家に着くと志紀さんはもう帰ったらしく、家の中は静かだった。玄関で躊躇っていると腕を掴まれ、「はいはい」と風呂場に案内された。
「タオルと着替え用意しておくから、ごゆっくり」
「…えっ」
「それともおれが入れてあげようか?」
「いやっ、大丈夫!」
シャワーを浴びながら、何をやってるんだろう、と悲しくなった。一生に一度のお願いを何度も繰り出す純暁の言葉を、どうしてボクは何度も何度も信じてしまうんだろう。結局こうして酷い目に遭うことだってわかってるのに、どうして。
シャワーから出ると、クリーニング済みのパジャマと……新品のパンツが用意されていた。タチバナってほんと気配りのひとなんだな……別にパンツなんかなくてもいいのに…
風呂場の外で待っていたタチバナにリビングへと連行された。タチバナは薬箱を開くと、ワセリンを取り出しボクの頬にそれを伸ばした。それから手首にも同じようにワセリンを塗ってくれた。
「他に怪我してるところ、ある?」
「ない…と思う…」
「ほんと? 確かめてもいい?」
「ないから! 大丈夫だから!」
タチバナは眉間に寄せたシワをふっと消して優しく笑い、ボクの額を指で突っついた。
「あんまり無茶するなよ」
何も訊かずにボクに必要なものを与えてくれるタチバナの懐の深さに泣きたくなった。
「アヤ、大学どこにしたの?」
「んーまだ決めてないけど…」
「ミュージシャンになるなら音大とかのほうがいいの?」
「いやー、あんまり必要ないかも」
「じゃあ同じとこ行こうよ……おれ受かるか怪しいけど」
「は…? 無理無理! 行けるわけないじゃん」
「なんで?」
「だってほら、ボク出来損ないだしうちは兄貴がしっかりしてるからさ」
「……まだできないフリ続けてるの?」
「フリって……だって…」
「純暁さんに気を遣ってるのもわかるけどさ」
「ボクはギター弾いてるほうが楽しいし」
「……純暁さん、どこ出たんだっけ?」
「慶応……」
「そっか、じゃあそこよりレベル落としたいんだね」
「…そういうわけじゃないけど」
「大学もアヤと一緒だったら楽しいかなって思ったからさ、ちょっとワガママ言っちゃった。ごめんね」
「……タチバナ…」
四歳の時、ウェクスラー式知能検査というヤツを受けてIQ175という結果を叩き出した。幼稚舎の先生と親は舞い上がってボクが将来 “何者か” になるのを大いに期待した。
七歳の時も同じように知能検査をしたところ、IQは160だった。
そしてボクは “ギフテッド” の “烙印” を押され、その日から兄貴にいじめられるようになった。
※ JET TO JET / ALCATRAZZ / No Parole From Rock’n’Roll