Alichino 2.

Alichino
物 語

code.02 負わされた者

 

次の朝 ──

いつものように起き、いつものように身支度を整え、いつものように自分の執務室の扉を開け、ルフェルは扉をそのまま閉めた。もう一度扉を開けてはみたものの、やはり目に映る光景は先ほどと変わらず、もう一度静かに扉を閉めた。

執務室の前で立ち尽くすルフェルに声を掛けたのは、たまたま用があり内務省の警備局に出向こうとしていたアヴリルだった。

「どうされたんですか、部屋の前で」
「いや……アヴリル、おまえはその……天使の生育についてどこまで知ってる?」
「生育? と、言いますと?」
「そうだな……成長の速さとか」
「人間の子と大して変わりませんよ」
「そうなのか?」
「ええ、成人すると成長は止まりますが、それまでは人間の子と似たようなものです」
「……そうか」

しばらく考え、ひとりで受け入れるよりはまし・・な結果になるかもしれない、とルフェルはアヴリルに執務室に入るよう促した。

「大天使長、これは」
「わたしにもわからんのだが」

ふたりは、ルフェルの机の前にあるベビーベッドを見て固まっていた。しばらくするとアヴリルがベッドに近寄り、そこに置いてあるメモを手に取った。

「……ルシ」
「ルシ?」
「ええ、メモにそう書いてありますが、名前でしょうか」

メモを机の上に置き、アヴリルはそのベッドの柵に掴まりながら立っている小さな天使を抱き上げた。小さな天使はアヴリルの首にしがみ着き、左の背にある翼を大きく広げる。

「……慣れたもんだな」
「戦闘部隊に入って来る天使は、みなこどもですから」
「それはそうだが……おまえがあやすのか?」
「手が足りないときは。しかし片翼、ですか」
「……何か知ってるのか」
「絵本の話です。片翼の天使は幸運をもたらすという」
「幸運をもたらす?」
「ええ、その割には不釣り合いな名前のようですが」
「待ってくれ、情報が多過ぎる」
「ルシには “負わされた者” という意味があるので、幸運を運んで来るには不釣り合いだな、と」

 

……負わされた者。

 

「アヴリル、その絵本……手元にあるのか」
「ええ、本部に行けば」
「ちょっと持って来てくれないか」
「わかりました」

アヴリルは小さな天使をルフェルにそうっと預け、防衛総局の本館へ絵本を取りに行った。小さな天使は左の翼を大きく広げながらルフェルの腕にしがみ着く。

「……ルシ、ねえ」

 

 

あるところ に はんぶん の てんし が いました

みぎがわ の はんぶん は わるいこと を しました

ひだりがわ の はんぶん は よいこと を しました

よいこと を した ひだりがわ には はね が ありました

てんし は いつも ひとりぼっち でした

「もり から でて は いけないよ」 と いわれていた ので

てんし は もり に すんで いました

ある ひ てんし は さみしくて もりのむこう の むら へ いきました

むら を あるいて いると ひとりのおとこのこ が ないて いました

おなかが すいた という おとこのこ に てんし は ひだりの はね を ぬいて ぱん を つくりました

つぎ に おんなのこ が ないて いました

のど が かわいた と いう おんなのこ に てんし は ひだり の はね を ぬいて みず を つくりました

つぎ に こまって いる おじいさん が いました

つえ を なくした おじいさん に てんし は ひだり の はね を ぬいて つえ を つくりました

つぎ に なやんで いる おばあさん が いました

にわ の おはな が かれる と いう ので てんし は ひだり の はね を ぬいて よい つち を つくりました

むら に てんし が きてから むら の ひと は えがお に なりました

てんし は えがお が うれしくて まいにち はね を ぬきました

てんし の はねは すくなくなって もり への かえりみち を わすれて しまいました

それでも てんし は えがお が うれしくて すくない はね を ぬきました

たおれて いる いぬ が いた ので てんし は さいご の はね を ぬきました

その はね を いぬ の うえ に おくと いぬ は いきかえって げんき に なりました

かわり に てんし が しにました

てんし は ひとり で しにました

はんぶん の てんし は もう はんぶん では ありません でした

みぎがわ も いっしょ に しにました

ある所に、半分の天使がいました

右側の半分は、悪いことをしました 左側の半分は、善いことをしました
善いことをした左側には、羽がありました

天使はいつもひとりぼっちでした
「森から出てはいけないよ」と言われていたので、天使は森に棲んでいました

ある日天使は寂しくて、森の向こうの村へ行きました

村を歩いていると、ひとりの男の子が泣いていました
お腹が空いたという男の子に、天使は左の羽根を抜いてパンを作りました
次に女の子が泣いていました
のどが渇いたという女の子に、天使は左の羽根を抜いて水を作りました
次に困っているおじいさんがいました
杖を失くしたおじいさんに、天使は左の羽根を抜いて杖を作りました
次に悩んでいるおばあさんがいました
庭のお花が枯れると言うので、天使は左の羽根を抜いて良い土を作りました

