第十六話 悋気せぬ男は撓らぬ竿
「ねぇ…シャワーさせて」
「……なんで?」
「恥ずかしい……から…」
「必要ないよ」
「でも……」
バイト先の先輩に誘われ飲みに行った帰り、声を掛けられた。もう一軒行かないか、と言われたので満面の笑みで「酒なんかより愛液飲ませてくれる?」と言ったら快諾された。殴られると思っていたオレは少々引き気味に、目に付いたテキトーなホテルにその子を連れ込んだ。
部屋に入って冷蔵庫を漁り、ペットボトルの緑茶を飲みながらベッドに腰をおろした。
「咥えて」
「…随分と即物的なのね」
「ヤりたくなるようにムード作ったほうが盛り上がる?」
「そういうわけじゃないけど」
同じ場所で上下する舌と、遠慮がちに口唇で扱かれる先端。そこまで強く根元を握られるとちょっと痛いな、と思いながらその子を抱えてベッドに横たわらせた。
メイクで汚れないよう慎重にセーターを脱がせ、キャミソールの上からブラを外す。キャミソールごとたくしあげ、柔らかい膨らみを掴み硬く尖った突起を吮めると、小さな吐息が漏れる。
「んっ…あ……」
「敏感なんだね」
「あっ…あ…ん」
「いいね、可愛い」
レースのショーツをおろし、こんなに小さいもんだったっけ、とそれを爪先から抜き取った。柔らかい太腿を肩に抱え脚の間に顔を埋めると、頭を押さえられわかりやすく拒否られた。
「シャワーさせて…っ」
「洗い流してどうすんのよ」
「だって……汚い…よ……」
「…吮めればきれいになるじゃん」
太腿を左右に開いて顔を埋め、いやだという声を無視して舌を伸ばした。最初は手加減したほうがよかったんだっけ……舌先で小さなクリトリスを突ついたら、嫌がる声が大きくなる。
── 駄目、汚い…から……やめて
あれはきっと物理的な話じゃなく……自分のすべてを汚いと感じる湊の、救われることのない悲鳴のようなものだったのかもしれない。汚いと思うのに感じてしまう自分。そんな自分を赦すことができない後ろめたさ。その姿を晒したら捨てられるかもしれないという恐怖心。
「あっ…ん…いや…っ…」
汚いってなんなんだよ。たとえばそれが同意の上なら、相手が異性なら、やってることは同じなのにココロもカラダもきれいなまま、いい思い出になるのかよ。たかが粘膜擦り合わせるだけの行為で何が変わるっていうんだよ。そんなことで他人のすべてを汚せるのかよ。
「あんっ……あっ…あ…あんっ…」
赤く充血したクリトリスが硬く尖って、溢れる愛液を尻にまで滴らせる。こんなに簡単に粘膜潤わせて、こんなに簡単に結合できるってのに。いまオレはこの子を汚してんのか? 愛なんて欠片もないこの行為で、この子は汚れんのか? セックスってそんなに罪深いもんなのか? 二度と払拭できないくらいに?
「お願い……そこばっかりいじめないで…」
「……挿れてもいい?」
ゆっくり挿し込むと収まって行く部分から徐々に内壁が絡み付き、きつく締め上げられながらさらけ出した弱い部分を擦る。動かす腰に合わせて規則的にあがる喘ぎ声を聞きながら、何度も自問自答する。
愛なんて目に見えないもん、どうやって証明するんだよ。見せられないんだから無理だろ。
「ああああっ…いい…ああ…」
愛かどうかなんてわかんねえよ。見たことも食ったこともないんだから!! でも同情や憐れみなんかじゃない……そばにいるために見える愛が必要なら、オレにはもうどうすることもできないよ……
「……どう…したの…?」
「……ごめん、ちょっと……折れちゃって」
「え? あ、うん……あの……気にしないで……」
……全然簡単じゃねえじゃねえか。
***
久御山のマンションの入口でしゃがみ込みいつの間にかウトウトしていた僕は、足音で目覚め慌てて立ち上がった。
「……藤城?」
「……遅かったね」
「来ると思ってなかったから……」
「迷惑だった?」
「いや、そんなんじゃないけど」
僕を “藤城” と呼んだ久御山から、甘い香水の香りがした。
「お茶でいい? なんならビールもあるけど」
「何言ってんだよ未成年……」
「身体は大人だから」
笑いながら久御山は、麦茶のグラスをテーブルの上に置いた。何事もなかった顔で僕を部屋にあげ、まるでいままでもそうだったように “知り合い” に話し掛ける。
「何かあった? こんな時間にわざわざこんなとこまで」
「…どうしても……謝りたくて」
「はっ……おまえ、ここは教会でもなんでもねえぞ。懺悔なら」
「謝りたくて来たけど、久御山どこで何してた?」
「……何って…」
「いままでどこで何してたんだよ」
久御山から香る甘い香りと、それに薄っすらと混じる汗のにおいに、僕は自分のことを棚に上げ込み上げる憤りを抑えることができなくなった。
「ちょっと待て藤城、どうしたんだよ」
