Alichino .9

Alichino
物 語

code.09 赦されぬ者

 

「おい! 大丈夫か!」

ル・ルシュはユリエルの腕を解こうとするが、しっかりとルシを抱えた腕はなかなか離れることはなく、抱き締められたままルシは腕の中で号泣していた。しゃがみ込んだル・ルシュの足元に一本の矢が突き刺さり、ル・ルシュは矢の飛んで来た方向に視線を動かすと面倒くさそうに立ち上がり左手で・・・空を切った。

「この状況を説明してくれる?」
「アリキーノのブラスター・アイをそこの天使が身体で止めたのよ」
「身体で?」
「ふふ、助けてくれたから驚いちゃった」
「なるほど……で? エンシェント・エルフ・ロードがなぜここにいるんだい?」
「わかり切ったことを……おまえも邪魔するなら殺すわよ」
「おまえ、ね……僕は彼ほど慈悲深くはないんだよ」

そう言うや否や、ル・ルシュは地面を蹴った。エンシェント・エルフ・ロードの後ろに立つと首筋に妖刀村正ムラマサを突き付け、「小さい子の前で殺生を働くことには少々心が咎めるけど」と言いながら首に刃をめり込ませて行く。そこへエンシェント・エルフの雷霆らいていが落ちると、ル・ルシュはムラマサでそれを払い、溜息を吐いた。

「雑魚が群れても戦闘力が上がるわけじゃないってのに」
「雑魚……? 随分大きな口を叩くようだな」
「僕は元々左利きでね……利き手で召喚したほうが妖刀の威力が上がるんだよ」
「武器がないと戦えない、と言っているのか?」
「時間がないんだ。去るか、ここで死ぬか、どっちがいいんだい?」
「そこの天使を救いに来たのならもう無駄よ」
「……死にたい、か」

そう言うとル・ルシュはエンシェント・エルフ・ロードの首に這わせていたムラマサを一気に引いた。動きを止めたエンシェント・エルフは、首を掻き斬られたエンシェント・エルフ・ロードの身体が元に戻ることを待っていたが、エンシェント・エルフ・ロードは二度と動くことはなかった。

「妖刀だっつってんだろ」

慌てたエンシェント・エルフはその場を去ろうとしたが、すでにその首はル・ルシュの腕で固められ身動きが取れない状態になっている。なんとか抜け出そうともがくエンシェント・エルフに、ル・ルシュは嗤いながら言った。

「怖いか? 忠告を無視した代償は高くついたなあ……」
「なぜ……感覚体アストラルボディを捕まえられるのだ……」
「知ったところで俺には勝てねえ」
「貴様……何者なんだ」
「通りすがりの……天使・・だよ」

グシャッと鈍い音が鳴ったあと、エンシェント・エルフはル・ルシュの足元に崩れ落ちた。

 

とりあえず、ルシから引き離さないことにはユリエルの状態もわからない……ル・ルシュは「ごめんよ」とつぶやきながらユリエルの肘の関節を外し、その腕からルシを解放した。悲鳴のような泣き声は止まることなく、腕から離れてもなおルシはユリエルにしがみ着き、そこから離れようとはしなかった。

「ルシ、このままだとユリエルは助からないよ」
「ルシのせいなの! ルシがユリにけがを」
「うん、わかったよ、ルシ。ちょっとこっちにおいで」
「助けて……ユリを助けて!」

 

絶えず流れ込んで来るルシのただならぬ心の不安定さを不審に思ったル・ルシュは、念のために・・・・・と地上へ戻ったはずだった。それがまさか、こんなに早く惨状を目の当たりにすることになるとは……ル・ルシュはアリキーノの稀覯原種リミテッドシードを甘く見ていたことを悔やんだ。

そこへアヴリルとメイディアが現れ、ふたりもまた絶命しているエルフ二体と倒れているユリエルの姿に息を飲んだ。

「仰る通り来ましたが、これはどういう状況なんですか」
「エンシェント・エルフ・ロードに襲われたみたいだけど」
「すでに絶命しているようですが」
「ああ、それはいま僕が」
「司法長官は、着いた時から倒れていたのでしょうか」
「うん、僕が来た時にはもうこの状態だった」
「……ル・ルシュ、この子……どうして血が流れてるの……?」
「多分……」

