初戀 第五十一話

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第五十一話 爪で拾って箕で零す

 

やっぱり具合悪かったんじゃないか? でも、何も言わずに早退するってどういうことだ? もしかしてなんか怒ってる!? いや、久御山くみやまが怒るようなことなんて何ひとつないだろ……手を振り払ったことといい、傷付いたみたいな顔といい、気に入らないことがあるなら言ってくれればいいのに。

とにかく、嵩澤たかざわ一ノ瀬いちのせをなんとかしないと気が休まらないし、自分のことにまで手が回らない。

 

───

 

「…初めてですね、一緒にお昼食べるの」
「僕、久御山以外のひとと食べるのが初めてだって気付いた…」

昼休み、屋上で嵩澤と弁当を食べながら作戦会議を開いた。とはいえ、特に手の込んだ計画を立てるつもりはなく、単純に一ノ瀬が自分の気持ちに気付けばいいな、と思ってるだけなんだけど。

藤城ふじしろさん……どうして一ノ瀬先輩が、俺のこと気にしてるって思ったんですか?」
「嵩澤に告られた次の日、一ノ瀬がわざわざ僕を待ち伏せしてたから」
「待ち伏せ?」
「告られたって言ったら、それでどうしたのか、って訊かれてさ」
「はあ……」
「単なる後輩に同級生紹介しただけなら、そんなこと訊かないでしょ」
「なるほど…?」

嵩澤は少しソワソワしながらコンビニのおにぎりを見つめていた。見てても腹は膨れないぞ。しばらくすると、伝言したとおり、一ノ瀬が屋上にやって来た。

「藤城…と、嵩澤? どうした、なんかあった?」
「一ノ瀬、土曜日時間作れない?」
「土曜日? まあ別に予定とかないけど……なんで?」
「ごはん行かない? 今回のお礼に奢るからさ」
「お礼、って……俺なんもしてないけど」
「引き合わせてくれたのは一ノ瀬じゃん」
「まあ…そうだけど…」
「それより合コン設定したほうがいいかな…藍田あいだに言って女の子揃えてもらおうか?」
「合コンて…男のメンツは?」
「一ノ瀬と僕と…久御山と、他にクラスのヤツ誘うけど」
「……藤城が? 合コン出るの?」
「うん、おかしい? 数合わせ要員なんて普通じゃない?」
「おかしい、っておまえ……嵩澤と久御山の気持ちはどうでもいいのかよ」
「……久御山? なんで久御山が出て来るの?」
「なあ、嵩澤と付き合うって言ったよな? それなのにもう合コンの話?」
「なんでそんなに熱くなってんの? たかが合コンだよ?」
「たかが合コンでも、彼氏が参加するっつって気分いいわけないだろ!?」
「彼氏、って……そんな重たく考えてないけどなあ」

我ながらクズだな、と思った時、左頬に感じたことのない痛みが走り、ついでにその勢いで僕は倒れた。

「一ノ瀬先輩!」
「おまえ、もっとまともなヤツだと思ってたけど、買い被ってただけみたいだわ」

うん、確かに心にもないこと言って煽ったのは僕だけど、こんなに早々と一ノ瀬がキレるとは思ってなかった……

「…行くぞ、嵩澤」
「ちょ、一ノ瀬先輩! 藤城さんが」
「放っとけよ、そんなヤツ! どうせ久御山のことだって重たく考えてないんだろ!」

一ノ瀬は嵩澤の腕を掴んで引っ張って行った。心配そうに振り返る嵩澤にとりあえずピースサインを見せてこっそり笑った。嵩澤、あとは自分でなんとかしてくれ。僕は、どうして一ノ瀬が久御山久御山言ってるのか理由がわからなくて、さっきから頭が沸騰しそうなんだ。

 

───

 

五時限目から自主休校して久御山の家へと急いだ。久御山と付き合ってるんじゃないの? とか、どうせ久御山のことだって重たく考えてないんだろ、とか一体なんの話だよ。大体、嵩澤を僕に紹介したのは一ノ瀬じゃないか。気になってる後輩を他の男に紹介するほうが僕には理解できないんだけど!?

