Alichino 1.

Alichino
物 語

code.01 狙われる者

 

「羽根を?」
「ええ、在庫はまだ少しあるのだけど、補充しておきたくて」
「構わんが……どれくらい必要なんだ」
「そうね……二百くらいあればいいかしら」
「二百……」
「あなた、他の者の倍あるのだから、それくらいケチケチしないの」

運命の三女神さんじょしんであるクロトとカシスとアトスはいま、ルフェルの執務室にいた。天使を創造するための材料として羽根が必要になり、相手がルフェルであれば手間が省けると考えたからだ。通常ひとりの天使からは、多くて四、五枚の羽根しか抜かない。理由はとても簡単だった。羽根を抜かれると痛い・・からだ。当然、通常の話はルフェルには黙っていた。

「しかし持主の影響はないのか?」
「ないわよ、百以上もある材料のひとつに過ぎないんだから」

多少痛くてもルフェルなら大丈夫でしょう、と三人がかりでルフェルの羽根を黙々と抜いて行く。ルフェルはといえば、後ろで勝手に羽根を抜いていてくれるだけなら職務の邪魔にもなるまいと了承したものの、思いの外痛みがあることを知り職務に集中できずにいた。地味に痛みが続いて……かなわんな……

 

その夜、クロトとカシスとアトスの三女神は、天使の創造を始めた。いま明らかに人手が足りていないのは上級三隊の天使だったため、まず寿命は天使の中では最長の三百年を設定した。

「女の子にする? 男の子にする?」
「そうねえ……一応熾天使セラフになることを想定するなら、男の子のほうがいいかしら」
「でもいまの熾天使、男の子ばっかりよ?」
「わたしは女の子がいいわあ……なんだかんだいって女の子のほうが強いし」
「安心感でいうと女の子のほうがいいわね」

ツキヨタケ・カエンタケ・紅花・芍薬・百合・ナツメ・ベラドンナ・マンドレイクの根・黒真珠・蜘蛛の糸……最後に、ついさっきルフェルの背から抜いた羽根の中でもひときわ輝きを放つ羽根をつまみ、それらすべてを小さなゆりかごの中に並べた。ひときわ輝きを放つ羽根を選んだ理由は、残ったものを平均化するためであり、いまから創る天使のためではなかった。

三女神がゆりかごに手をかざすと、丁寧に並べられていた素材がゆっくりと溶け出し混ざりあう。混ざり合った材料にクロトが細い糸を巻き付け、それは小さな繭になった。可愛い可愛いおちびさん。早くわたしたちに顔を見せて。

 

それから半月ほどのち、クロトとカシスとアトスは再びルフェルの執務室にいた。

「……また、羽根か?」
「いいえ、そうではないの、だけど……」
「何か困りごとでも?」
「困っているわけでも、ないの、だけど……」
「なら、どうした」
「ちょっと、見て欲しいものがあるの」

 

三女神に言われ着いて行くと、案内されたのは孵卵室だった。そこは、三女神により創られた繭をあたためるための部屋で、気温も、ゆりかごの中の温度も、常に厳密に調整されている。

「……? 孵卵に関してわたしは門外漢だが」
「あのね、わたしたちが作った繭はここであたためられ、二週間ほどで孵化するの」
「でもね、不思議なことが起こっていてね」
「そのね、あなたはどう思うかを訊かせてもらおうと思って」
「どう、とは?」

孵卵室を見渡し、いまここにあるゆりかごの中に繭はない、と思ったがひとつだけ、部屋の一番奥のゆりかごの中にあった。

「あの一番奥の繭か」
「そうなの。一緒に創った繭は二週間で孵化して、いまは隣の新生児室にいるのだけど」
「あの繭だけ、もう半月も経ったのに孵化しないままなの」
「でも、駄目になってるわけでもないのよ」

三女神の創った繭は、孵卵室で管理され二週間ほどで孵化し天使が産まれる。中には、材料の鮮度や相性などにより、育つことなく途中で黒く石化してしまうこともあるらしい。そしていま部屋の隅にある繭は、石化もせずもう半月も繭のままの状態で、いままでこういうことがなかったため気になるというのだ。

「何が気になるんだ」
「なんというか……天使じゃないものが産まれるとか……」
「そういう前例があるのか?」
「ないの。だから気になるの」
「……外側から割ってはいかんのか」
「もし育ってる最中だったから死んじゃうじゃない」
「では、待つしかあるまい」
「何が産まれるかわからないから……」
「……物の怪の類が産まれたら、わたしに始末しろ、と」
「だって……ルフェルの羽根なのよ、あれ」

……持主の影響はない、と言わなかったか?

