The usual Eden

Micha and Averile
物 語

The usual Eden - Just another day -

scene.8 アヴリルの仕返し

 

連絡を受け診療所に駆け付けたアヴリルは、処置室から出て来たミシャを見てくずおれそうになった。左頬をすっかりと覆うガーゼに、左腕を吊った姿は、どこからどう見ても大怪我を負っており、その怪我を負わせた者がいることは明白だった。

「ミシャさん……!」

普段声を荒げることのないアヴリルの悲痛な声を聞き、ミシャは驚くと同時に申し訳ない気持ちになった。ミシャに続いて処置室から出て来た天使も、手のひらに包帯が巻かれており、続いてフィールとエアリエルが処置室から出て来ると、手のひらに包帯を巻いた天使は、アヴリルに抱き着き泣き出した。

「あの、この方は」
「ちょ、ほら、マキエル落ち着いて……」
「怖かったです……」
「はい、それはわかりますが、放していただけますか」

エアリエルがマキエルをがそうとするが、マキエルはアヴリルから離れようとせず、「……怖かった」と繰り返してはアヴリルの瞳を覗き込む。アヴリルはミシャのことが気掛かりでならず、いまは他の者に構っている余裕などひとかけらもなかった。日頃鷹揚おうようで温和なアヴリルも、いまだけはおっとりとしていられない。

「すみません、放していただけますか」
「怖くて身体からだが動かなくて……」
「動かなくてもいいので、放してください」

エアリエルとフィールがなんとかマキエルを引き剝がすと、アヴリルはミシャに駆け寄り、不安そうな顔でミシャの様子を気に掛けた。痛みはありませんか、熱は持っていませんか、ふらつきはありませんか。笑うミシャとは対照的にアヴリルが泣きそうになり、これは血の雨が降りそうだわ、とエアリエルとフィールの笑顔が凍る。

 

「説明してください」

冷静であろうと努めていることは充分に伝わるが、アヴリルの声は低く憤りに震えていることも存分に伝わって来る。あまり刺激しないよう、エアリエルは概要を伝えるが、その内容の軽薄さはアヴリルにさらなる不快感を植え付けた。

最初はこの子……マキエルが声を掛けられたみたいなんですが……相手にされなくて腹を立てたらしく、頭に血がのぼったのか、脅しのつもりだとは思うのですが、つるぎを召喚したみたいで。怒鳴り声と叫び声が聞こえたのでミシャが駆け付け……なんというか……他人に見られて逆上したというか、それであの……マキエルを斬り付けようとしてミシャが……盾になったというか……

「女性に声を掛け、袖にされたので逆上し、剣を召喚して斬り付けた、ということでしょうか」
「まあ……そういうことですが……」
「犯人はどこなんですか」
「いえ、あの、大元帥さま落ち着いてください」
「充分落ち着いています、どこなんですか」
「犯人は逃げてしまったので……」
「そうですか、では防衛総局で捜査します」
「いえ、あの、そこまで大きな規模じゃなくても」
「規模の大小は関係ありません、犯人を見つけるための必要な捜査です」
「警備部にはもう話してありますから」
「外局は信用できません、怪我の具合を教えてください」
「……顔を五針、腕を十針縫っています」
切創せっそうですか、裂創れっそうですか」
「裂創です……が、傷痕が残ることはありませんから」
瘢痕はんこんの有無は関係ありません、怪我を負わせただけで充分に悪質です」
「だ、大元帥さま……落ち着いてください……」
「充分落ち着いています」

安全保障省の防衛総局は、いわば国家を守るための軍隊のようなもので、アヴリルは “大元帥” という最高司令官としてその頂点に立っている。アヴリルのひと声でエデン全体が動くと言っても過言ではなく、常に冷静であり控え目、分をわきまえ物事の大局を見る広い視野を持つアヴリルだったが、いま間違いなく彼は視野狭窄に陥っていた。

