第六十七話 青天の霹靂
「……で?」
「で、って……何?」
「最後てどこまでなん? 条件は?」
「なんで記憶喪失のフリなんかしてんの?」
「……はぁ…条件、それかいな…」
最後がどこまでなのか、僕にも知る権利があると思う。いや、そもそもそれは僕が見せるのか? なんで!? 確かに久御山の思惑どおり、クロくんはストリップに興味を持ってくれたけどさ……
「クロくん、大丈夫? 僕のこと憶えてる? 痛かったりしんどかったりしない?」
「ちゃんと憶えてるで、湊……あんた、ほんまええ子やなあ」
「シロくんのことも憶えてる? 紅さんは? 桐嶋先生は?」
「……憶えてるよ」
「理由があるんだね? 僕、何か力になれる?」
「湊……ケンソーやめてぼくと付き合わへん?」
「クロ、ここでトドメ刺せばいいの?」
「あほ言いな……あんたほんまにやりそうやん…」
クロくんは溜息を吐いて、僕と久御山から視線を逸らした。ぼんやりと宙に視線を泳がせ、焦点を合わさないように脱力した目は、それでもさっきまでとは違いちゃんと生命力を感じさせた。
「知らん顔してたら、いつか諦めるかなあ思て」
── まさか、助かるなんて思てへんかったさかい、先のことなんてなんも考えてへんかってん。ぼくはもうシロのそばには……また同しもん取り合うんも、我慢して譲り合うんも違うんちゃうかなあ思て。ぼくら、別々の場所で生きてったほうラクや思うん。誰にゆわれたわけでもないのに、お互い比べてしんどなるのもあほみたいやろ?
そやけど、普通にゆうてもシロはぼくに気遣て離れられへん思うねん。いまもなあ……自分のこと責めてんちゃうかな。そうゆうのも見たないし。切り捨てられへんのやったら、諦めさせたったほう親切なんちゃうかなて。そばにいてても意味ないゆうことわかったら、ひとりで気張ろう思うんちゃう?
「…あのさ」
別に理解してもらおうとか思い留まらせようとか、そういう高尚なことを考えてるわけじゃなかったけど、イチ経験者として僕の話を聞いて欲しいと思った。
「久御山が階段から落ちて救急車で運ばれたことがあったけど、目を覚ました久御山は僕のことを憶えてなかったんだ」
目覚めて安心したところで「誰だっけ」って言われて、なんの冗談だろうって思った。医者はすぐ治るって言ったけど、何時間経っても忘れたままで生きた心地しなかった。本当に目の前が真っ暗になって……久御山が他人になるなんて、想像すらしてなかったから……受け入れられなかった。
「でも、やり直そうと思ったんだ」
「ケンソーとの付き合いを?」
「久御山と出逢わない人生を」
「そない簡単に忘れられるもんちゃうやろ?」
「うん、忘れようとは思わなかったよ…消えようと思っただけ」
久御山が僕のことを憶えてないなら、僕がいなくなっても久御山は大丈夫だろうな、つらくないだろうな、って思ったんだ。ふたりで傷付くより随分マシなんじゃないか、って気もしたし。僕が憶えてれば、好きになったことだってきっと無意味じゃないだろうし、その気持ちがあったら生きて行けると思ったから。
「……聞いてるオレが泣きそうだよ…」
「なんで久御山が泣くんだよ」
「もーマジごめん、二度と忘れたりしないから」
「いいよ、何度忘れてもちゃんと思い出してくれれば」
久御山は僕を背中側から抱き締めると、肩に額を押し付けて「忘れない」とつぶやきながら首を左右に振った。久御山が悪いわけじゃないのに、ほんとこういうところは繊細だ。
「……湊は」
「うん」
「ケンソーのどこがそないに好きなん?」
「えっ……」
「男前やけど、女にだらしなくて貞操観念なくてどこででも盛るエロい雄やん」
「おう、もっかい欄干から落ちてみるか? あ?」
「やめろ久御山……どこがって言われるとキリないんだけどさ」
「そないええとこ、ようさんある……?」
「僕の前では格好悪くて、弱い部分も隠さないところ、かな」
「……格好悪うて弱い男がええのん?」
「本当は格好いいところばっかり見せたいじゃない? 弱味も握られたくないし、素敵な存在でいたいでしょ」
「そやなあ……人間て見栄張ってなんぼなとこあるさかい」
「でもね、完璧な人間のそばにいるのはしんどいんだよ、誰だってさ」
「引け目感じたりするゆうこと?」
「うん、久御山はそういうの脱いで、僕にも頼れるところがあるんだって教えてくれるから」
「そもそも、大雑把でだらしなくて面倒くさがりで考えるの嫌いやん、ケンソー」
「クロ、オレのことそんな風に思ってんの?」
「僕は久御山がダメ人間であればあるほど、喜びを感じるんだよ、きっと」
僕の話を訝し気に聴いていたクロくんは、それでもシロくんに諦めてもらうことを譲らなかった。僕と久御山に口止めをしたあと、クロくんは「ほな、最後まで見せてもらおか」と笑った。
***
「ん…くぅ……ん…っ…」
「どうした……湊から求めて来るなんて…」
