第六十四話 焼け野の雉子、夜の鶴 其の弐
ほんまはひとつのはずやった。
それがふたつに分かれたんは、神さまの気まぐれやったんかもしれへんし、理由があったんかもしれへん。
でも、なんで
なんで神さまは、見分け付かんほどそっくりな見た目と同しように、そっくりな性格を与えてくらはらへんかったんやろ。
***
……すげえ寝た気がする。こんなに寝たのはどれくらい振りだろうってくらい寝た気がする。小さな頃、抱かれて揺られながら眠った記憶を身体が憶えてるって聞いたことがあるけど、オレの身体にその記憶はない。
「……クロ?」
運転席を見ると、クロの姿はなかった。
「っつーか、どこだよここ……」
車から降りて辺りを見回すが、だだっ広い駐車場だということ以外わからん。ボンネットを触るとまだあたたかいことから、クロはその辺にいるだろうということはわかった。あれ、もしかして高速道路のパーキングエリアか?
少し付き合ってくれ、というクロの車の助手席で、オレは桐嶋と紅さんと洸征のことを考えていた。オレにもしものことがあったときのために作られた胚細胞クローンの洸征は、遺伝子疾患を持って産まれて来た。そのせいで、クローンとしての役割を果たせない、と祖母に……久御山 佐和に縁を切られた。
湊が同じことをされて、同じようにUSBメモリが送られて来たら? 赦すことなんてできるか?
パーキングエリアの売店の横に下りの階段があった。高速のエリアから徒歩でなら抜けられるようになってんのか……観光目的なんだろうか。階段を下りて一般道に出ると、目の前に大きな橋が架かっていた。ところどころ街灯に照らされた橋は、なぜか幻想的に見えた。
「……クロ」
「ケンソー……おはようさん」
クロは橋の真ん中辺りで欄干に腰掛け、退屈を追い払うこどものように脚をぶらぶら揺らしていた。
「何やってんだ? つーか、どこだよここ」
「うちらなあケンソー、ふたりで産まれたやんか」
── そやから、ぜーんぶシロと半分こやってん。おやつも、ベッドも……ケヤキも。何かを独り占めできたことなんてあらへん。それどころか、いっつもシロが泣いてわがまま言うさかい、仲良う半分こなんてできひんかったん。毎日喧嘩ばっかりや。そらうちかてイケズにもなるっちゅうねん。
「ずーっとシロが嫌いやった」
「あんなに仲いいのに?」
「うちを失って……難儀なことになったらええ思て生きて来たわ」
── 毎月一回家に来る男のひとは……トウジはうちとシロをきれいに平等に扱ってくれはったん。贔屓なんてせえへんケヤキでさえ、泣きじゃくるシロを優先することあったけど、トウジはうちのことも気にしてくれはった……そやから、トウジがお父さんやったらええのに、て本気で思てたん。
調べてわかったんよ、トウジがずっと一緒にいられへん理由が。ほんまの家族がいてんねやな、て……そやから、ケヤキもうちもシロも一番目にはなれへんねやな、て……身の程を思い知った気分やったわ。スペアで双子で二番目以下。トウジにとっても、ケヤキにとっても、シロにとっても、うちは二番目以下の存在やった。
みーんなようしてくれはるけどな……うちはシロの付属品みたいなもんで、ようしてくれるんも “ついで” なんやろな、てどんどん卑屈になってくん。アホみたいやろ? そやけど止められへんかったん。なんもかんもソックリ同しこどもなんて要らんやん。ひとりでええやん。シロがいてたらほんでええやん。
双子やてわかった時、殺されるはずやったのに……うちらはケヤキとトウジの優しさのおかげで産まれることができた。そやけど、双子は忌み子ゆうのはほんまやってんなあ、て。
「太古の言い伝えだろ、そんなの」
「シロなんていてへんかったらええのに、て何度も思たんえ」
「小さい子が親を独占したいのは普通じゃね?」
「そやなあ……普通、邪魔や思うだけで留まるさかいな」
── コーセイも、うちよりシロに懐いてたわ。なんもかんもソックリ同しやのに、なんでうちじゃあかんの? てずーっと思てて、ほんで思い付いたんよ。シロに優しくして甘やかして可愛がって信じさせて頼らせて、うちがいてへんかったらなんもできひんくらい依存させて…