安全保障省の下部組織には警備局と緊急事態管理局があり、警備局は内務省が、緊急事態管理局は司法省が管轄している。警備局の内部部局である警備部はアヴリルの管轄外であるため、防衛総局の刑事部、警務部、もしくは公安部で捜査に乗り出すほうが手っ取り早い。

内務省にはルフェルが、司法省にはユリエルがいるため、協力を仰げば当然力になってくれるはずだが、この時アヴリルの頭には犯人を吊るし上げることしかなく、もっと踏み込んで言えば犯人を血祭りにあげること以外に頭が回っていないため、とにかく自ら迅速に捜査をしたいと思っていることに間違いはなかった。

 

智天使ケルブで、身長は170cmくらい、髪は金髪で瞳はアンバー、幼い顔付きだった気がする」
「わかりました、では早速手配します」
「ねえ、わたしも探すの手伝っていい?」

……怪我を負わされているというのに何を眠たいことを言っているのか、とその場にいる全員が思った。

「ミシャ、いくらあなたでもそれは危ないと思うの」
「だって怪我させられたのよ? のんびり捕まるのを待ってるなんてできないわ」
「やめてください、また犯人が逆上しないとも限りません」
「ここはプロに任せるべきよ、ミシャ」
「黙って待ってるなんて絶対いや」
「ミシャさん……」
「あの……」

その時、いままでおとなしくしていたマキエルが、苛立ちを隠しながら涙声で口を挟んだ。

「襲われたのはわたしなので、わたしの身を守ることも考えて欲しいです……」

確かに、犯人が狙ったのはマキエルであり、ミシャは自ら進んで怪我をしに行ったに過ぎない。ミシャが盾にならなければ怪我をしていたのはマキエルであり、それは疑う余地もなかった。

「仰ることはもっともですね。では警備部に伝えて身辺警護を付けてもらいます」
「外局は信用できないんじゃないんですか……?」
「捜査をするうえでは、防衛総局で当たるほうが信頼はできます」
「じゃあ……大元帥さまが警護をしてください」
「わたしが、ですか?」

また何を言い出すことやら……と、エアリエルとフィールは溜息を吐いた。マキエルは弱々しい声で「わたしは犯人に立ち向かう勇気もないので」と付け足すと、再び泣き出してしまった。

 

金髪の巻き毛が華やかなマキエルは、海のように深い蒼の瞳で泣きながらアヴリルを見上げる。虹彩が大きく幼い顔立ちは、見る者すべてが守ってあげたいと思うほど頼りなく、愛らしい。言われてみれば立ち向かうほどの気概もなさそうで、誰かに守られなければ職務のひとつもこなせそうにないな、とアヴリルは思った。

「では防衛総局の警務部か公安部から警護の手配をします」
「大元帥さまじゃないと……安心できません……」

いや、その辺のナンパ野郎くらいなら戦闘部隊の戦闘員でも余裕で取り押さえられるだろうに、なぜエデンの最高峰を護衛に付けたいのか、とエアリエルは不思議に思ったが、隣にいるフィールは何やら物知り顔だ。

「あのねマキエル、大元帥さまもお忙しいお立場でいらっしゃるから」
「警護だって立派なお仕事だと思うの……身の安全を守るわけだし……」
「それはそうだけど、お立場というものが」
熾天使セラフさえ無事ならいいというわけでもないでしょう……?」
「それはそうだけど」
主天使ロード力天使デュナミ能天使エクスなんてどうでもいいって言うの……?」
「そうは言ってないけれど」
中級天使2ndスフィアにだって安全に暮らす権利はあると思うの……」

そう言うとマキエルの泣き声がいっそう大きくなり、フィールは困り果てエアリエルに目で援護を求めた。

「わかりました、わたしが警護に当たります」
「本気ですか!? 大元帥さま」
「総力をあげて捜査すれば、二日ほどで司法省に引き渡せると思うので」

アヴリルは「お送りして来ます」と言って、マキエルを促した。マキエルはアヴリルの腕にしがみ着くと、弱々しく小さな声で「お願いします」と告げ、頼りない笑顔を見せたあと、涙を拭いながらアヴリルを見上げ、もう一度頼りなく微笑んだ。