インターホンを鳴らそうかと思ったけど、本気で具合悪くて寝てたら申し訳なくて合鍵を使って中に入った。合鍵を使ってもいいのかどうか、僕はいつも迷ってしまう。なんていうか、図々しくないかな、とかちょっと寝たくらいで彼氏ヅラかよ、とか…いや、鍵預かってるのにネガティブ過ぎるだろ、僕。

 

 

……まさか家にいないとは思ってなかった。どこを探せばいいんだろう。久御山の行きそうな場所……どこにでも出没しそうで逆にまったく思い付かない。間違っても本屋とか図書館じゃないだろうな…かといってクラブとかバーとかそういうところはまだ開いてないだろうし。

とりあえず、この辺にあるコンビニとか公園なんかをしらみ潰しに……バイト先に行ってたりして……コンビニやスーパーを捜しながら、店が多過ぎることにやっと気付いた。でも店は閉店時間があるけど、公園にはそれがないから後回しでも大丈夫だ。LINEの返事は来ない。

どこにいるんだろう。いま、何を思ってるんだろう。不機嫌なのか、寂しいのか、それすら僕は知らなくて、いつだって一緒にいたはずなのに久御山のことをまるで理解してなくて、ただ頭の内側がドロドロとマグマが流れ落ちるようにおおよそ思考できる状態なんかじゃなかった。

 

───

 

「おニイさん、何やってんの?」

もしかして僕のことか、と振り返ると、お世辞にも品がいいとは言えない男が四人立っていた。ニヤニヤと何がそんなに面白いのか、いまの僕にはこの男たちが悩みもなくとてもしあわせそうに見えた。

「別に、何も」

そう言ってそのまま通り過ぎようとした時、ひとりの男に肩を掴まれた。なんだよ、急いでるんだよ、カツアゲなら余所でやってくれよ! いや、やっちゃいけない。大人しく帰れ!

「へえ、よく見るときれいな顔してんじゃねえか」
「イケメンがこんなところウロウロしてると危ないよお?」

こんなところって……駅周辺の繁華街だけど、と周りを見渡したら突然口を塞がれた。は? なんだ? なんでこんなこ……

 

その時、心の一番深い場所に押し込めていた記憶が、目の前で鮮明に広がった。

 

「おい、ちゃんと押さえてろって」
「結構力強くてさあ…あ、そのネクタイ外してちょうだい」
「すげえ、後ろ手で縛ると一気に犯罪っぽいな」
「こんだけきれいだと男でも全然勃つね」
「ちょっと脚押さえて」
「ローション…ねえわな、唾液でなんとかするかー」
「きれいなアナル…やっぱ処女だったりするー?」

くみや…ま……どこにいるんだよ……頼むから…帰って来てよ…姿が見えなくて、心配で、不安で、落ち着かなくて、寂しくて、どうしていいか……わからない…

「…ぐっ…う…」
「あーらら、やっぱ滑り悪くて痛いよねえ」
「我慢汁でなんとかするー」
「あんま激しくやんなよ、破れたりしたら死ぬぞ」
「う、く…あああぁぁっ」
「うるせえなあ…おい、おまえのパンツでも咥えさせとけ」
「なんでおれのパンツなんだよ」
「なんでもいいよ、静かになるなら」

久御山、大丈夫かな……具合悪かったんじゃないのかな……もしかして病院行ってるとか…薬買いに行ったとか…なんでもいい、とにかく無事なら…久御山…

「うっわ、おニイちゃん…すげえ具合イイな」
「はーやーく代われよ」
「あ、すっげ絞まる…」
「そろそろ抵抗する気、失せたか?」
「さすがに二周目は苦しそうだねえ」
「ああ、吐いちゃった? そろそろヤバい?」

 

くみ…や…

どこ…だ…よ…

 

***

 

「はい、大事を取って一晩様子を…骨折などの外傷はありませんので、はい、多少の擦り傷はありますが、倒れたときにできたものかと……ええ、大丈夫です…検査結果に問題がないようであれば、明日ご自宅までお送りしますので、はい、ああ、いまは眠っているので…はい、はい、それでは失礼いたします」

ったく、荷物持ち逃げされなかったのが不幸中の幸いだな。一応抗生物質と抗菌剤はぶち込んだものの…どれくらい放置されてたのかわかんねェからなあ……

母親と思しき人物には「目の前で倒れた」ってことにしたけど、手酷くヤられてんな、これ……直腸穿孔ちょくちょうせんこうがないだけマシだがダラダラと出血止まらねェし…粘膜しっかり調べたほうよさそうだな。

「……」
「お、気付いたかよ…おめェ、名前言えるか?」
「……」
「もしかして飛んでんのか?」
「…ふじ…し…ろ…」
「下の名前は?」
「……み…なと」
「おめェ、ここがどこだかわかるか?」
「…わか…ない」
「ああ、まあしょうがねェな…ちょっと熱だけ測らせてくれ」

身体に触った瞬間わかる…かなり高いな、こりゃ……脇の下に体温計を挟み、病衣の上から腕を押さえる。ピピッという電子音のあと、体温計を抜いて確認すると……39度6分。