ル・ルシュは口ごもり、号泣するルシの頭をなでたあとアヴリルに視線を動かした。

アヴリルはルシを抱き上げ、「大丈夫ですよ、司法長官は強い方ですから」と笑って見せ、ル・ルシュとメイディアから少し距離を取った。

「多分アリキーノの “ブラスター・アイ” のせいだと思う」
「ブラスター・アイって……水晶体を触媒にしたレーザー光線でしょ?」
「邪視とは違うようだけど、水晶の干渉を受けないんだ……しかも恐ろしく威力が高い」
「あの小さな子の瞳がレーザー兵器だって言うの?」
「現にユリエルは失血性のショック状態に陥ってる」

ル・ルシュはユリエルの肘関節を元に戻し、あらためてその身体の損傷具合を確かめた。

「……さすがにこれは……」
「何よ、死んでるの!?」
まだ・・生きてるよ……でも」

ル・ルシュはユリエルのシャツをずらし、それを見たメイディアは小さな悲鳴をあげた。

「わざとじゃないのはわかるけど、殺傷能力が高過ぎる」
「心臓にそんな大きな穴が開くほどのレーザー光線を放てるの!?」
「そういうことだろうね……とりあえず止血しないことにはエデンに連れ帰ることもできない」
「まず止血するわ……塞げるところは全部塞ぐけど、失血した分は戻せないわよ」

メイディアはユリエルの胸に左手を置き、治癒魔法の詠唱を始めた。左手が緑色のオーラに包まれると、その光は瞬く間にユリエルの身体を包み込んだ。

 

アリキーノ……この眼で確認するまでは、と思っていたけど……天空エデンが僕を呼んだのは、このためだったのか……

 

 

「…………」
「気が付いたかい?」
「…………エ」
「ああ、声は出さないほうがいい」
「……エル……フ……」
「大丈夫、ルシも無事だよ……いまアヴリルと一緒にいるから」
「戻……るよって」
「身体に風穴が開いてるんだ、いまは無理をするときじゃない」

エデンの診療所で目覚めたユリエルは、自身の左腕が動かないことに小さく舌打ち天井を仰いだ。ル・ルシュはユリエルから視線を外し、ひとり言のように、しかし小さな子に言い聞かせるようにゆっくりと口を動かした。

「アリキーノは僕が殺す」

その言葉を聞いて飛び起きたユリエルは胸を押さえながら身体を縮めた。

「まだ守護者も半身もいない……いましかないんだ」

地上での出来事が日常茶飯事になる前に手を打たないと、取り返しの付かない犠牲を払うことになる。アリキーノが半身を見つけてしまうと半身を敵に回さなくちゃいけない。その半身がきみやルフェルやアヴリルだったら……

 

「わたしやユリエルやアヴリルならまだマシだろうがな」

ルフェルはそう言いながら病室に入ると、ユリエルの様子を確かめて言葉を続けた。

「半身がル・ルシュだった場合……わたしたちでは手に負えん」
「敵対せえへんかったらええんちゃうんか!」

力の限り反発したユリエルは、やはり身体の痛みに身を縮こまらせ浅い呼吸を繰り返した。

「アリキーノに……意思はないんだ」
「……それは、わたしも初耳だが」
「簡単に言うと、ひとつの身体にルシとアリキーノというふたりが存在してるんだよ」
「普段は……ルシがアリキーノを制御しているということか?」
「いや……アリキーノが眠ってるんだ」
「アリキーノが眠っている間はルシで、何かトリガーを引くとアリキーノが目覚める?」
「そうだね、アリキーノが目を覚ますと一切の制御が利かなくなる」
「……完全に覚醒して身体を乗っ取ることはないのか」
「アリキーノはね、成長しないんだよ。ずっとこどものまま、ルシの中で眠り続けるんだ」
「トリガーを引かなければ目覚めない、ということか」
「うん、でも稀覯原種として狙われている以上、トリガーを引くやつは後を絶たないんだよ」

不思議だと思わなかったかい? みんなに愛情深く育てられているルシがエデンを終わらせるほどの破壊力をもってきみたちを敵に回すなんて……上手く付き合えばルシの暴走を制御できるんじゃないかって、考えたことはなかったかい?