 

───

 

「大元帥さまもお優しいというか」
「まあ放ってはおけないんじゃない? 一応エデンの安寧を担ってるわけだし」
「でもマキエルは見ての通り、弱い子なんかじゃないわよ」
「……見ての通り? 充分弱々しく見えたけど」
「弱い子が軍の最高司令官に警護なんて頼むと思う?」
「まあ……そこにいたのが最高司令官だったから……」
「ミシャも騙されるタイプなのね……」

フィールはこれでもかというほどわかりやすく溜息を吐き、大元帥さまに限ってそういうことはないだろうけど、と前置きをしたあとで話し始めた。

「彼女……容姿に優れた方が好きでね」
「誰でもそうじゃないの?」
「お人柄に惹かれる場合もあるでしょ」
「ああ、そうね、いくら外側が抜群に恵まれててもルフェルみたいなのは嫌だもの」
「……聞かなかったことにするけど、マキエルには悪い癖というか……困った癖があって」
「まあ鈍感具合で言えばアヴリルもいい勝負だと思うけど」

それを言っていいのは鈍感じゃない者だけだ、とフィールは思いエアリエルもまた同じように思っていた。

「相手が自分に気があるとわかると、冷めちゃうみたいで」
「外側が抜群に恵まれてるのが相手でも?」
「大天使長さまや大元帥さまレベルの方を、相手にしたことはないだろうけど……」
「ああ、それでアヴリルに目を付けたってことね」
「多分そうだと思うわ。まあ大元帥さまは大丈夫でしょうけど」
「鈍感だからきっと気付きもしないわよ」
「いえ、趣味が多少常軌を逸しているというか」

 

── 曰く、マキエルは眉目秀麗な天使に目を付けると、自分の愛らしさと弱々しさを武器に相手に近付き、相手が自分の手中にあるとわかった途端に態度を硬化させ、いままで数多の天使を泣かせて来た、ということらしかった。

「自分が可愛いことを知ってるからこそできる技ね」

エアリエルは苦笑いで話を聞きながら、それでも実際に声を掛けられてはいるのだから、気を付けるに越したことはないと言い、ミシャとフィールを交互に見ながら、あなたたちも充分可愛いのに声掛からないわね、と安心したような声を出した。それから、大天使長さまと大元帥さまに感謝しなさいよ、と。

「……え、もしかして、ルフェルとアヴリルのせいで声掛からないの!?」
「せいというか、おかげじゃない? 背後に恐ろしいものが見え隠れしてるから」
「ミシャはともかく……わたしまで、同じ理由で!?」
「いつもミシャとつるんでるからでしょ……」
「わたし、ミシャから卒業するわ……」

 

……それにしても大元帥さま、遅いわね。

 

───

 

「そろそろ放していただけませんか」
「でも……ひとりになるのが怖くて……」
「宿舎の入口には警備員もいますし、不審な者は入って来ませんから」
「不審者だけが危ないわけじゃないから……」
「それは、どういう意味でしょうか」
「普通の天使だって、何するかわからないです」

案の定アヴリルはマキエルの部屋の前で足止めを食らっていた。もちろんマキエルの色香にほだされているわけでも、庇護欲ひごよくに駆られているわけでもなく、しがみ着くマキエルを力尽くで引き剝がすことにためらいがあったからだった。

「普通の天使が怖いのであれば、わたしも何をするかわかりませんけど」
「……何かしてくださるんでしょうか」
「して差し上げる理由はありませんが」
「彼女にしか興味ないって感じですね、大元帥さま」
「いけませんか」
「モテませんよ?」
「不特定多数の方に慕われる意味も、理由も、必要もありません」
「……彼女にフラれたらどうするんですか?」
「そうならないように努力するだけですが」
「……努力? 大元帥さまが? フラれないように?」
「おかしいですか」
「おかしいです、大元帥さまともあろう方が」
「身分は関係ありません、放してください」