村に天使が来てから、村のひとは笑顔になりました
天使は笑顔が嬉しくて、毎日羽根を抜きました

天使の羽根は少なくなって、森への帰り道を忘れてしまいました
それでも天使は笑顔が嬉しくて、少ない羽根を抜きました

倒れている犬がいたので、天使は最後の羽根を抜きました
その羽根を犬の上に置くと、犬は生き返って元気になりました

代わりに天使が死にました 天使はひとりで死にました
半分の天使はもう半分ではありませんでした 右側も一緒に死にました

 

「……これは、楽しい話、なのか?」
「いえ、道徳を教えるためではないでしょうか」

ルフェルは小さな “ルシ” を抱きながら、そうか、死ぬのか……と考えていた。

「このルシは……昨日産まれたんだ」
「昨日? まさか、どう見てももう一歳は超えているようですが」
「わたしにもそう見えるが、孵化する瞬間を昨日この目で見た」
「明日は二歳になる、ということでしょうか」
「わからんが……もしそうだとすると、本当に時間がないな」
「時間がない、とはどういうことです?」

まあ……口止めされているわけでもないし、ルシの片翼を見れば誰でも何かしら思うところはあるだろう。エデンでかくまうともなれば、ここに棲む全員が共通認識として持たねばならんことでもある。

ルフェルはアヴリルに、昨日聞いた “アリキーノのリミテッドシード” の話をした。

 

「世の中のすべてが狙いに来る素材、ですか」
「ああ、さすがに異界大戦を起こすわけにもいくまい」
「神々はそこまで知っていて、なぜルシを生かそうとしているのでしょうか」
「いや、わたしに殺せるなら殺せとは言っていたんだ」
「ならば隠すためのスティグマを付ける必要がありません」
「それもそうだな……アリキーノだとわかった時点で葬れば済む話、か」
「エデンが滅びる可能性を……滅ぼす者をなぜその場で始末しなかったのでしょう」
「フィオナの言い方も……気になるな」

 

── おまえが殺せると言うならそうすればいい

 

「まるで、大天使長には殺せないと言っているように聞こえますが」
「わたしの良心を鑑みてのことだろうか」
「それはないと思います」
「……いくらわたしでも、何の罪もない幼子の命を摘むことにためらいはある」
「他の者はもっとためらいますから」

すると、いままでおとなしくルフェルの腕の中にいたルシが大声で泣き出した。話している内容が伝わったのか、と少し戸惑うルフェルに、お腹が空いたのでしょう、とアヴリルが言う。そう言われても、とルフェルは大いに戸惑った。

「……どうすればいいんだ」
「授乳をすればよいのでは?」
「わたしが、か?」
「いくら大天使長とはいえ、直接は無理でしょうね」
「……あのな」

ルフェルとアヴリルは孵卵室の隣にある新生児室を訪れた。声を掛けて入ると、運命の三女神、クロトとカシス、それからアトスが「遅かったのね」とルフェルたちを迎えた。

「執務室のベッドなんだが」
「ああ、だってあそこが一番安全な場所だから」
「わたしの部屋をシェルター代わりにされても困る」
「とりあえず、泣いている子を渡してちょうだい」

ルシをアトスに預けると、アトスは部屋の奥のカーテンを開け中に入って行った。

「完全体だから……空腹があるのか」
「そうなの、魂を切り離すまではこうして天使が授乳してるの」
「……? 天使以外に哺乳する者もおるまい?」
「ルフェル……あなた、本当に何も知らないのね」

……昨日も同じことを言われなかったか?

「ちょっと着いて来なさいな」

カシスに言われ後ろを着いて行くと、カシスはさっきアトスの入った部屋のカーテンをそうっと開けた。小さなベッドを避けながら歩き、結構狭いもんだな、とカーテンの中に目をやったルフェルは固まった。そこには小さな天使を抱き、直接・・授乳をしている天使の姿があった。

「……どういうことだ」
「どういうことって……見たままでしょう?」
「見ただけではわからんから訊いてるんだ……これは?」
「ルフェル、あなた賢いと思ってたけど、そうでもないのね……どこからどこまで知ってるの?」
「どこまでも知らんな……」

 

あのね、元々天使は有性生殖するのだけど、常につがいになれるわけじゃないから単為生殖もできるのよ。つまり、ひとりでこどもを産むことができるの。接合しなくても生殖細胞が新しい個体を作るってわけ。もちろん、母親の染色体しか受け継がれないから単相の女の子しか産まれないのだけど。ここまでは、わかる?