「ルシ自身が変異するものだとばかり思っていたが」
「……ルシは、ルシのままなんだ」
「アリキーノは……本当に降り掛かる火の粉を払うだけなのか」
「基本的にはね……ただ、こどもだから分別の付かない部分もないわけじゃない」
「例えば?」
「ユリエルに風穴を開けたのは……自分への敵意を感じたからじゃないだろ?」
「愛する者への守護欲なのか」
「どちらかと言うと、好きなものに対する独占欲に近いかな」
「冥界に現れたアリキーノは」
「……まだ、少女だったよ」

 

アリキーノが眠った隙に……少女はアレウスに懇願した。

「わたしを殺して」と ── 

 

アリキーノが目覚めている間、半身は逆らうことができない。アレウスだってまさかハーディスに反旗を翻すつもりなんてなかったはずなんだよ。でもアリキーノの支配下にある半身は主を守るために戦うしかない。

アレウスを残忍な殺戮者に仕立てたアリキーノを……少女は止めることもできず、見ていることしかできなかったんだ。

「アリキーノが目覚めてる間……ルシは覚醒したままなのか」
「そうだね……自分の意に反して戦うことになるから……」
「目の前で殺戮が繰り広げられてはたまらんな」
「エデンに敵意がなかったとしても、アリキーノを起こす連中がいる限り半身も戦うことになるんだ」
「……一刻を争う、か」
「待ちいな……ほんまにいま殺さなあかんの? 静かに暮らすゆうことできひんの?」
「魂が複数の魔術で守られているはずなのに、地上で何があったか考えたらわかるだろ?」
「情報が漏れてるわけじゃないのか」
「多分……アリキーノの力が強いんだ……」

だからルシが影響を受けてる……浸蝕されてると言ってもいい。ちょっとした不安や動揺が生まれるとアリキーノが眠っているにも関わらず酷く攻撃的になる……

「なんで眠ってるてわかるん? 起きてるかもしれへんやんか」
「僕の中にある魂から伝わるんだよ。ルシの不安や動揺が」
「アリキーノが起きてたら……何も感じなくなるのか」
「そうだね、だから僕は地上での出来事に気付くことができた」
「……あんたはん、そないわかってはるのに……なんで生かすとか堕天させる話しはったん」
「この眼で確かめるまでわからなかったからだよ……他意はない」
「僕は反対や……殺すために守ったんちゃうさかい」

そう言うとユリエルは空気に溶けるように消えた。

「……あの身体で地上に戻ったのか」
「珍しいな、ユリエルがここまでこだわるのも」
「いま彼のそばにルシを置いておくのは危険だ……」
「……冥界のアリキーノはいくつだったんだ?」
「十四歳だったって話だけど」
「このまま行くとあと十日も経たずにルシは十四になるが」
「産まれて五日でエンシェント・エルフ・ロードに狙われたんだ……きっとそんなに猶予はないよ」
「仮にわたしが守護者になった場合はどうなるんだ」
「攻撃してくる敵からルシを守り続けることになるね」

 

「……待ってくれ、神々は地上を火の海にするつもりなのか」
「エデンさえ無傷なら……それでいいんだよ、きっと」
「地上には光の子人間がいるのに、か?」
おびただしい数の座天使が人間を守るために駆り出されるよ……きっとね」
「結局エデン対異界の戦地が地上になるだけじゃないのか」
「そう、神々は高みの見物を決め込むつもりだ」
「……それならなぜ神々は…アリキーノが産まれたその場で彼女を殺さなかったんだ」

産まれ落ちた片翼の天使を、わざわざエリウスの岬にまで連れて行きスティグマを施した理由が……いまの話でまたわからなくなった。フィオナに聞いた時は「殺せない」と言われたが、守護者や半身がいなければ、仮にいたとしてもアリキーノが眠っているときなら殺せる……ならばなぜ……

「……殺せないよ」
「……話が見えんのだが」
「殺せないんだよ、物理的に」
「冥界のアリキーノをアレウスが討ったという話は」
「それは事実だけど……ルシの中にいるアリキーノは格が違う」
「さっき……殺すと言わなかったか?」
「僕にしか……殺せないのさ」
「……!」

ル・ルシュが曖昧な笑顔を作り病室を出て行こうとしたとき、ルフェルは慌ててル・ルシュの肩を掴み部屋の中へと引き戻した。驚いたル・ルシュは咄嗟に笑顔を見せたが、肩を掴んでいるルフェルの手には一層力が入った。

「わたしを……また天涯孤独の身にするつもりか? ダディ・・・
「……何を言って」
「ルシを殺すことはできない」

召喚剣がルシに飲まれた時……わたしの熾烈の剣は止まっていたが、アヴリルはルシの首をねるつもりで正確に死霊の剣を振った。あのアヴリルの一撃を……あの速さで振った剣をルシは飲み込んだ。