無意味な問答に疲れていたことや、早く戻りたい気持ち、ミシャに怪我を負わせた者がいること、いろいろなことが重なっている挙句に成り行きで警護を引き受け、その対象が腕にしがみ着いたままでいれば、多少冷静さを欠いていてもおかしくはなかった。

しかし後ろから唐突に罵倒され、肩を掴まれれば悠長なことも言っていられない。

近付く足音にすら気付かないほど冷静さを欠いているつもりのなかったアヴリルは、少々慌てて「すみません」と言い、しがみ着くマキエルの肘を掴み上腕骨の内側にある尺骨神経しゃっこつしんけいを押さえ絡む腕を解く。そして振り返ることもなく脚を後ろに蹴り出し、肩を掴む者を引き剥がした。

広さのない廊下で蹴られた相手は壁にぶつかり、その反動で押し出され前のめりに倒れ込んだが、すぐに起き上がると剣を召喚し、アヴリルを威嚇する。身長170cmほど、金髪にアンバーの瞳で……翼が四翼。幼い顔付きの智天使はマキエルに「いい加減にしろよ」と言った。

「いつまで怒ってるんだよ、何度も謝ってんのに」
「わたし、あなたなんて知りませんけど……」
「はあ!? 何言ってんの、さっきだってあんなに叫ばなくても」
「なんの話だかわかりません……」
「用心棒雇っていい気になってんじゃねえよ」
「なんなんですか……怖い……」
「本当にいい加減にしろよ、さっき飛び込んで来た座天使といいムカつくなあ」

ふたりの遣り取りを見聞きしながら、アヴリルはマキエルに訊ねた。

「お知り合いですか」
「違います、知りません……」
「ちょっと、その子返してくれる!?」
「と、仰ってますけど」
「知らないんです、本当に」
「いいから返せよ!」

話を総合すると、この智天使と警護対象は知り合いで、ミシャさんを斬り付けたのはこの智天使で間違いなさそうだけど……もしかしてミシャさんは痴話喧嘩のとばっちりを受けた、ということだろうか。そういうことなら穏便に済ませる必要も、事務的に済ませる必要もない。

一太刀ひとたち浴びて事を大きくしてから司法省に引き渡そうか……いまのままでは傷害で終わるけど、わたしに傷のひとつでも付けてくれれば晴れて大罪人としてアビス行きが確定するだろうし……どうしようかな……

 

アヴリルはマキエルを抱き寄せると、これ見よがしに耳元で「知り合い?」と訊ね、マキエルはアヴリルの顔を見上げ「知らない」と言って首を振る。そうかー……と、アヴリルは頭の天辺から爪先までゆっくりと視線を動かし、智天使の品定めをしたあとマキエルの肩に腕を回して言った。

「アンタのことなんか知らないってさ。勘違いで騒がれても迷惑なんだけど」
「は? てめえナメてんのか……」
「あれ? もしかして怒ってんの? それとも雑魚らしく……ビビってんの?」
「ふざけんなよ!」

智天使が剣を大きく振り上げると、アヴリルはマキエルをそっと横へ逃がし、そんなに無駄の多い動きをしていては胴を狙ってくださいと言ってるようなものだな……と思いながら、振り下ろされた剣の切っ先に自分の腕を差し出した。前腕に5cmの裂創……これで言い逃れはできまい。

アヴリルは智天使の振り回す剣を避けながら近付くと、「わたしが剣を召喚しないことに感謝してください」と言い、渾身の力を込めてみぞおちに肘を食い込ませた。衝撃で再び壁にぶつかり崩れ落ちた智天使の胸ぐらを掴み、片手でその身体ごと引き起こしたアヴリルは落ち着き払った声で告げる。