「誰と何してた? 香水の香り、移るほどの距離で何してたんだよ」
「いや、なんでおまえ怒ってんの」
「訊いてることに答えろよ……やっぱり女のほうがよかった?」
「だから、なんでおまえが怒ってんだよ」
「言えないようなことしてたのかよ…答えろよ」
「……女抱いてたけど、それが?」
「久々に抱いた女はよかった? それとも久々でもなかったかな」
「よかったよ。それがなんだよ、おまえに関係あんのかよ」
「……ないよ」
「だったら! オレがどこで誰と何してようと文句言われる筋合いねえわ!」
優しく差し伸べられる腕を振り解いたのは僕のほうで、久御山が言うとおり僕には文句を言う資格なんてなかった。怖がるだけで何もせず、失いたくないから手に入れることを拒絶して、何も持たないことで安心感を得られると思っていた僕が、拒絶され傷付くことに耐えながらそれでも腕を伸ばす久御山に、一体何が言えるだろう。
それなのに……胸の中に渦巻くどす黒い感情が、灼けるようなみぞおちの熱さが、僕の冷静さを悉く挫いて行った。
床に腰をおろし俯く久御山の肩を思いきり突き飛ばし、咄嗟のことに構えることのできなかった久御山が後ろに倒れる。
「……何なんだよ、いきなり…」
シャツの裾から手を滑り込ませ、素肌をなでながら首筋に軽く歯を立てると、甘ったるい香りが僕の残酷さを搔き立てた。誰が、一体誰がこの身体に触れたんだろう。
この身体で、一体誰を悦ばせたんだろう。
僕は人間として最底辺にいると思ってたから、誰かを憎んだり嫌ったりすることがなかった。どんなひとでも僕より優れてると、僕よりマシな人間だと思ったから、憎んだり嫌ったりする要素がなかった。でも、それが誤りだといま知った。理屈じゃない。要素があろうがなかろうが、湧き起こる感情はただただ醜く、正直だ。
弾力のある胸の小さな突起を指先で強くつまむと、久御山の身体が小さく跳ねる。シャツをたくし上げ露わになった肌に目眩がした。きれいに浮き上がる鎖骨、しなやかな胸筋、腰に向かってくびれる直線と外腹斜筋。みぞおちがヒリヒリと灼け付く。
ジーンズのボタンを外すと慌てて手を押さえられた。
「ちょ……っと…待てよ」
「……もう触られたくない?」
「いや、あの……」
「…いつもと違う味がするから?」
押さえる手を掴んで、その指を咥え舌を巻き付ける。久御山の指を凌辱しながら自分の業の深さを思い知る。前世での欲深さの報いをいま受けているのだとしたら、僕はどれだけ罪深い生き物だったんだろう。他のひとで覚えた快楽が身体に染み付いて僕を離さない。
自分のシャツのボタンを外し、ベルトを緩め、貧相な身体を晒しながら、久御山のジーンズのファスナーを下ろす。フローリングの床に這いつくばって脚の間に顔を近付けると、やっぱり久御山はそれを覆い隠そうとする。
チノパンとパンツを脱いで久御山の身体にまたがり、その手を掴んで僕の脚の間に持って行く。硬くなったモノを握らせると、久御山は驚いて僕を見上げた。
「もう……こんなになってるんだ」
「……なんで」
「僕は久御山が思ってる以上に淫乱で変態なんだよ」
「そんな風に……言うなよ…」
僕のモノを握る久御山の手を覆い、僕は久御山の手ごと自分の硬く漲っているモノをゆっくりと扱いた。久御山に握られてる、そう思うだけで硬くなったモノが更に大きく腫れ上がる。
「女を抱いてる久御山を……感じてる久御山を想像して滾ってる…充分変態じゃん…」
「……」
「罵ればいいよ……気持ち悪いって……見下せばいい」
「そんなこと……」
「きっと僕は……久御山になら罵られても…興奮する」
「……湊」
「だから……吮めさせて……女の味がする久御山のことも…知りたい」
久御山に纏わり付いて乾いた膜を舌で溶かし舐め取ると、確かにいつもと違う味がした。汗とは違うしょっぱさと、のどに絡み付く粘度の高さ。挿し込んだ場所から溢れる体液を想像して、またみぞおちがヒリ付く。どんな女が久御山の硬くなったモノを飲み込み、どんな声で鳴いたんだろう。
久御山が女を抱いたことを知ったら、僕は傷付くと思ってた。やっぱり女のほうがいいよね、それが普通だよね、と同じようにできない自分を卑下して落胆して絶望すると思ってた。でもそれを知った僕は落胆も絶望もせず、女の柔らかさに汗を垂らす久御山を想像して自分のモノを滾らせる ──
駄目だ、何をしていても、誰を抱いていても、たとえ嘘を吐いていても……もう、久御山が大好きだった。
「床…痛いだろうから」
ソファに座らせた久御山のシャツを剥ぎ取り、横になるよう促した。その腰の上にまたがり、久御山の胸や腹をなでながら肌の滑らかさを、筋肉の弾力を、身体の形を確かめる。胸に広がる嫉妬心や独占欲も、忘れることのない罪悪感も、劣等感も、羞恥心も、そのすべてがこの扇情的な身体の愛しさには勝てなかった。