傷ひとつ負うことすらなく、一瞬で剣を飲み込むルシを武器で殺すことはできない。

では毒殺なら? それができるのであれば、ルシが完全体のときに殺されていただろう。

そのルシを……アリキーノをどうやって殺すか。

「ルシの魂を……消滅させる方法がたったひとつだけある」
「…………」
「……その前にわたしが守護者になる」
「ルフェル、そんな簡単な話じゃないんだ」
「守護者になれば主の魂を預かる器になれる……だったな」
「ルシは永遠の命を持ってるんだ……きみは永遠に戦い続けるつもりなのか!?」
「わたしが不在の間、大天使長を代わってもらえるとありがたいんだが」
「ルフェル、ちゃんと考えてくれ」
「会議の多さに辟易すると思うが……経験者なら心配も要らんだろう」
「ルフェル!」
「ちゃんと考えてないのはどっちなんだ」

ルフェルはル・ルシュの胸ぐらを掴むと、その背中を勢いよく壁に押し当てた。予想すらしなかった大きな音が部屋に響き、大急ぎで飛んで来たエアリエルとフィールは扉を開けたあと気付かれないよう、そっと扉を閉めた。

「大天使長さまと教授……何かあったのかしら……」
「あったからあの状態・・・・なんじゃないの」
「ミシャがいなくてよかった……」
「とにかく診察室に戻りましょ……ミシャが来ると厄介だから」

 

 

「……考えてるよ……とりあえずその手を放してくれないか」

ルフェルが掴んだ胸ぐらから手を放すと、ル・ルシュは溜息を吐きながらその場に座り込んだ。そのル・ルシュの前でしゃがんだルフェルは、普段なら眉ひとつ動かすことのない顔をしかめ、不機嫌であることを存分に醸した。

「……僕にはもう、守らなくちゃいけないものもない」
「出来の悪い息子の尻拭いを放棄するつもりなのか」
「ふふっ……僕には出来の悪い息子なんかいないからねえ」

二百五十年前……僕は人間になって天空とは縁を切るつもりだった。人間になりさえすれば死ねると思ったんだ。いくら永遠の命があっても心身ともに人間なら普通に怪我もするし血も流れるからね。そうすれば楽になれると……背負った宿命から逃れられると思ってたんだ。

でも……ステファノとルチアが死んだ。

そして言葉のとおり、ルチアが命を懸けて守り抜いた小さな命が目の前に現れたんだ。

僕と同じ宿命を背負って産まれた小さな天使を、こんな場所に置いておくわけにはいかないと思った。だから地上で僕が育てようと思ったんだよ。人間の子としてね。そうすれば血統や階級なんて煩わしいものに振り回されることもなく、平凡なしあわせの中で生きられると思ったんだ。

「……なぜ……ここに置いて行ったんだ」
「僕が……咎人とがびとだからさ」
「咎人?」
「きっと……贖罪のために生きる僕のそばにいても、しあわせになんてできないと思ったんだよ」
「贖罪って……掟に背いたわけでもないだろうに」
「大きな罪を……償っても償い切れない、大きな過ちを犯した」
「それは一体」
「……どこまで聞いてるかわからないけど」

 

僕はルチアを愛してた。それに気付いた時すでにルチアはステファノと結婚したあとだった。だから想いを伝えるつもりなんてなかったし、誰にも知られることのないよう気を付けた。毎晩違う子と遊びに行っては羽目を外し、やりたい放題自由に生きてる……フリをし続けた。

ステファノからあの話・・・をされた時、僕は全力で説得し全力で拒んだ。単為生殖でもいいんじゃないのか、こどもがすべてじゃない、ふたりでもしあわせになれる、倫理的にもよろしくない、他人の子を愛せるのか、体外受精でもいいんじゃないのか……

 

本当はね、怖かったんだ。

一線を越えたあと……ルチアへの想いが譲れないものになってしまったらどうしよう、って。

だから引き受ける代わりに堕天を申し出たんだ。フィオナにはそれっぽい理由をでっちあげたけど、堕天してしまえば二度とエデンに戻ることもできないし、想いを断ち切ることもできるだろうって思って。僕がいなければ産まれて来る子はステファノとルチアの子として疑う者も出て来ないだろうからね。

「どこに罪があるのかわからんのだが」
「僕はルチアと……愛し合ってたんだ」
「……え?」
「子を成すための協力者としてではなく……ステファノを裏切った」

はじめはルチアも拒んでた。こどもがいなくてもふたりで生きて行けばいいって。でもステファノはルチアの血を残すことを頑として譲らなかった。ステファノの説得は日を追う毎に苛烈になって、とうとうルチアが根負けしたんだ。そして僕のところへ来てルチアは言った。

 

 

── 諦めたはずの教授への想いが譲れないものになるのが怖かった

 

 