「防衛総局の者ですが、傷害の容疑と恫喝の現行犯、貴顕きけんに対する傷害及び侮辱と権利の侵害、もうひとつ公務執行妨害で身柄を拘束します」

 

───

 

「随分と遅かったわね……って、なんで怪我してるわけ?」
「お待たせしてすみませんでした、少々取り込んでしまいまして」
「……大元帥さま、何をしてらしたんです?」

エアリエルはアヴリルの腕から血が流れているのを見て、マキエルを送りに行ったはずなのに、どこでどうしたら流血するような怪我を負うのか……と溜息を漏らした。とにかく処置室に来てください、と治療の準備をし始める。

「偶然犯人を見つけたので、刑事部に引き渡して来ました」
「えっ、もう見つけちゃったの!?」
「はい、アビス送り確定なのでもう心配はないと思います」
「……なんでアビス送り?」
「悪いことでもしたんじゃないでしょうか」

下級の天使を斬り付けたくらいで、アビスになんて送られないと思うんだけど……一体何があったんだろう、とミシャはいぶかしげにアヴリルを見た。アヴリルは優しく笑いながらミシャに、「モテないそうですよ」と伝えた。

「モテないって……誰が?」
「わたしが、です」
「充分おモテになってると思うけど?」
「彼女にしか興味がないとモテない、と言われたので」

エアリエルとフィールは「ああ……そうね……」と、多少の憐れみを含んだ声を出し、ミシャもまた「それは確かにそうよね」と頷いた。アヴリルは三名の厳しい評価に疑問を呈す。

「待ってください、モテたほうが喜ばれるんでしょうか」
「誰からも相手にされないよりは、多少モテたほうがいいんじゃない?」
「一種のステータスではありますよね」
「モテる恋人をはべらすことに価値を感じる方も、一定数いますから」
「あの、少なくともわたしはミシャさんがモテると、心配で堪らないのですが」
「ああ、それは大丈夫でしょう。何せ背後に恐ろしいものが見え隠れしていますし」

大元帥さまの恋人に言い寄ろうだなんて、そんな命知らずな者はいないでしょ……声を掛けただけで、何をされるかわかったものじゃない……そう思いながら、エアリエルは傷口を確かめ小さく「あっ……」とつぶやいた。

「モテたほうが喜ばれるなら、多少努力はしますが」
「いいわよ、努力なんてしなくてもモテてるんだからそのままで」
「わたしが慕われたいのはひとりだけなんですけど」
「そのひとりからはモテてるからいいんじゃない?」
「あ……はい…………痛、痛いです痛いですエアリエルさん」
「あら、失礼しました。あまりにもおしあわせそうな笑顔がまぶしくて、つい手が滑ってしまいました」

まあ、多少傷をつついたところでその笑顔が崩れることはないんでしょうけど、とエアリエルは脱脂綿で傷をぎゅうっと押す。まったく、身体で武器を阻むのは控えてくれと言ったばかりなのに、この熱傷を帯びた裂創……ミシャの傷と同じじゃないの……絶対わざとに違いないわ……

その日、処置室では何度も「痛いですエアリエルさん」というアヴリルの声が繰り返された。

 

───

 

いつものようにミシャとフィールは、神々の塔の前にある小さな噴水のふちに腰掛けながら、昼の休憩時間を過ごしていた。ミシャから卒業するはずのフィールだが、昨夜エアリエルに言われたことなどすっかり忘れ、噂話に花を咲かせている。そこに見知らぬ智天使ふたりが現れ、ミシャとフィールに声を掛けた。