「病室で…中途半端に煽るからだろ……ん…」
結局、話してくれたお礼に、と言って久御山はクロくんの前で僕のパンツをさげたわけだけど、久御山はまったく気にならないのかな……僕は自分以外のひとに久御山の裸体を見せるのは絶っっっ対イヤなんだけど。ああ、でも以前都築さんに真っ最中の姿を見られてるんだよな……気にならないのか…
「後ろ向いて…ヨくしてあげるから」
膝の上に乗る僕のシャツを脱がせて、久御山はもう一度口の中をその器用な舌でくすぐった。柔らかい舌と、時折僕の口唇を吸い上げる力強さとのギャップに、頭の芯がぼうっと熱くなる。鼻先をかすめる久御山の髪から甘い香りが漂って、僕はそのまま久御山の首筋に鼻先を押し当てた。
「ん、どうした?」
「…汗の匂い…なんかエッチだ…」
「そそる?」
「うん…久御山の匂い好き…」
うっとりしながら久御山のジーンズのベルトを外してファスナーをおろす。ボクサーパンツの中で窮屈そうに硬くなっているソレを布越しに口にすると、久御山の腰が引ける。
「ちょ、そこで盛り上がっちゃうと続けて欲しくなるから」
「久御山のエロい匂い……興奮する」
「…さすがに恥ずいんですけど」
「似合うよね、いやらしい雄の匂い…」
「まあ、いやらしい雄だからしょうがないよね」
「フェロモン撒き散らしながら歩いてるもんなあ…」
イケメンで背高くて頭良くてエロくて優しくてエッチが上手。これでモテないわけがない。どこででも盛れるのは、それだけ求めるひとが多いってことと同義だ。悶々としていると、肩を掴まれうつ伏せ状態で倒された。腰を持ち上げ、久御山が僕のチノパンを膝までおろす。
「…っ、ちょ、久御山!」
「あ? まだ吮めちゃダメとか言う気か?」
「ダメ…だよ…シャワーもしてないし」
「オレにも湊のエロい匂い、堪能させて?」
「絶対やだ!!」
「そっかー……ってなるわけねえだろ」
背後から乳首を抓まれ、僕はあっさり陥落した。
「おっぱい、気持ちイ?」
「ん…っ…あ、あ…うん…」
「ちゃんと言ってくれないとわかんないなあ」
「…っ…気持ちい…ってば…」
「どこが? どうされると気持ちイの?」
「なん…の…プレイだよ……バカ」
「…言わないとやめちゃうよ?」
「…!! ……乳首…触られるの…」
すっごくイイよ! 乳首、抓まれるのもそのまま捩られるのも爪の先で引っ掻かれるのも力いっぱい圧し潰されるのも全部!! 優しく触られても乱暴に扱われても、声我慢できなくなるくらいイイよ! チクショーッ!
「指、濡らして」
久御山が僕の口の中に中指をねじ込んで耳元で囁く。舌を巻き付けて言われたとおり唾液で濡らすと、その指で僕の入口を優しく刺激する。少し押せば挿入るのに、僕が欲しがってるときに限って入念に焦らすのは、久御山のクセみたいなものだ。
「はしたない穴、吮めてヨくしてっておねだりして?」
「や…だよ……」
「湊が張り巡らす壁も高いねえ……素直になればいいのに」
「恥ずか…し…から…」
「おちんちん、我慢汁でヌルヌルにしながら雌穴ヒク付かせてんのに? これ以上何が恥ずかしいって?」
「…っ…ふ…う……あ、あ、あ…」
「淫乱な湊を抱きたいなあ…」
「ふ…っ……」
「恥ずかしいところも全部オレにちょうだい?」
「あ…っ…うぅ…後ろ…吮めて気持ちくして…」
理性を拘束する枷を、ひとつずつ外されて行く。もう、羞恥心さえ言葉攻めのためにあるようなものだ……下卑た言葉で煽られると、きれいな自分を汚されてるような錯覚を覚え堪らなくなる。僕はそんな人間じゃないって拒絶しながら、いかがわしい本心をこじ開けられ、引きずり出されるのが心地いい。
それを久御山は……上手に愛でてくれるから…
「う…あ…っ…あ…はあっ…くみや…ま…」
「エロい尻しやがって」
「挿れて……硬いので削って…」
「もう舌じゃ足りない?」
「ん…欲し…」
「どうしたらいいか教えて」
「…あっ…久御山の…硬いおちんちんで僕の…淫乱な穴擦って…イかせてぇ…っ…」
「可愛過ぎかよ…」
押し込まれるのも引き抜かれるのも、別物の感覚が気持ちくて背筋がゾクゾクする……久御山の荒い息遣いが鼓膜に溶け込んで、僕はますますいやらしく、欲深くなる。もっと、もっと、もっと、久御山の硬いモノが僕の中で蕩けるくらい、もっと…
「湊……奥まで挿れてもいい?」
「う…あ…っ…あ、あ、あ…ん、したいこと…して…」
「奥で咥えてオレのこと可愛がって」
いままでだって何度も激しく突き上げてただろうに、なんであらたまってこんなことを言うんだろう、とその時僕は朦朧とした頭で考えようとした。でもそれは、うつ伏せでがっちりと腰を掴まれ支えられた瞬間、目から散った火花と同時に無理だと悟った。
「…っ、ふぁっ…あ!!??」
「痛くない?」
い、痛くはない…けど……挿入っちゃいけないところに挿入ってない…!? そこはもう下腹じゃなくて腹の中じゃない!?