ゆりかごの中の繭を囲み四名で話をしていると、その繭が、動いた。三女神がこれだけ気にしているのだから、よほどの事態なのだろう、とルフェルは一応つるぎの召喚を視野に入れ、その繭の持主が現れるのを待った。ぱり、ぱり、と小さな音を立てながら繭はそのほころびを大きくし、やがてその持主は四名の前に姿を現した。

 

「……斬ればいいのか?」
「なんてこと言うのよ」
「いや、しかしこれは……」
「わたしたちも初めて見るわね、こういう子」

繭から出て来たのは天使だった。天使ではあるが、普通ではない。白い肌に白い髪。眉もまつげも真っ白なその小さな天使は、左側に六翼を、右側に肩甲骨を持って産まれた。

「無色で片翼かたよくのようだが……生きられるのか?」
「どうかしら、何しろわたしたちも初めて見るから」
「一応エリウスに訊きに行ったほうがいいかしら」
「ああ、そのほうがいいかもしれないわね」

 

産まれたばかりの片翼の天使を抱き、クロトとカシスとアトス、そしてルフェルは地上にいる海の女神エリウスの元を訪れた。孵卵や生育に関して門外漢のルフェルは、産まれたばかりの天使を地上に連れて来たことに対し、少々不安を感じていた。産まれたばかりの子に地上の空気を吸わせても大丈夫なのだろうか。

「ああ、それなら大丈夫よ。産まれたばかりのほうが免疫力が高いの」
「ほう……清浄な空気に慣れる前だから、ということか」
「そうね、まだ魂も切り離されてないから完全体だし」
「……完全体、とは?」
「魂も内臓も特殊器官も全部からだの中にあるってことだけど、知らないの?」

天使は産まれたと同時に、からだと魂が自動的に・・・・分離するものだとばかり思っていたルフェルは少し驚いた。では、なぜ水晶に収めてある魂が、エデン本体に戻ると堕天して死ぬんだ?

「それは一度切り離して水晶に預けたあとだからよ。一度も切り離してなければ完全体のままいられるの」
「……完全体のままでいることに、何か問題でも?」
「病気や怪我で死んじゃうでしょう?」
「いや、エデンにいる分にはその心配はないと思うが」
「ルフェル……あなた、本当に何も知らないのね」

 

話しているうちにエリウスのいる岬にたどり着いた五名は、海に突き出す岬の横にある小さな穴に向かいエリウスを呼んだ。エリウスは海の女神だが、予言者でもあり未来を視る力を持っている。

「あら珍しいわね、ルフェルが来るだなんて」
「成り行きでこうなってしまっただけなんだが……」
「エリウス、忙しいところごめんなさいね。ちょっと相談したいことがあるの」
「片翼の…… “終わらせる者” のことね」
「……終わらせる者、とは?」

エリウスはカシスの抱いている片翼の天使を受け取り、その胸に優しく抱きながら頬をなでる。とても美しい無色の子だと褒めながら、左側の翼を確かめた。それから右の肩甲骨を確かめ、なるほどね、という顔でその子をルフェルに渡した。産まれたばかりの小さなからだは、ルフェルの腕には小さ過ぎたようで、慌ててルフェルはその天使を抱き直した。

 

「その子はアリキーノのようね」
「……アリキーノ?」
「そう、アリキーノ。産まれながらにして狙われる宿命を持つ者」
「どういうことだ」
「もうひとつ、その子はやはり “終わらせる者” だわ」
「ちょっと待ってくれ、まるで話が見えないんだが」
「……魂を切り離しては駄目よ」

どういう意味だ? さっきの完全体の話といい、特殊器官? アリキーノ? 狙われる宿命? 終わらせる者? 魂を切り離してはならない? いくら門外漢とはいえここまで知らないことがあるとは思っていなかったが……一体何の話をしているのかすらまるでわからない。

クロトとカシスとアトスは、エリウスの話を聞き悲しい顔をした。

「わたしがひとつ付けておくけど、あとでフィオナにも付けてもらってね」
「フィオナじゃないと……間に合わないほどなの?」
「そうね……幸運の女神くらいではきっと無駄だと思うわ」
「こんなに可愛い子なのに……」

エリウスは、ルフェルの腕に納まる小さな天使の額にやさしくくちづけると、「見つかっては駄目よ」と言い、その額に爪で傷を付けた。額にぽつりと血が浮かび、それは瞬く間に吸収されて小さな傷痕が残る。

 

 

