第八話 愛は屋上の烏に及ぶ
「薫子、ほんまに行くん?」
「うん、東京なら迷わないし」
「まあ…薫子なら押し掛けても怒られへんか」
「なんでわざわざ東京行ったんやろ」
「はあ……ケンソーおらんとつまらん……」
誰にも何も言わず東京の高校を受験してまんまと受かって、誰にも何も言わず東京に引っ越して連絡が取れなくなったケンソーに、周りは当然へこんだ。ケンソーの妹に訊いても理由はわからないみたいだった。
その見た目とは裏腹に、ケンソーは控え目なひとだった。充分目立つしいつもひとの輪の中心にはいたけど、凡そ自分から率先して騒いだりはしゃいだりすることはなかった。大人びてて落ち着いてて自分のことは何も話さないケンソー。
わたしにまで内緒でいなくなるとは思ってもみなかった。
***
「久御山、電話鳴ってる」
久御山にスマホを渡すと、チラっと確認してそのままスマホを伏せた。
「……出ないの?」
「うん、いまはいいや」
「あ、僕がいるから出づらいとか」
「そんなんじゃないよ」
夏休みだというのに久御山の部屋で、僕たちふたりはなぜか勉強をしている。男ふたりでプールや海に行っても盛り上がらない、こんなクソ暑い日に外でなんて遊びたくない、ひとが多いところには行きたくない、と久御山に言われ、だったら図書館にでも涼みに行こうと言ったら家に来い、と言われた。
そして久御山の部屋には何もない。テレビもゲームもPCもない。ないない尽くしの空間でできることといったら、僕たちにはもう勉強以外残されていなかった。ちなみに夏休みの宿題は、夏休み最初の一週間で終わってしまっていた。
「僕たちふたりで勉強って、あんまり意味ないよね」
「んー、そうか? なんで?」
「だってわからないところを訊くってことがないから」
「ああ、わからないところないもんな、湊」
「いや久御山だってないじゃん……」
学期末の試験で学年二位の成績を修めた久御山には一切の死角がない。イケメンで身長が高くて女子に甘くて頭もいいなんて、神さまってのは随分と不公平なんだな、と思う。
「……久御山、電話鳴ってる」
「何回かけてくんだよ」
笑いながら久御山は電話に出た。
「うん……うん、元気…うん……は? いや、ちょっと待て…いきなりそんな……はあ!?」
……なんか久御山がキレてる気がする。
「オレにも都合が……や、違うって…違うから……うん…だから違うって」
地元の友達とかかな……微妙に負のオーラが漂ってるような……電話の内容が不穏なのか、久御山は隣の部屋に場所を移した。やっぱり僕がいるから話づらいんだろうか。いや、でも僕に聞かせたくない話なんて、あるか?
しばらくすると久御山は脱力して戻って来た。腰をおろしたかと思ったらそのまま床に転がるくらいには、どうも疲れてるみたいだ。
「……彼女?」
「違う」
「どうした、取り込み中なら僕帰るけど」
なんとなくご機嫌ななめな久御山は、床でごろごろ転がりながら溜息を吐く。そんな大変な内容の電話だったんだろうか。久御山はごろごろ転がりながら僕のそばまで来ると……僕の腕を引っ張り床に転がした。
「あの、ほんとに僕帰るから気にしないで」
「……午後からちょっと出掛けない?」
「いいけど、外暑いよ?」
「大丈夫。だから午前中はさ」
「午前中は?」
「セックスしたい」
「してくれば? 僕ここで待ってるから」
「おまえね、コンビニに買い物行くわけじゃないんだから」
「久御山ならそれくらいの労力でできるだろ……」
あの時、ここでエッチして以来、僕と久御山は何事もなかった顔で、こうして一緒に勉強したりごはんを食べに行ったりしてる。久御山は性別にこだわらないって言うけど、男じゃないと駄目というわけではなく、あの時のことは一時の気の迷いみたいなものかな、と僕はなんとなく思っていた。
「湊はオレとしたくない?」
「何を!?」
「あれっきり、オレら清い関係じゃん?」
「清いって」
「湊はヤりたくなったりしないの?」
「……久御山と?」
「まあオレに限らず、溜まったりしないのかなあと」
「それは、まあ……」
「いつもひとりで発散してるわけ?」
「あのな……ひとを年中盛ってるみたいに言うなよ…」
「もうオカズにしてないの? オレのこと」
「…………」
してるさ。ああ、してるとも。なんなら毎晩お世話になってるよ。いや、だからってそういうの堂々と言うことでもないだろ。こういうとき、どうやって切り返せばいいんだろう……黙ってるとオカズにしてることを肯定してるみたいだし、かと言って否定しても照れてると思われるだけのような。
返事に困ってると、久御山が僕の腕を掴みそれを自分の股間に当てがった。
「……!!」
「もうこんなんなってるんだけど」
久御山のソレはジーンズの中で窮屈そうに硬く膨張していた。な、なんで!? 一時の気の迷いにしては期間長過ぎないか!? 一体いまどこに大きくなる要素があったんだ!?