少しの抵抗と摩擦を超えた途端、とてつもない圧迫感で身体が内側から破裂しそうな感覚に晒された。一体、いま何が起こってるんだ……内臓が押し上げられてるみたいでキツい…
「久御山…っ…あ…うぅ…待っ」
「苦しいだけならやめるけど」
「ふっ…くぅ…んあ…っ…あ、あ、あ…はぁっ…」
「ヨさそ気な声で鳴くねえ」
「 …っ あ゛ くみ…や…あああ」
「行き止まりの先に挿入るって、知らなかった」
行き止まりの…先って……あ、ダメだ…意識が…
「く…みや…あ、飛ぶ…バカになる…」
「いいよ、一緒にバカになってセックスだけして暮らそ」
「あっ…や…ああ、う…っ…あ」
──
「…なと……みなと…湊」
「……ん…」
「ごめ……ほんとに飛ぶとは思わなかった」
「……バカになった?」
「いや、賢いままだと思う」
「そっか…じゃ、同じことしてもいい?」
「バカになってるわ」
直腸S状部を突き抜けるとあんな感じなんだなあ、ということがわかったので次は絶対久御山に同じ思いをさせてやろう、と心に誓った。見てろよ久御山……気持ちくして飛ばしてやるからな……!!
***
……完璧な人間のそばにいるのはしんどい、か。
シロは泣き虫でわがままで、完璧な人間からは程遠かったさかい、誰からもよう可愛がられたんかな。泣いてても笑てても、シロの隣には必ず誰かいてた気がする。なんもせえへんのに手放しで愛されたシロが、ぼくは羨ましかったんかな。
「白檀、黒檀の様子どうや?」
「…変わらへんよ」
紅もシロも、何も変わらへんのわかっててなんで毎日来るんやろ。ぼくとこ来やんと洸征とこ行ったらええのに。死に損なって動けへんようなってから気遣われてもな…
「クロ…元に戻る?」
「身体? 記憶?」
「どっちも」
「時間掛かるやろけど戻るよ…大丈夫やから」
……骨さえくっ付いたら元通りやねんけどな。リハビリ大変そうやけど、はよ退院して自由に動きたいわ…
「大丈夫やないのは…紅とか桐嶋のほうやろ」
「…なんで?」
「クロやから……みんな心配してんねやろ」
「白檀、どうしたん?」
「飛び降りたんがうちやったら、みんなしゃあない思たやろ?」
焦点合わさんよう目の筋肉緩めてんの結構しんどいんやけど、思わず視線動かしそうになるような話の展開は一体なんなん?
「あほなこと言わんとって…思うわけないやろ」
「ベッドで寝てんのがうちやったら、みんな諦めたやろ?」
「白檀…どないしたん、いきなり」
ほんま、どないしたん? いきなり……
「生き続けるはずのクロがこないなって慌ててんねやろ!? うちなら、飛び降りたんがうちなら、病気を苦に自死しよったんやろな、て誰も疑わへんかったやろ!? 記憶失くしても、発症が早まっただけやて納得したんやろ!?」
「白檀!!」
「……なんの話を…シロはさっきから何ゆうてんの…?」
「黒檀!?」
── 病気を苦に自死しよったんやろな、て誰も疑わへんかったやろ!?
── 発症が早まっただけやて納得したんやろ!?
記憶喪失のフリをすることさえ忘れたぼくの頭の中で、シロは何度も何度も同じ台詞を繰り返した。