「……なんだと?」

エリウスの岬からエデンに戻ったルフェルたちは、フィオナのいる “棺の間” を訪れた。悲しい顔をしたままのクロトとカシス、アトスに詰め寄るわけにも行かず、ルフェルは黙ったまま小さな天使を抱いていた。

「エリウスが……アリキーノだと言ったというのか」
「そうなの……それから終わらせる者でもあるんですって」
「終わらせる者、か……右の背に傷痕はないのか」
「ええ、わたしも確かめたけれど、ないの」
「わたしのスティグマが必要だとは……よほど過酷なものを背負ったようだな」
「フィオナ、どうにかならないかしら」
「……守護者がいれば……少しはましなのだが……」

そう言うと、フィオナはルフェルの抱く小さな天使の頬を優しくなで、「せめて見つかるなよ」と言い、エリウスと同じように爪で額に傷を付けた。額にぽつりと浮かんだ血は吸収され、その額には真っ赤な傷痕が残る。

 

 

運命の三女神に小さな天使を返し、ルフェルは自分の執務室にいた。目の前では、明らかに沈んだ目をしたフィオナが腕を組み座っている。

「まるで話が見えんのだが」

ルフェルの声が、珍しく少々苛立っているようだ。

「……なあルフェル、おまえはあの片翼の天使を見てどう思った」
「初めて見るのでわからんが……まず完全体の話を聞かせてくれ」
「そのままの意味だが……魂が切り離される前の状態だ」
「なぜ切り離す必要が?」
「そのままでは永遠の命を授かることができぬだろう」
「……? 生命の樹の実と関係が?」
「おまえ……何も知らぬのか」
「天使なんだ、生命の樹の実でどうとでもなるんじゃないのか」
「完全体のまま生命の樹の実を食らえば死ぬのだ」
「……死ぬ?」

通常であれば、天使は長くとも三百年ほどで死ぬ。そのため上級三隊の天使には生命の樹の実が与えられるが、完全体のまま……体内に魂も臓器も特殊器官も入ったままの状態で口にすると、特殊器官が拒絶反応を起こしすべての臓器を内側から溶かす。そこで、産まれて二、三年ほどでからだから魂を切り離し水晶に移すのだ。臓器と特殊器官は体内に残ったままだが、それを支配する魂が水晶に移されているため、まあ……飾りのようなものだ。

「……ならば、中級や下級の者は魂を切り離す必要がないのでは?」
「中級や下級の天使も、地上で危険な目に遭うことがあるだろう?」
「ああ、なるほど……そこで完全体のままだと生命の樹の実で治療ができないのか……」
「階級が上がることもあるからな。主天使ロード座天使スローネになった場合などに困る」
「上がった時では駄目なのか?」
「切り離せるのは産まれて三年以内だ。それを超えると魂がからだに定着するので切り離せなくなる」
「では……特殊器官、とは?」
「……その前にアリキーノの話をしよう」

 

あの片翼の天使は色を持たぬまま産まれて来た。色を持たぬだけであればそれほど問題ではない。地上に降りなければいいだけの話だ。しかし色の代わりに……片翼を持って産まれた。本来であれば二対三翼についさんよくで六翼になるはずだ。まあ、まれにおまえのように二対六翼で十二翼を持って産まれることもあるだろうが……少なくともわたしの知る限りではまだおまえしかおらぬ。

本来、二対三翼もしくは二対六翼だったものが、繭の中での成長過程において損なわれたのだとしたら、右の背には傷痕が残る。作られかけていたという証が残るはずなのだ。それがないということは、最初から片翼として生を受けたということになる。しかも……六翼のな。生得しょうとくの片翼の天使の羽根は “稀覯原種きこうげんしゅ” なのだ。Limited Seedリミテッドシードと呼ぶのだが。

「リミテッドシード?」
「ああ、つまり片翼の天使の羽根があれば何でも作れる」
「例えば?」
「そうだな……不老不死の薬や怪我を瞬時に治す薬、媚薬、妙薬、自白薬、もちろん毒薬」
「……生命の樹の実のようなものか」
「ところが、生命体も作れるのだ」
「……生命体? まさかそれで人間が作れるとでも?」
人間も・・・作れる」
「それ以外にも……」
「そう、悪魔でも怪物でも生物兵器でも何でも作れるのだ。片翼の天使の羽根ひとつでな」
「馬鹿な……それでは奪い合いが」

そうだ、この世のすべてが片翼の天使の羽根を狙うことになる。エデン以外のすべてが……奈落アビスも、冥府ハデスも、魔界フィンドも、天界ディヴァも、地上も、そのすべてが羽根を狙いに来ることだろうな。