「シロを捨ててやろう、てな……この世界と一緒に」
「世界と一緒に、て」
「うちの悪意に気付かんまんま、優しい兄を失えて悲しみだけでいっぱいになったらええ。そやから、コーセイの移植手術を計画してあんたに近付いたんよ。一緒に育ったコーセイを大事にするとこ、シロに見せとこ思て」
── 人間ゆうのは不思議なもんで、同し目的持ってても喜びより憎しみを共有するほうが強う結ばれるん。そやからあんたを利用させてもうたんよ。桐嶋の件を引き合いに、シロを焚き付けたん。赦せへんやろ? 憎いやろ? うちらだけやない、紅かてケンソーのせいで不幸にされたんやで、ゆうてな。
桐嶋もよう働いてくれたわ。久御山一族を潰したいなら協力するゆうひと言で、人生投げ打つ勢いやったんやで。おかげでなんも怪しまれることなく、コーセイを日本で治療できた……もう、桐嶋との契約は切ってもええ頃や。紅も返したし、いずれ憎しみなんかは消えるやろ。
堪忍な……あんたは一切悪ないのわかってんのに、わかりやすい悪者が必要やったんよ。あんたに謂れない罪を着せれば着せるだけ、うちの正義面と優しさを全面に押し出すことができたさかい、ほんま役立ってもうたわ。コーセイもあんたのおかげで治りそうやし、もう思い残すこともあらへん。
あとはトウジが……シロを認知してくれたら全部終いや。優しいお兄ちゃん失えてもうて、悲しむシロの顔見られへんのは残念やけどな。
「……それで? オレはどうすればいいの?」
「うちと一緒に消えてもらうわ……長男の息子が健在やとぐつ悪いさかい」
「なるほどね……で、おまえはそれで満足なの?」
「……て、思ててんけどな、少ーし変更せなあかん」
「変更?」
「うちは湊を悲しませたないねん……それに」
「……それに?」
「…あんたがもっと嫌なヤツやったらよかったんやけどな」
クロは空を見上げ、大きく息を吸ったあと声をあげて笑った。酷く渇き切った笑い声は、嗚咽のようにも聞こえた。
「クロ、オレ車の免許持ってないんだわ」
「うちよりトウジに愛された分、少しくらい意地悪してもええやろ」
「は? こんなもんで足りるのか? こっから歩いて帰るくらいわけねえぞ?」
「……やっと、ケヤキを独り占めできるわ」
橋の欄干に腰掛けていたクロは、両手を広げ背中を宙に預けた。伸ばしたオレの腕は空しく空気を掴んだだけで、クロの腕も服さえも掴むことができなかった。
── 双子はな、先に産まれたほうが忌み子やねん。ずっとお腹の中で一緒に育って来た片割れを押し退けて、先に出ようとする傲慢な血が流れてるんやて。ようわかってはるなあ……なんもかんもソックリ同し思てたけど、うちはシロにはない傲慢さを持ってたさかい……シロにはなれへんかったん。
シロ、うちは……ぼくはこの世界をシロに返すわ。
どうかしあわせに……分かたれる前のひとつに戻って、しあわせんなってな。
***
「はい、確かに受理しました。お疲れさまでした」
窓口で緩く頭をさげ外に出ると、ジリジリと灼け付くアスファルトの照り返しが、夏の気温を容赦なく上昇させていた。
「あの……よかったんですやろか」
「……? 何がですか?」
「揉めたり……したんちゃうかな思て」
「いえ、そうやろと思てたゆうことやったんで、スムーズに」
「なんや、ほんま迷惑掛けてもて…」
「迷惑やなんて、思てないですよ」
駅に向かい歩き出しても、あまりの暑さについ日陰になっている場所を探す体たらくだ。さっきまで冷房の効いた室内にいたせいか、ほんの十数メートル歩いただけで額に汗が滲んだ。
「ひとつ、勘違いせんといて欲しいんですけど」
「何をです?」
「相続とか、そうゆうのは望んでへんさかい」
「黒檀くんも相続のために、とは思てへんかったでしょうね」
「クロは……うちに家族を残したかっただけや…」
「白檀くん……これからどうしはるんですか?」
「これから…な……どうしたらええんやろ」
白檀は、歩道の先で揺らめく陽炎をぼんやりと眺めながら、小さな溜息を吐いた。
***
病室の扉をノックする音に続き、静かにその扉が開く。珍しくこめかみから汗を滴らせたシロくんが、「暑うてかなん!」と言いながら病室の冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターを取り出した。