「握って…」
限界まで張り詰めたモノを握られると、それだけで身体の芯が砕けそうになる。手を動かされる度に声をあげながら、恥ずかしい自分を、いやらしい自分を、強欲な自分をさらけ出す。
硬くなった久御山をゆっくり飲み込むと、僕の下で久御山が小さな吐息を漏らす。
「……きっつ…」
「久御山…」
「ん……」
「さっき抱いた女と、どっちがいい?」
「なに、おまえ……もしかして妬いてんの……?」
「……僕のほうがいいって言って…」
久御山に思いきり突かれて頭のネジが飛んだ。
深く、奥まで突き上げられながら、硬く腫れ上がった自分のものを握って扱く。僕はどこまでもビッチで欲深く、粘膜を擦られはしたない声をあげながら手淫に耽る。久御山の硬いモノが僕をこじ開け壁を擦るたびに、胸の奥で何かが溢れそうになる……なんでこんなに……イイんだろう……
「久御山……汚くても…いいって言って……」
「……オレを汚せばいいよ」
「こんなことして……感じてもいいって……言って」
「そんなおまえで感じてるオレも同じだろ……」
「何されてもいいから……嫌いにならないで…」
「……じゃあ、挿さってるとこ見せて」
少し腰を浮かせて身体を反らせると、久御山が上体を起こし僕の脚を掴む。
「……エロい尻しやがって……」
「久御山に……エロくされたんだ…」
「足りないな……全然足りない」
「恥ずかし…のに……気持ち良くておかしくなる……」
「いいよ……オレも一緒におかしくなるから」
腰を強く抱き寄せ尻を掴んだ久御山は、もう片方の腕で自分を支えながら僕の内壁を削る。汗を滴らせながら腰を動かす久御山が、エロくて格好良くて堪らない気持ちになる。こんなに格好いいのに……このひとはいま男を抱いてるんだ……あ、あ、あ……そこ…そんな風に擦られたら……あ…
身体の真ん中が痙攣する……
「はぁ…っあ、あ、イイ……も、だめ、イく……イ…く…」
「おまえのほうがイイよ、湊」
「ふ…久御山……久御山…あ、イく……あっ、あぁ…!!」
「……おまえ、なんで今日そんっなに可愛いのよ」
「……忘れて」
「どれを? オレの手持って扱いてたこと? 自分で挿入したこと? 挿されながらオナってたこと? 結合部分見せてくれたこと? エッロい声で鳴いてたこと? 自分で腰動かしてたこと?」
「やめろ!!!!!」
「それとも……嫌いにならないでって泣いたこと?」
「…………」
「馬鹿だな……」
久御山は僕をぎゅうっと抱き締め、溜息を吐いた。
「ノンケのはずなのに男に欲情するオレの動揺が、おまえにわかる?」
「え……」
「そばにいたいのに、変な噂立ったらおまえがイヤだろうなって、我慢して距離取ってイライラする気持ちがおまえにわかるか?」
「久御山……」
「余計なの近付けたくなくてコンタクトにさせたくない、オレの気持ちがおまえにわかんのかよ」
「……それは、意味がわからないけど」
「いつだって大学生と比較されて負けてんのかなって……不安になるオレの気持ちがおまえにわかんのかよ……」
「……!!」
「おまえのカラダでイくのに、相手が女だと中折れするオレの気持ちがおまえに……」
「……折れたの?」
「うん、見事に」
「え…あ……そう…なんだ…」
「笑えよ……気にしないで、とか言われて死ぬかと思ったわ……」
「そ、それは……あの……た、大変だったね……」
「……おまえがいいんだよ」
「え……」
「穢れてても汚くてもビッチでも変態でも、おまえがいいんだよ。おまえじゃなきゃ要らないんだよ」
「久御山……」
「それなのに、伝家の宝刀抜いて斬り付けてくんだもん」
「伝家の…宝刀?」
「苦しいなんて言われたら、手も足も出ないのわかってたくせに」
「……ごめん」
「おまえがいろいろ考えてしまうのもわかるからさ」
「…うん」
「肩書きはいらないわ…別にそんなもんが欲しいわけじゃないし」
「……うん?」
「でも、おまえはオレのもんだから」
「…っ」
「その顔も、カラダも、声も、全部オレのだから」
「…久御山……」
「だから、もっかいオレの手握ってエロい顔で扱いて見せて♥」
「やめろよ……!!」
「……思い出したらちょっと勃って来た」
「もう!?」
***
久御山と移動教室から帰る途中、階段で桜庭さんとすれ違った。桜庭さんは足を止め、僕を見ると少し安心したように笑った。それから周りを確かめ、他にひとがいないことがわかると、わざと久御山にも聞こえるように言った。
「好きなひとと上手く行かなくなったら、いつでもおれの胸に飛び込んで来て」
「……あ゙ ?」
一瞬で久御山の顔が臨戦態勢に入った。
桜庭さんの想いが恋だとわかったら、僕は桜庭さんのために何でも協力しよう、と誓った。