「きみたち、いつもふたりでいるよね」
「楽しそうに話してるから、仲間に入れて欲しいなあと思って」

ミシャとフィールは、なるほど、声を掛けられるってこういう感じなのね、とお互いの顔を見合わせた。

「話をするだけなら問題ないと思うけど」
「そうね……お話くらいなら大丈夫じゃないかしら」

ミシャとフィールがそう言うと、智天使は笑いながら変わった切り返しだね、と話を広げようとする。

「え、会話以上のことを求めたらどうなるの?」
「そこ興味あるなあ、詳しく聞かせて欲しいんだけど」

「話をするだけでも問題なので、断ってください」

驚いた智天使が横を見ると、アヴリルが溜息を吐きながら首を横に振る姿があった。普段、邪魔になるからと翼を隠しているアヴリルを見ても位階の判断が付かないため、当然智天使は “可愛い顔をした優男やさおとこに横槍入れられちゃったなあ” 程度にしか思わず、そのままミシャとフィールに視線を戻す。

「ねえ、会話以上のことを求めたらどうなるのか教えてよ」
「うんうん、会話以上っていうのが何を指すのかも是非教えて欲しいな」

「ほう……防衛総局の頂点に喧嘩を売るとは、手の込んだ自虐を考えるものだな」

驚いた智天使が横を見ると、ルフェルがアヴリルの隣で感嘆していた。ぼ、防衛総局の頂点、とは……の前に、背に十二枚の翼を派手に背負ったルフェルを知らないはずもなく、当然智天使は “規格外の男前にくさびを撃ち込まれてしまった” と絶望し、「お疲れさまです大天使長さま、では失礼いたします」と慌てて去ったが、アヴリルは肩を落としていた。

「……そんなに落胆するほどのことなのか?」
「見た目でここまで相手の対応が違うと、さすがに思うところはあります」
「見た目ではなく、力にものをいわせれば早かろう」
「突然掴み掛かるのも、穏やかではないので」
「……おまえに、穏やかに済ませるつもりがあるとは思えんのだが」

 

顔は憶えた、と思いながらアヴリルは噴水の縁で腰掛けるミシャの前でしゃがみ、その顔を見上げた。そこでルフェルはフィールに声を掛け、フィールが慌ててルフェルに駆け寄る。

「どうなさいました、大天使長さま」
「おまえが隣にいたのでは、アヴリルが気の毒だろう」
「!! わたくしったら気が利きませんで……」
「落胆してるようだしな……」

ルフェルはフィールと一緒にそっとその場をあとにした。

 

ミシャの前でしゃがむアヴリルは変幻可能な翼を現すと、それを限界まで大きく広げミシャを笑わせる。

「そんなに威嚇しながら歩いてたら怖いじゃない」
「ここまでしておいても安心できないことを、いま正に思い知らされました」
「ほぼ初めてのナンパだったのに、とてつもなく怯えさせちゃったわ……」
「わたしではまったく威力がありませんでしたけどね」

ミシャは見上げるアヴリルの頬に右手を添えると、その額に自分の額をコツンとくっ付け、アヴリルの心拍数を上げた。

「ねえ、何が心配なの?」
「何が、と言われるとすぐに具体例は思い付きませんが」
「他の方と仲良くなること? 何かされること? 心変わり?」
「矢継ぎ早に絶望感を植え付けるのやめてください」

ミシャはアヴリルの額にくちづけ、それからまぶたと鼻先に軽くキスをすると、「わたしには他の方より、目の前にいる愛しい方の貞烈ていれつさをどうすれば崩せるのか、のほうが問題だわ」と、口唇くちびるにキスをする。放心状態で硬直するアヴリルがミシャの言ったことを理解し、さらにその身体を強張こわばらせるまでしばらく時間を要した。

「外野の心配なんて、してる余裕ないわよ」

そう言ってミシャは午後の職務に戻り、噴水の前でひとりしゃがみ込み硬直するアヴリルを見つけた安全保障省の職員たちは、その不思議な光景に疑問を持ちながらも、「触らぬなんとかに祟りなし、かな……」と全員見て見ぬ振りをして通り過ぎた。

 

一方マキエルは、何がなんでも大元帥さまを落としてこっぴどく捨てたい、と無謀な野心を燃やしていたが、それが徒労に終わることには気付くよしもない。