「おかえり、区役所混んでた?」
「混みこみやったわ……どっからあないようけ湧くんやろな」
「おまえも湧いたひとりだよ、シロ……」
「あれ、ケンソー起きてたん?」
シロくんは久御山のベッドを覗き込み、少しだけ顔を曇らせた。気持ちはわかるけど……僕はシロくんのほうが心配だった。洸征くんが入院してる最中、クロくんまでいなくなった自宅のベッドは、「ひとりやと広過ぎてよう眠られへん」らしく、シロくんはここしばらく蒼い顔をしていた。
「昼飯食ったら退院だから」
「え、もう? 治るの早ない?」
「治ってねえわ……でも治療のしようもないから入院してても意味ないし」
「肋骨折ったら大変やねんな…」
「骨折はどこの部位でも大変だろうよ…」
そらそうや、と言って笑うシロくんの顔はやっぱり蒼く、その痛々しい様子に僕はどう接すればいいのかわからなかった。普通でいい、と久御山は言うけど、こんなときの普通を僕は知らなかった。
***
ベッドサイドモニタに映し出される心拍数や心電図波形、呼吸数、呼吸曲線、脈波、動脈血酸素飽和度、まだ規則的に鳴っている無機質な同期音、挿管された人工呼吸器、身体から伸びるドレーンやカテーテル、設定通りの速度で落ちる点滴……プローブが装着された指先は動かないままだ。
「終わりましたよ、手続き」
革靴の踵が音を立てないよう、そっとベッドに近付く。
「もっと早うしといたらよかったですね」
ひと差し指の甲で頬に触れ、閉じたまぶたを確かめる。長いまつげは伏せられたまま、やはり動かなかった。
「これからずーっと、親子です……黒檀くん」
冬慈は黒檀の頬をもう一度ひと差し指の甲でなでると、声にならない言葉を繰り返した。
「そやから、起きてください……」
着地点が水面だったとしても、衝突した時の体勢によってはたった1mの高さが致命傷となり得る。トレーニングを積んでいる飛び込みの選手でも、飛び込む高さは10mだ。60mの高さから飛び込んだ場合の生存率は1.9%程度、75mの高さともなれば生存率は0%に等しい。
黒檀が欄干から落ちたあと、賢颯は迷わず30mほど下にある川へ飛び込んだ。こっちは生存することが大前提だったため、できる限り真っ直ぐ足から着水したが、若干上半身に角度が付いたようで肋骨が二本犠牲になった。
当然、生存することなど考えなかった黒檀は、頸椎や腸骨など身体の至るところを折ったが、受傷後に放置されることもなく早急に病院へと搬送されたため、一命は取り留めた。しかし、頚髄損傷は免れず意識が回復しても麻痺は残るだろう、と医師の口は重かった。
賢颯から珍しく連絡を受けた冬慈は事の重大さを鑑み、その日のうちに黒檀と白檀の本籍地である東京へと向かった。冬慈の所在地である京都でも認知届を提出することは可能だったが、黒檀の無事を確認したいという気持ちと、白檀の落胆を少しでも和らげたいという気持ちに突き動かされた。
黒檀と白檀が産まれてから十八年、欅とともに渡米してから十四年。母であり諸悪の根源でもあった久御山 佐和が亡くなった時点で認知しておけばよかったものを、と冬慈はうなだれた。しかし、欅たち三人が渡米した頃、久御山の本家では先代の佐和の逝去、それに伴い賢颯の救護が重なり混乱を極めていたことを思い出した。
冬慈が溜息を吐くと同時に病室の扉がそっと開き、室内を窺うように賢颯が顔を出す。
「……区役所、混んでたんだって?」
「そやな、都会はひとがようさんいてはるさかい」
「すぐ来てくれてありがとう」
「賢颯から頼み事されるの、初めてやしな」
「え、そうだっけ」
「こっちの学校に来るのも、お母さんに相談して決めたやん」
「……そうだっけ」
「まあ、しゃあない思てるけどな」
「なんで?」
「跡取りとしても、父親としても不出来で……秋尚にも燠嗣にも迷惑掛けてる身分やさかい」
「……シロクロを跡取りにすれば? こどもは期待できないけど、資産は倍にしてくれるよ」
「そやなあ……彼らが自由にできるんやったら、それもええかもしれへん」
冬慈は微かに口角を上げ、黒檀に頭をさげると静かに病室をあとにした。