「あの…帰りたい…です」
「死にてェのか?」
「ひとを…探して」
「はあ、帰れるってんなら好きにしろや」

いまは鎮静剤が効いてて動けるわけもねェし、それが切れたところで……

「なあ、藤城っつったか、おめェ何があったか憶えてんのか?」
「……朧気おぼろげには」
「それなのにひと探しに行きてェっつの?」

おめェ、呑み屋街の狭っ苦しい路地で倒れてたんだよ。路地の突き当りはこの辺り一帯の呑み屋のためのゴミ捨て場で、朝方にならねェとひとなんか来やしねェ。しかもおめェ、制服だろ? カモにしてくださいって言ってるようなもんじゃねェか。なんでこんなとこウロついてやがんだよ。

何がどうなったのかわかってねェみてェだけどな…

 

……病室の扉が開き、バタバタと走り寄るバカが来た。

桐嶋きりしま、この子?」
「持ち帰ればええのん?」
「持ち帰ってどうすんだよ、病人で怪我人だぞ……ちょっと来い」

病室の外へシロクロを連れ出し、一応状況なんかを説明した。

「なかなかにひでェもんだったぜ…小便と精液と血液とゲロにまみれてドロッドロだったからな」
「犯人探してしばき倒したったらええの?」
「あの小僧に訴える気があればな」

シロクロは病室に戻り、ふたりでベッドに腰掛けて藤城を眺めた。しばらく見ててくれ、と言い残して俺は診療に戻った。頼むからアホな真似だけはするなよ、シロクロ…

 

***

 

「ねえ、痛い?」
「……ううん、大丈夫だよ」
「名前は?」
「藤城…だけど」
「下の名前」
「あ、湊…」
「うちら、湊の力になるために呼ばれたんやと思うねんけどな」
「その前に、ひとつお願い聞いて欲しいねん」
「…お願い…? 何…?」
「服、脱いでるとこ見せて欲しいねん」
「モチベーションアップのために」
「あの…僕、男だよ…?」
「そやから頼んでますのんや」
「その前に…きみたちは、何者なの…?」
「何が知りたいん? 名前? 経歴? 家族構成?」
「……僕がここからいなくなったら、きみたちとの縁は切れるの?」
「さあ、わからへん…切れへんかもしれへんし」
「じゃあ、名前だけ教えて欲しいな」
「うちがシロでこっちがクロ」

よくわからないけど、とにかく僕はここから出たい。だったら服くらいいくらだって脱いでやる。だから早く、一秒でも早く僕を解放してくれ。

…と思ってはみたものの、身体が痛くて起き上がることができなかった。

「あの、寝たままでもいいかな」
「願ったり叶ったりですわ…こっち見やんと脱いでもらえる?」

何が願ったり叶ったりなんだろう……上掛けをバッサリとめくり、病衣を……あれ、もしかして浴衣…? 腰で結んである帯を緩めて左の前身ごろを引っ張り、それから右側の身ごろを引っ張って浴衣をはだけた。痛たたた…

 

「湊、うちらにできることやったらなんでも叶えたるわ」
「そこまで男気溢れとる思わへんかったけど」
「まさかインナーまでサービスしてくれるとは」

インナーのサービスって…? 

「……っ!!」

浴衣着せたついでにパンツくらい穿かせてよ……!!

 

「一応説明するけどな」

── ここは、さっきの口悪いおっさんがやってる新宿のクリニック。入院設備ないねんけど、こういう時・・・・・のために病室的なもんはあんねんな。あんたはボロボロの状態で路地裏に倒れとったとこを、口悪いおっさんが見つけてひろて来た、ゆうことや。処置はしはったみたいやけど、通院せなあかんで。

「通院…?」
「性感染症はフォローアップ検査が必要やねん」
「あとは心理的サポートやな」
「……性感染症?」
「万が一、ゆう話や」

そう言ったシロくんとクロくんは服を脱ぎ始めた。な、なんで?

「ベッド広いから寂しいやんか」

すっかり裸体はだかになったシロくんとクロくんは、僕を挟むようにベッドで横になった。シロくんは僕の胸をとんとん、と優しく叩き、クロくんは頭をそっとなでる。

いまだにまったく状況は掴めてなかったけど、ふたりの体温と優しい手付きに、僕はすうっと眠りに落ちた。

 

 

「……白檀びゃくだん、どうする?」
「付近の防犯カメラ全部解析したらええ」
「体液、採集したんやろか」
「桐嶋のことや、したはるやろ」
「犯人、見つけたらどないすんの」
「それは黒檀こくたんの得意分野やろ? 任せるわ」

── 脱いでくれゆうたらあっさり脱いでくらはる貴重な人材を傷付けた代償は大きいで……とことんまで追い込んだるさかいな……!!