「それは……特殊器官を有していることが前提じゃないのか?」
「もちろん、そうよ? 魂が切り離された天使に生殖細胞はないから、単為生殖もできないわ」
「では……いま、ここにいる者たちは……」
「単為生殖によって子育てができる状態の天使たちね」
「完全体なのか……」
「そうよ、完全体の天使だけど、見たことなかった?」

まあ、あなたが孵卵室や新生児室に用事があるとも思えないから、いままで知らなかったのかもしれないけれど、天使を育てるためには完全体の天使が欠かせないの。あなたたちみたいに、危ないことばかりするなら魂は切り離しておかなければいけないけれど、新生児室にいる天使に危険はないから完全体でも問題ないの。

「……危険なことをしたいわけではないんだが」
「あなたは産まれてすぐ切り離されたから、記憶がないのも当然なのかしらね」
「この者たちは……ここで数百年、子を育てるだけなのか?」
「ルフェル……あなた、本当に……まあ、いいわ。育てる期間は十年ほどよ」
「その後は?」
「…………」

カシスがカーテンを閉めて手招きをする。小さなベッドを避けながら着いて行くと、授乳室から少し離れた所でカシスが立ち止まった。

「本人たちもわかってるから隠す必要はないのだけど」
「わかっている、とは?」
「単為生殖を繰り返すと、十年ほどで死んじゃうの」
「……どういう意味だ?」
「どうもこうも、十年で死んじゃうのよ」

彼女たちは実際に単為生殖で子を産むわけではないのだけど、産める状態を維持することで授乳ができるようになっているの。でも、一度の単為生殖で授乳ができる期間は半年ほどだから、そうするとまた授乳ができるように単為生殖をするのよ。完全体のままそれを繰り返すと、からだに負担が掛かるから、十年ほどで死んじゃうの。

「……それでは……まるで……奴隷のようでは?」
「人聞きの悪いこと言わないでちょうだい。一族のほまれなのよ」

彼女たちは最後の単為生殖で子を産むの。さっきも言ったけど、女の子しか産まれないでしょう? そうして産まれた子が、また子を育てることになるの。一族の者はそうして小さな天使たちを育て、死んで行くのよ。でもね、とても誇りのあることなのよ? 天使の生殺与奪を握っているのは彼女たちだと言っても過言じゃないくらい。

「しかし……」
「そういう宿命なの。あなたが二対六翼で十二翼を持って産まれたことと同じよ」

 

……負わされた者、か。

 

カーテンが開き、中からアトスとルシが出て来た。ルシはアトスに手を引かれ、自分の足で歩いてルフェルのそばまで来ると、左の翼を大きく広げルフェルに手を伸ばした。

「待ってくれ、朝は……立っていることがやっとのようだったが」
「随分と急いで成長してるのねえ」
「こういう前例はあるのか?」
「ここまで急ぐ子は、初めて見るわ」
「では、やはり明日には二歳ほどになっているのでしょうか」
「そうね、そうかもしれないわね」

 

魂を切り離せるのは産まれて三年以内だとフィオナは言っていた。それが産まれてから三年なのか、三つになるまでなのか……三つになるまでだとしたら、明後日にはもう魂を切り離すかどうかを決めねばならんが……

腕にしがみ着くルシを見ながらルフェルは考えていた。

 

執務室に戻り、さっきの話の続きだが、とルフェルはアヴリルに訊いた。

「生かして守る理由があるとしたら、何だ」
「殺すと困ることがあるか、殺せないか、そのどちらかでしょうね」
「殺せない……それは、良心の呵責の話か?」
「いえ、大天使長には、という話のようなので物理的に」

ふむ、と少し考え、ルフェルは右手で空を切り、その手に焔火ほのおで鍛えられ深紅に染まった熾烈しれつつるぎを納めた。その剣を左腕にしがみ着くルシの首筋にそうっと当ててみる。

「……斬れそうだが」
「では、殺すと困ることがある、という話になりそうですね」
「だとしたら、堕天させる以外の方法は一切無駄だということになる」
「死ぬことと、殺すことは別なのかもしれません」
「同族殺しだと何かが起こるが、事故なら問題ないということなのか……」

すると、腕の中にいるルシが小さなからだをもぞもぞと動かし、首筋に当たる熾烈の剣を右手で掴んだ。

「諸刃だぞ!!」

慌ててルフェルが召喚した剣を解放しようと右手を開きかけた時……熾烈の剣はルシの右手に一瞬で飲み込まれ、跡形もなく、消えた。

「……何が起こったんだ」
「これは物理的に殺せないほう、でしたね」
「待ってくれ……個の使役する剣が、あるじ以外に従うはずがない」
「熾烈がルシを主だと認めた、とか」
「馬鹿な……」
「試しに、わたしも召喚してみましょうか」

そう言うと、アヴリルは右手で空を切り、闇夜に眠り漆黒に染まる “死霊の剣” をその手に納め、ひと払いした。剣身は黒い霧を燻らせ、ゆらり、といままで刈り取って来た魂の影が立ち昇る。

「っ……!!」

ルフェルの腕ごとルシを斬った死霊の剣は……やはりルシの右手に飲み込まれ、跡形もなく消えた。

 

「……おまえ……死霊がルシの管轄外だったらどうするんだ……」
「そのときは、ルシの首と大天使長の腕が飛んだでしょうね」
「確信があったのか?」
「いえ、一か八かでしたが」
「ほう……何の確信もなく、とりあえず上長を斬った、という解釈で間違いないか?」
「そんなことより」

 

…………エデン最凶の熾烈と、最強の死霊が、ルシに飲み込まれた。

いま、エデンはほぼ丸腰の状態だと言っても過言ではない。