「……吮めて」
心臓が音を立てて縮んだ気がした。
なんだよ……女に困ることなんてまったくないであろうイケメンのくせに、どうしてわざわざ僕にそういうこと言うんだよ……言い寄って来る女子に言えばいいのに……なんでわざわざ男の僕に言うかな。
久御山はジーンズをおろすと、大きくなったものをゆっくりと自分で扱き始めた。え……エロ過ぎないか……薄く開いた目で僕を見る久御山の顔のエロさにも、みぞおちの辺りがキュっとなる。抗うことができず、僕は久御山の手の中にある硬いものに舌を這わせた。
付け根から丁寧に吮め上げそっと口に含む。全体を吸引しながらくびれに舌を沿わせ舌先を動かすと、久御山が小さな鳴き声を漏らす。こうされるのがイイのか……そう思った途端、なんとも言えない気持ちが込み上げた。人気者でモテモテの久御山が僕に吮められて感じてる……
それは優越感のようなものだったかもしれないし、罪悪感のようなものだったかもしれない。僕の口の中で脈打つ久御山を、いま、僕は独占してるんだ。久御山のこんな姿を、声を、久御山の硬く漲るものを、僕だけが見て、聞いて、味わってる。
「湊……そんな風にされたらすぐイっちゃうから……」
久御山の声を聞いて身体の中心が溶けそうになる……吮めてる側の僕が、どうしてこんなに堪らない気持ちになってるんだろう……やっぱり僕はおかしいのかな……男のモノにしゃぶり付いて昂ってるなんて、どう贔屓目に見てもヤバいだろ……
僕の唾液で溶けそうになっている久御山が、口の中で更に硬くなる。
「イっちゃダメ…」
「無理……ッ……」
僕の頭を優しく抱え込んだ久御山が、荒い息遣いで身体を震わせる。口の中に広がる久御山の味に胸が高鳴る……離したくない……はあ……久御山、変態でごめん……
「湊……イったあと吮められると……あ…ちょっ……」
「気持ちい……?」
「おまえ、なんつーエロい顔してんだ……」
そう言って久御山は僕を抱き締めた。以前抱き締められたときよりずっと優しい手付きで、僕の頭と背中を包む。そんな大切なものを扱うようにされたら、変態の分際でいろいろ勘違いしてしまうだろ……
「はあ……おまえ、なんでそんな可愛いのよ」
「可愛くは…ないよ…」
「小さい舌とか、時々漏れる吐息とか」
「随分マニアックな琴線に触れてんだな…」
「可愛い湊をあんあん言わせたい」
「……いまイったばっかりだよ?」
「しゃらくせえ、気合いで勃てるわ」
「気合いの無駄遣いだよ、久御山……」
──
わざわざ暑い中どこへ行くのかと思えば、電車を乗り継いでまで来た場所がファミレス。近所のファミレスと何か違うんだろうか。コーラの炭酸が強めだとか、コーヒーが濃いとか。ないな。
ドリンクバーのウーロン茶をストローですすりながら氷を突ついていると、久御山が立ち上がった。
「…………」
黒くて長い髪をなびかせながら、小さめのその子は久御山に抱き着き、久御山は笑いながら倒れないようにその子を抱き留めた。僕はなんだかその大胆な姿を見ているのが気恥ずかしくて、目を逸らした。
久御山に促され向かい合わせに座ったその子は、久御山の手を握りながら黒目がちの大きな瞳を潤ませる。僕はここにいてもいいんだろうか……
「えっと、地元のツレの都築」
「あ、はじめまして…藤城です」
「ケンソー、どうして苗字?」
「紹介するときって、そういうもんでしょ」
「はじめまして……ケンソーの婚約者の薫子です」
……こ、婚約者!?