お互い同じ気持ちだったのか、って陶然としながら同時に後悔した。なんでもっと早く気付かなかったんだろうって。その時の僕は自分の身分や世間体、過去の功績や評判を投げ打てる立場じゃなかったから……だから……

 

ルチアの想いに応えてあげてる体・・・・・・・・を装って、僕は自分の気持ちを隠したままルチアとの逢瀬を重ねた。

「もし密会がバレたとしても、相手のせいにできる余白を取ったんだ」
「褒められたことではないが、責められることでも……」
「現場を押さえられたんだよ……ステファノにね」

もうルチアは懐妊してて僕に逢う必要はなかったんだ。それでも何だかんだと理由を付けてルチアは僕に逢いに来た。そしてその夜、よりにもよって別れ際に声を掛けられたんだ。抱き合っているところへ。

相手がステファノじゃどっちのせいか、なんてどうでもいい話だ。僕は持てる知識を総動員して言い訳を考えたけど……ステファノは静かに微笑みながら、動揺を隠せない僕に言った。

「”明日は現場なのであまり遅くならないうちに送ってください” って」
「……よくできた男だな」
「次の日の現場でステファノとルチアは死んだ」
「…………」
「言い訳も、謝罪も、何ひとつできないまま……僕は永遠にその機会を失ったんだ」

 

ルチアが命懸けで守った小さな命を、神々のために消費することが許せなかった。宿命だなんだって本人の意思なんて考えもせず使命感だけを植え付けるやり方が許せなかった。でも……ステファノを裏切ったままで、ルチアに愛してると言わないままで、生きている自分が何より許せなかったんだ。

地上に連れて行ったとして、僕が死んでしまったらこの子はどうなってしまうんだろう、もう笑うことすらできない僕が育ててしあわせにすることができるんだろうか、それより……僕は、しあわせになってはいけない。そう思ったら連れて行くことができなくなった。

それなのに天空に残して来た我が子が気になって……地上に降りたあとも水晶を割ることができなかったんだ。

苦しくて寂しくて悲しくて辛くて、一日が終わる時は必ずもう朝が来ないよう祈った。それでもちゃんと朝は来て、僕の一日は毎朝絶望とともに明けた。苦しみ続けることが贖罪になるのか、もがき続ければいつか許せる日が来るのか、そんなことばかり考えて過ごした。

そんな僕の前に……きみが現れたんだよ、ルフェル。

 

「尻拭いなんて必要ないくらい、立派な大天使長になってた」
「……だから、ルシの魂と一緒に消えるつもりなのか? それが贖罪になるとでも?」
「罪を償うことはできないけど……いまあるきみのしあわせを守ることはできる」
「最初からそのつもりで? 何かあれば自分が犠牲になるつもりで?」
「犠牲だとは思ってないよ……できることをするだけだ」
「……では、わたしもできることをするだけだ」
「きみが守護者になればエデンのすべてが機能しなくなる」
「大天使長になれる者なら、目の前にいる」
「仲間を失うことになってもいいのか!?」
「……仲間を失う代わりに親を失っても我慢しろ、とでも言いたいのか」
「何百年と一緒にいる仲間と、数日前に存在を知った僕とじゃ比較にならないよ」
「……ほう」

ルフェルは、座り込んでいるル・ルシュの胸ぐらを再び掴み立ち上がらせると、渾身の力を込めて容赦なくその頬を殴り倒した。言葉のとおり、病室にある衝立を巻き込みながらル・ルシュは派手な音を立てて倒れた。

「あんたにも大勢の仲間がいたはずだ。そのすべてを切り捨てて逃げた・・・あんたが仲間を大切にしろ? 笑えない冗談だがその気概だけは褒めてやろう。ここではわたしが法であり、わたしの権限が絶対なんだ。ル・ルシュ=フェール・フラン、きみを貴顕侮辱罪で拘束する」

そう言うや否や、病室には五体の懲罰の天使が現れ、ル・ルシュを取り囲んだ。

「どうするつもりだ……」
「きみの力をもってすれば懲罰の天使などひとひねりだろうが、公務の妨害をされると大天使長であるわたしの経歴に傷が付くことになる。幼い頃から必死に積み上げて来たものだ……きみにならわかると思うが」
「ルフェル!」
「異議申し立てをしたくとも……残念ながら司法長官は不在だ・・・。連れて行け」

懲罰の天使に引きずられるように、ル・ルシュはおとなしく連行された。

どれだけ力があろうとも……”ついの牢獄” に入っている間は動けまい。しかし早急に手を打たねば、ルシがいつ半身を見つけるとも限らん。殺せないアリキーノを……起こさない方法、か。