「人間がエデンにたどり着くことはないだろうが……」
「奈落の堕天使をはじめ、冥界の神々も、魔界に棲む魔族も……エデンを狙うには充分な連中だ」
「それで……狙われる者アリキーノ、なのか」
「そうだ、そしてエデンを終わらせる者」

しかもおあつらえ向きに無色と来ている。色を持たぬ無垢な白はそれだけで価値が跳ね上がる。色のない片翼の羽根は、他の世界の干渉を一切受けることなく思い通りに染められる。わかるか? いまエデンには、この世のすべてが血眼になって探し奪いに来る片翼の天使がいるのだ。

「魂を切り離してはならない理由とは?」
「ルフェルおまえ……己の魂が地上で召喚されたことをもう忘れたのか」
「……地上からでも水晶の魂が掌握できるということになるのか」
「依り代になるものがあれば、エデンから実体を引きずりおろせる」
「では……あの片翼の天使はどうなるのだ」
「いまは……エリウスとわたしのスティグマで見えないようにしてあるが……」
「それは、いつまで持つんだ」
「自我が生まれる頃までだ」
「そのあとは?」
「……少なくともエデンに置いておくわけにはいくまい」
「完全体のまま……地上へと放り出すのか」

 

策はそう多くはない。

水晶に魂を移していなければ、存在に気付かれる可能性は低い。少なくとも地上で暮らせるほどの歳までは、エデンでかくまうこともできるだろう。もしくは……一旦魂を切り離し水晶に収め、時が来たら水晶を持たせ、地上で堕天させる。人間になればアリキーノとして狙われることはなくなるだろう。しかし、そうすると水晶の魂に気付かれる可能性は高くなる。スティグマの効力が切れる頃には堕天させねばならぬが……まだ幼子だ、ひとりで地上では暮らせまい。あとは……

「……ルフェル、おまえにあの片翼が殺せるか?」
「……結局、持主に・・・影響があるということか」
「持主?」
「創造に使う素材の羽根の話だ」
「あの片翼の素材は……おまえの羽根なのか!」
「そうらしいな……影響はないと聞いたが」
「……もうひとつ、策が見付かったな」
「もうひとつ、とは?」
「おまえが守護者となることだ」
「守護者?」

そうだ。おまえがあの片翼と契約を結び正統な守護者となれば、敵は片翼だけを手中に収めてもリミテッドシードは使えぬ。守護者が生きている限り、守護者の加護が片翼を守るからな。つまり、おまえと片翼の両方を手に入れ、おまえを殺さぬ限り片翼を素材にすることができなくなるというわけだ。

「……それはつまり……わたしに生贄になれ、と」
にえになられては困るが、まあ似たようなものだな」
「翼を抜くわけにはいかんのか」
「抜けぬのだ。付け根を確認すればわかるが、からだと一体化しているからな」
「……とはいえ、単なる天使だろう? エデンの存続と引き換えにするほどのことか?」
「おまえが殺せると言うならそうすればいい」
「……少し考えさせてくれ」

 

あまり時間はないぞ、と言いながらフィオナが執務室から出ようとした時、ルフェルがそういえば、とフィオナを呼び止めた。

「特殊器官のことを聞いていなかった」
「ああ、その話か。おまえ、アダムとエヴァのことは知っているのか?」
「善悪の知識の樹の実の話か?」

エデンに棲んでいたアダムとエヴァは、神に背き善悪の知識の樹の実を食らったのだが、罪人のまま次に生命の樹の実に手を付けられては敵わぬと地上へ追放された。その際アダムとエヴァが身に付けた知識を、天使が持たぬようにと付けられた器官の総称を特殊器官と呼んでいるのだ。生命の樹の実を食らうと、その中の廉直器官れんちょくきかんが拒絶反応を起こし、拷問器官ごうもんきかんが臓物を溶かす。

「特殊器官とはそんなに多いのか?」
「そうでもないが……ルフェル、おまえいくつになった?」
「二百五十……ほどか」
「まだそんなに若かったか……まだ性欲はあるのか?」
「…………それは、特殊器官に関係があるのか」
「生殖器官も特殊器官のひとつだ。切り離された天使ははらまぬ」
「完全体なら孕むのか?」
「すべてが揃っているからな。快楽も当然ある」

そう言うと、フィオナはルフェルのそばまで歩み寄り、耳元でひそめいた。

「…………」
「…!!」

そしてニヤリ、と美しい顔を皮肉っぽく歪めながら執務室をあとにした。

「……最悪だ」

 

 

── フローディア相手に随分と励んだようだが……見掛けによらずスゴイ・・・らしいな

 

 

神々にまで掌握されている自分のプライバシーに、ルフェルは戦慄を覚えた。