「じーさん同士の戯言だろ……書面があるわけでもなし」
「でもお爺さまはいまでもそう言ってるもん」
「オレは聞いてないし知らねーもん」
「ね、ケンソーいつもこうなの。どう思う? 藤城くん」
「……え…どうって……」
「こっちの高校だってひとりで勝手に決めちゃって、引っ越してから一度も連絡くれないってみんな寂しがってるよ」
「あーハイハイ、わかったわかった」
「もう、口ばっかり」
久御山をケンソーと呼ぶその子は、驚くくらい可愛かった。くるくると表情を変え、躊躇せず、しかしわざとらしくなく甘える仕草は僕が見ても可愛く思えた。都築さんもモテるんだろうな……こう、美男美女のカップルって迫力あるよな。
しばらくすると久御山がトイレ、と言って立ち上がった。
「ねえ、藤城くん」
「あ、はい」
「ケンソーとはもうエッチした?」
「……え」
一瞬、目の前が暗くなった。突然何を言い出すんだ……まるで、あの時のことを知っているような、僕が女の子を好きになれないことを知っているような、すべてを見透かされているような感覚を覚えて言葉に詰まる。
「ケンソーの、おっきかったでしょ」
「あの、僕は」
「でもあげない。ケンソー、薫のだから」
満面の笑みで都築さんは言った。どういう意味だ……僕を牽制してるつもりなんだろうか。だとしたら何のために?
「は? 泊まるとこ決めてないって、どういうこと?」
ファミレスから出たあとの都築さんの衝撃のひと言に、久御山は眉をひそめた。
「え、だってケンソーの家、泊めてもらおうと思って」
「駄目だめダメ、無理むりムリ」
「どうして」
「どうしても。親父さんにしばかれるわ」
「お爺さまはいいって言ったもん」
「あのね……オレにも都合ってもんがあるでしょ」
「掃除してないとか? 全然気にならないよ、大丈夫」
「違うわ」
「あの、久御山…僕帰るから」
「はあ? なんでおまえが遠慮すんのよ」
「……藤城くん、ケンソーと暮らしてるの?」
「ちが……両親が三日間留守にしてるからお邪魔してるだけだよ」
「じゃあ薫も泊めて?」
「だから、無理だって」
可愛らしく頬を膨らませた都築さんを横目に、久御山はスマホを取り出した。素早く指を動かしながら画面を確認する久御山の顔が、どんどん険しくなって行く。暑さに弱いはずなのに、この灼熱の中で何をしてるんだろう……
「ねえ、もう諦めたら?」
「……はあああああ…おまえ絶っっっ対わざとだろ…」
「だから、ケンソーの家に泊めてもらおうと思ってたんだってば」
「こうなりゃ一泊六万円のシティホテル取っちゃる」
「やめてよぉ!」
なるほど、ホテルの予約サイトと戦って惨敗だったわけか……都心だし夏休みだし土曜日だしお昼過ぎてるし、そりゃ空室なんてないだろうな……
とはいえ、都築さんが久御山の家に来るとして、僕はどうすればいいんだ?